2014年4月1日

ただいま、そしてCrazy Learnersをはじめます

このブログを書き始めた時にこう書いた。
2008年1月9日をもって、人生の第一幕を終えたかなという気持ちでいます。つまり2008年1月10日である今日が、第二幕の幕開けということ。 「2008年を迎えて」
以前の塾を畳んで「社会的引きこもり」をしている間に三十歳になりました。いろんなことがあったな。とにかく、幸か不幸か、「死にごもり」することなくこうやって戻ってくることができました。前の塾をはじめてから、今日でちょうど七年。畳んでからは、ちょうど一年。さて、今日から、僕の人生の第三幕をスタートさせようと思います。その舞台となるのは、Crazy Learners

詳しいことは読んでもらえれば、だいたい分かってもらえると思う。でも、いつも通り長いので、要するに、とまとめると、Crazy Learnersという運動?集団?を主宰して、いろいろやっていくつもりなんだけど、はじめは俺が教えるオンラインの大学受験塾「CLゼミ」からスタートするよ、という感じです。

俺が直接受験生に教えて全部タダで、変な金も取りません。さて、それでお前は長期的にどうやって食っていくんだ?ってことが三十歳にもなると一番の問題なわけだけど、それを知りたい人は、まぁゆっくりどこかで語り合いましょう。とりあえずは、嘉納治五郎の精神に心打たれて、それを真似して船を漕ぎだした、とだけ言っておきます。

「教えるということについては、道は金と交換にこれを授くべきものではなく、志あるものにのみこれを教授するのであるという、講道館の精神に基づいて、授業料を取らない」。こういうところから一人ではじめて、オリンピック競技にもなった「JUDO」を自分で立ち上げたんだよね。すごいよ、嘉納治五郎。

僕もそれを見習って、僭越ながら、自分なりの流派を興してみた次第です。それがCrazy Learners
2013年4月6日

閉塾にあたって


閉塾から約一週間が過ぎ、残っていた仕事もほぼ片付けた。僕がいま語りたいことは、三作目となる『独学宣言 〜もう学校はいらない〜』Amazon印刷用(縦書PDF)スマホ用(横書PDF))のあとがきに込めたので、興味のある人はそちらを読まれてください。これで最後の大仕事も終わり、肩の荷が下りた。さて。

この写真はオフィスを閉める時に撮った一枚。こんな小さなオフィスでも、最初に借りた時はそれなりに誇らしかった。仲間が増えて、それにあわせてオフィスを拡げた時期もあったが、結局、一度も移転することもなく、最後は始まりのこの部屋で終わった。

今思えば、僕は若かった。あまりに若かった。あの時に、あの決断を、こうしていたら……。そうした考えは、やろうと思えばキリなく思い浮かべられる。でも、そんなことに意味はない。六年間、その時々で最善を尽くしてきたのだ。その証はこのブログに残っている。

このブログを書きはじめた頃から、当然だが、このような結末を迎える可能性があることは想定していた。でも、どのような結末になるにせよ、命に火を灯すように生きる日々を書き残しておこうと決めていた。あまりブログを書けない時期は、その分だけ書籍に込めてある。丁寧に探してもらえれば、受験をはじめる前の18歳の頃から11年間後の今に至るまで、ウェブで僕の軌跡を辿ることができる。

若くないとできないことがある。若い時に、これ以上ないほど若いことができてよかった、と思う。もはや維新の志士気取りだったからね。しかも、結構、本気だった。自分たちがやらなければ、誰がやるんだ。そうした熱狂から醒めてみればバカらしくも感じられるが、でも、どんな無様な姿であれ必死で生きられてよかったと思う。

馬鹿の一つ覚えみたいに言ってるが、本当に、十代の頃からは決して想像することのできない日々だった。そうした生き方が可能なのだということを、今はまだ暗がりの中で、未来に希望を抱けずに生きている後の世代の人に伝えたいと思った。理由は単純で、僕が昔そうだった頃に、僕に力を与えてくれた人がいたから。

