本気で打ち込めることを見つけるのは難しい。幸いにも僕は道塾という場を見つけることができたけれど、大学の2年から4年頃まで自分が小説家になるものだと思っていたから、その目標を失った時は何をすればいいか途方に暮れたものだった。
梅田望夫『ウェブ時代をゆく』にある「ロールモデル思考法」は自分の打ち込めるものを探しながら生き延びるための一つの方法だと思う。僕もそうだったし、他の多くの人もなんとなくやっているものだろうけれど、この文章に出会ってから僕は意識的に行うようになった。
「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
ただ僕が最近意識しているのはこのような「外界」に見つけるやり方ではなく、自分の内側を探す方法だ。引用部でも書かれている通り「漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう」から、「自分が救われたものは何か」を考え、それを手がかりにしている。
具体的には、たとえばウェブ。たとえば読書。あるいは先輩、仲間、家族。映画や音楽にもそうしたものがある。その中から、いつ、どんな風にそれと出会い、どのように自分は救われたのか。それを考えていくと澱のようなものが言葉として残る。その澱こそが打ち込めることであったり、本気で語れることであったりするのだ。
ただし、この方法にはひとつの危険がある。過去ばかり見て未来を見なくなってしまう可能性だ。たとえば大学生の多くが高校生に何かをしたがるような心情。それはそれでいいことだけれど、そこで止まってしまっては成長はない。そんな時にこそ「ロールモデル思考法」は過去と未来を結びつけるものとして役立つのだろう。
僕は「早稲田への道」を立てた時、今のように道塾に結びつけるつもりはなかった。無意識のうちにその危険性を感じていたからこそ最初の書き込みで「受験が終わったのにこんな場所に来るのはアホだ」と書いたのだと思う。
でも今は違う。僕にとって「救われたもの」である受験を通じて、より良い未来を創りだすことに本気で打ち込みたいという明確な思いがある。だからこそ、僕は道塾において過去の自分では知ることのなかったエネルギーが心の内に湧き上がってくるのを感じられるのだ。
「救われたもの」のエネルギーは絶大だ。そのエネルギーを上手く利用することさえできれば、未来を切り拓く原動力になる。僕は自分が過去に耽り、そこで止まってしまう危険性を認識しながら、一歩ずつ前に進んでいきたい。