中でもとりわけ大きな力をくれた二人は、既にこの世から去ってしまった。二人とも戦争の経験者で、戦後の日本の復興を担った医師と教師だった。有名な人ではない。どこの街にでもいる老医師と老教師だ。でも、名もない人の人知れぬ努力によって、世の中はかろうじて成立していることを僕は彼らから学んだ。僕は、彼らにしてもらったことを、ただ真似たに過ぎない。

どんな無様な一生であれ、たいした功も成さず名も遂げなかった人生であっても、希望を抱いて必死で生きることには意味がある。宇宙の果てしない大きさにと比べれば、たとえばアメリカ合衆国の大統領ですらたいした意味はない。でも、誰に知られることもない一生であっても、精一杯生きた人生に比類なき意味を見出すことはできる。

言葉では伝えられないものがある。でも、生き様から、何かを感じ取ってもらえるとすれば、それなりに生きた意味を見いだせるのかもしれない。そのようにして書いてきた文章から、何かを感じ取ってもらえるならば、それだけで僕は十分に生きた甲斐があると思える。それが僕にできることであり、僕なりの人生の意味の見つけ方だったのだろうと今は思う。

閉塾の理由について触れておくと、僕が畳みたいと思った、ということ以上に語ることはない。最低限、塾生にはそれなりの説明をしたが、語り、書くことが僕の仕事だったのだから、言葉で理解してもらうことは難しいことではない。でも、言葉にできるものは、詰まるところ言葉にできるものでしかない。

先日、実家に帰った時にNHKで『余命1ヶ月の花嫁』という映画をやっていて、テレビで映画を見るのなんていつぶりだろうと思いながら何気なく見ていた。亡くなる直前のヒロインが遺したビデオレターを、葬式の後で受け取った彼氏が見るというシーンがあって、そこでテレビに映ったヒロインが「感謝しかない。いや、感謝という言葉だけじゃ表せない・・・」とすこし迷ってから「この気持ちを伝える言葉が、日本語にはありません」と言っていた。このシーンは泣けたね。泣けたけど、僕も似たような気持ちです。感謝という言葉では表せない。

だから、僕は残りの人生で、この想いを証明していこうと思います。言いたいことは、以上。みんな、これまでどうもありがとう。それではいつか、また会う日まで。

馬場祐平






2012年12月12日

すべては「人」でつながっている

ドイツのライプチヒに「アウアーバッハスケラー」という古めかしい居酒屋がある。文豪ゲーテが通いつめ、『ファウスト』にも登場することで有名な、由緒正しきレストランだ。ここで、僕は日本人二人目のノーベル文学賞受賞者、かの大江健三郎に出会ったのだった。まだ僕が大学四年生で、小説家を目指していた頃のことだ。

彼はトーマス・マンの出版社の社長と二人でディナーをしていた。僕はその二年くらい前に、西日本を「青春18切符」で旅しながら『ファウスト』を読んでいた。ファウストの内容はよく分からなかったけれど、読み終えた達成感だけはあった。その舞台でノーベル文学賞受賞者に会うのも何かの縁だろうと考えて、緊張しながら、小説家を目指していますという旨を告げて、その時に着ていたジャージへのサインを頼んだ。

異国の地で若者に声をかけられて嬉しかったのか、それとも元々の性格なのかは分からないが、彼は気前よく僕の服にサインをしてくれた。押入れに封印してしまったので、細かな文言は今はわからないけれど、英語で「老いた小説家、未来の小説家に出会う」といったものだったと思う。インクが滲みにくい生地だったため、数分かけて、律儀に重ね書きしてくれたのをよく覚えている。

その後、家の近くの古本屋で、大江健三郎の全集のような原本集数十冊をを二万円くらいで手に入れた。あれは、半分過ぎくらいまで読んだところで、放置されたままだな。だって、文章が硬かったんだよ。いま読んだら楽しめるだろうなとも思うのだけれど、僕はその半年くらい後に小説家になるという夢を一旦封印して、それと共に、そのジャージも壁から取り外されてしまわれたのだった。でも、おかげで道塾を立ち上げられたんだけどね。

なんでこんな話をしているのかというと、僕の知人(というには僕の親父くらいの年齢の方なのだけれど)が、あるノーベル文学賞候補にもなった著者の作品の翻訳に携わり、その『ドナウ』という本を書店で見つけて感激した旨を写真と共にメールで送ったら、買いあぐねた原本(四千円くらい)を送ってくださるということから、いろんなことを感慨深く思い出したからだ。

ちなみに本書の翻訳者は、ドイツ文学の『ファウスト』やカフカの小説の翻訳で有名な池内紀。その翻訳に携わることになった彼が、以前に村上春樹と大江健三郎について書いたエントリーを読み返して、久しぶりに文学的なことを書きたい気分になったのもあるかもしれない。

最近は学生時代ぶりに、文学、特に海外の現代文学を読むようになった。起業してからの五年くらいは、意識的に文学や哲学を遠ざけていた。それでも、ビジネスへの解毒剤を求めるように触れてはいたけれど、今のように、純粋に楽しむということはできなかった気がする。最近は、そういうことを抜きに、心から文学や哲学を味わえていると思う。僕にとっては、ほんとうに喜ばしいことだ。

だって、文学も、哲学も、経営学も、人が主題であることに変わりはない。それはすべて、どこかでつながっている。大江健三郎も、スピノザも、ドラッカーも、僕の中ではすべてひとつながりの世界として通じ合っているのだ。同じように、たとえば社会学のウェーバーと、心理学のフロムと、経済学のマルクスは、僕にはほとんど同じことを言っているように思える。まぁ、それは当たり前のことかもしれないけれど、でも、そうやって、僕の世界は「人」を軸にして広がってきた。

彼が送ってくれると言った「ドナウ」を熊谷の書店で見つけて、パラパラとめくって感じたのは、とんでもなく難しい書物だということ。エッセイ風に書かれてはいるが、西欧の文化に通じていないと、現代の『ファウスト』のように読むことが億劫に感じられる気がした(実際、青春18切符の鈍行旅行でなければ、当時の僕にはファウストは読みきれなかったと思う)。

でも、こうしてその出版に携わった人からのメッセージをもらえることで、その「遠さ」は随分と軽減された気がする。それに、10年くらい前と比べれば、僕も僕なりにいろんなことを知った。たとえば僕にとって、ドナウはオーストリア、ハンガリー、チョコの三カ国へ訪れた、学生時代最もと言っていいほど思い出深い国々を貫く流れだ。

振り返ると、僕には素晴らしい思い出ばかりある気がする。いや、当時は、一緒に行った人と喧嘩ばかりしたりもしていたけれどね。でも、今ではそれもいい思い出です。そうしたことは、分かりやすい海外への旅路ではなく、29年間の日々の積み重ねとして、ひとつひとつ忘れることのできない記憶だ。そのような、言葉では伝え難い思い出が、僕の胸の中にだけは生き続けている。

そんな日々を送らせてくれているのは、おそらく、他でもない、これを読んでくれているあなたです。そうした一人一人との付き合いの中で、僕は、今これを書いている僕自身を立ち上げてきたんだと確信しています。いろんなことが起こるけれど(それは10代の頃に想像していたのよりはるかに濃密だけれど)、でも、それを味わいながら生きていきたいなと思う。

いつだって、僕の人生の真ん中には「人」という大河が流れている。それを追ってさえいれば、どんな荒野にたどりついたって、きっと、迷うことはないのだと思う。だから、僕は僕なりに、その流れを追って行きたい。やがて、その流れが母なる海へと還流するその日まで。

「パンタ・レイ」というのは、古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスの言葉だ。意味は「同じ川の流れは二度と来ない」みたいなものだったか。この日本的な言い回しを、僕はずっと好んできた。実際、僕らの人生はそのようなものだと思いませんか。だからこそ、その一瞬一瞬の流れの奇跡を、味わい尽くしていきたい。

さて、これからの僕の人生には、どんなことが起こるのやら、ね。

そして、あなたの人生にも。
2012年12月6日

「学欲」若者よ、野性を取り戻せ。

このブログは誕生日の報告用みたいに放置されているけれど、僕にとっては、とても大切な場所であることに変わりはない。本当は12月2日に書きたかったのだけれど、その日は我が家でパーティーをやっていて余裕がなく。その後も所用で実家に帰ったり、予定していた社員合宿があったりして、ドタバタしたまま今日に至ってしまった。

ということで、事後報告になってしまうけれど、ここでお知らせします。2012年12月2日、僕の29回目の誕生日に、人生で二冊目となる書籍を出版しました。ただし、今回は紙メディアではなく電子書籍として。

この書籍の出版までは、ほんとーーーーーーーーーに、いろんな紆余曲折があった。それについてはここでは書かないし、本書の中でも書いていない。知っている人は知っている通り。それを詳らかにできるのはだいぶ先になると思う。でも、とりあえず、これが、そういう紆余曲折を経た29歳の僕の到達点。それを、こうして公開することができて、本当にほっとしている。

うわっつらのハウツーを書くつもりはさらさらなかった。この本に書いたことは、僕の生きてきた重みをすべて乗せたつもり。「頭で読む本」ではなく「心で読む本」として。それで軽いとすれば、あるいは、弱いとすれば、僕の生きてきた日々はそれまでだということ。でも、まぁ、それならそれで諦めもつく。そう思って、全力で書いてみました。

ちなみに、著者はアマゾンでの販売部数を追えるのだけれど、初日はわずか4部だった。前の本は1万部だったんだけれどね。4部って、もはや冗談みたいな数字じゃないですか。でも、たった4部でも、前に出した本に負けないくらい嬉しい。なにより、気持ちいい。前の本は、半分はハウツー本だと割りきって書いた部分も多かったけれど、今回は、僕が本当に書きたかったことを、好きなように書けた。その結果として、大手の出版社から紙メディアで出す話はお流れになってしまったけれど、でも、それはそれでいい。

本当に届くべき人に、一人でも多く届いてほしい。ただそれだけを願ってます。強がりじゃなく、今はそう言える。あとは、会社が潰れずに回っていきさえすれば、なにひとつ問題はない。でも、それも、会社自体がだいぶ小さくなったし、どんなことが起ころうとも、たいした問題はないでしょう。これだけ小さければ、どうにでもなる。だからこそ、僕はこれからも信じたことを、ただひたすらに追い続けていく。これまでもそうやってきた通り、これからもそうやっていきたい。

いやー、そのせいで、しんどいことや泣きたいことはたくさん起こるだろうし、事実起こってきたけれど、それもひっくるめて、人生楽しいし、これからも楽しみだと心から思います。そういう29度目の誕生日を祝ってくれた人たち、そういう29年間を送らせてくれた出会ったすべての人たちに、感謝。

書きたいことは、ほとんど本書の中に詰め込んだ。だから、ここでは詳しくは語らない。ぜひとも、読んでください。僕は頭を下げての頼み事をしないつもりで生きているのだだけれど、今日だけはします。ぜひとも、この本を読んでください。いいなと思ってもらえて、読ませたい人が思いついたなら、勧めてあげてください。どうか、よろしくお願いしますm(_ _)mペコリ

Amazon Kindleのほか、iPad、iPhone、Android端末等でも読めます(要Kindleアプリ)。100円なので、アマゾンで購入して読んでもらえると嬉しい。買えない人は、ウェブでフリーで公開していて、印刷もできるのでそちらでどうぞ。ある塾生は「正月のお賽銭みたいなものですね」と言って、スカイプの向こう側のiPhoneで買ってくれた。泣けるぜ。ちなみに、現在、アマゾンKindleの「教育・学参・受験」や「教育学」コーナーでそれぞれ3位につけてますが、1日5部くらいでこの順位なので、10部くらい売れたら1位になるかもしれません。笑 というわけで、どうぞよろしく。

最後に。

申し訳ないのだけれど、本書は誤植がたくさんあります。Kindleで出版すると決めてから、初稿からの推敲期間が10日しかなかったので、最後の詰めが甘くなってしまいました。それは今月中にすべて修正するので、その点だけ、目をつむってもらえるとありがたいです。スピード重視で、こういう風に動けるのも、電子メディアならでは。そういう方が僕らしいかなと思って、今年は機動力重視でガンガン攻めるつもりです。

振り返れば、この1年間は、これから5年10年と攻め続けるための準備期間でした。僕にとっても、僕ら道伴舎全体にとっても。でも、おかげでもう準備体操はばっちりで、体もだいぶあったまってきて、やや物足りないくらいなので、そろそろギアを入れ替えていきます。トップスピードで全力疾走するのも、そう遠くなさそうだ。そういうことは、20代前半によく言ってた気がするけれど、30歳も目前のこの歳になって、そんなことまだ言ってるなんて、さすがに当時の僕も想像できなかったよ。

でも、そんな人生も、悪くはない。

というわけで、29歳の僕とも、よろしくお願いします。今年も、たくさん旨い酒を飲みましょう!

2012年12月30日 追記
誤植を修正し、完成版をアップロードしました。
2012年9月2日

裸になりたい。

10年前を振り返れば、自分の弱さを乗り越えるために鎧を身にまとおうとしていた。それは不安に苛まれる青年に共通する行動なのだと思う。世界のことをもっとよく知り、知的にも心的にも武装し、自分の弱さを克服しようとする。そのような欲求を抱く青年は、僕は好もしいと思う。

でも、その頃から10年くらいの月日が経って思うのは、そのようにして鎧を身にまとった人たちは、ずいぶんと動きが鈍くなったなということ。それは自分を見ても、同じように歳を取った人々を見ても思う。心が震えることもなくなり、自分が一度築いた視点から離れることができない。そんな戦士に、鎧の上に張り付いた過去の勲章を剥がす勇気は、もはやない。彼にできるのは過去の反芻だけであり、それは老人と呼ぶべきだろう。

そのような戦士は、おそらく青年の頃よりも弱くなってしまっている。本当の強者は、裸で立っているのだ。素っ裸で、自分の二本の足で、その足裏で大地を踏みしめていられる者こそが、真に生きていると言えるのだ。青年として生きはじめてから10年経った僕は、ずいぶんと弱くなってしまったな、と思う。

無防備だった青年時代の僕は、ひょっとすると何かの一撃で死んでしまっていたかもしれない。いまの僕は、ちょっとやそっとのことでは逃げ出さない。斬りつけられたり傷めつけられたりしても、悲鳴をあげることはないだろう。それはある意味では強くなったのかもしれないが、生身の僕の体は、きっと鎧を幾重にもまとったことによって弱くなってしまった。

真に裸になって生きている人には、相手がぼろの布切れのままで生きているのか、鎧をまとって生きているのか、それとも鎧をはがしながらいきているのかは、一瞥しただけで分かるのだろう。そして、僕はまだ鎧をはがしはじめてさえいない。

これから僕がしていきたいことは、鎧を一枚ずつ剥がしていくこと。そして、裸になっていくことだ。それが僕が僕として真に生きるということなのだ。

僕らが生きている上では、とりわけ若い頃は、積み上げて生きざるをえない。若さゆえに、そしてサバイバルするためにも、それは現実的に避けて通ることはできない。でも、ふっと10代の頃のように生きるとは何かと真剣に考えた時に、20代の節目においていつも、「つみへらす」という、最初に知った時にはよく理解できなかった岡本太郎の言葉を思い出していた。

つみへらすとは、裸になるということなのだ。年齢などという常識にあえて縛られてみるとすれば、30歳からの10年という大切な時間を「つみへらす」ことに自覚的に生きる。そのようにして、僕は30代という時期に踏み出していくことになるだろう。

20代の終わりというのはもうすこし大人なのかなと思っていたけれど、最近思うのは、まだ小学校を卒業するくらいなんだなぁということ。世界は未だに知らないことだらけだし、僕は10代の青年時代よりもまして未熟になった。でも、そのような気持ちで中学校に踏み入るのは、なかなか悪くない。

鎧を剥がし終わり、最後の兜を取った後に見える自分の表情がどんなものなのか。それを楽しみに、また新たなステージに入ることにしよう。

(ま、とはいえ、僕はまだしばらく28歳なんですけどね・・・!)