2010年2月6日

#titchangeより チェンジメーカー講演録

最近僕のTwitterで話題になっていた、アショカ財団CEOビルドレイトンをはじめとする人々の講演会。社会起業というホットなテーマに、今年のカギとなるTwitterとUstが生中継したイベント。生では最後の方しか見れなかったのでログを追っただけなのだけれど、ぜひ周りの皆に見てもらいたいと思ったので共有。#titchange/(ログ)Ustream

以下#titchangeより、面白いコメントをピックアップ。現在京都にいて思うことは色々あるのだけれど、それはまた後ほど時間が許せば。ログを追いながらTwitterとUstreamの素晴らしさを改めて感じた。本当に社会を変えるツールたちだ。

hatorikei今までの“教育”のルールからはずれたことをやった。自分自身に許可を与えて、実現し、それを外に広げた。(byビル・ドレイトン) #titchange2010-02-06 14:05:30

ippechan#titchange 社会の一部になりたい、という人間の欲求がある。自分自身に許可を与え、社会の問題を見つけ、解決することは決して難しいことではない。by ビルドレイトン氏2010-02-06 14:11:15

hatorikei今、15歳の人は、チェンジメイキングができないことの方が、勉強ができないよりも問題。古い勉強ができたほうがいい世界は、10年もすれば終わる。(byビル・ドレイトン) #titchange2010-02-06 14:34:40

kbs_m32誰もがチェンジメーカーになれる。チームが大事だよ。いまそこにいる職場・学校で始められるんだ byビル・ドレイトン #titchange2010-02-06 14:35:52

hatorikeiまずは学生の方々に伝えたい。誰もがやっていないことをやりなさい。そうすれば比較をされないですよ。(byデイビッド・グリーン) #titchange2010-02-06 14:40:18
hatorikeiというか、社会起業の講演で、初めてサプライチェーンという言葉を聴きました。たしかにこれは本物のビジネスだわ。 #titchange2010-02-06 15:01:14
hatorikei企業のCSRは、ちょっとした社会貢献はしても、社会変革はしない。コアコンピタンスを使って社会変革をしなければいけない。(byデイビッド・グリーン) #titchange2010-02-06 15:09:46
hatorikei社会的企業は、投資家が投資したいという形にしないといけない。今は社会セクターはその価値を倍増させるようなことはできていない。それをできる、“アセットクラス”にしなければいけない。(byデイビッド・グリーン) #titchange2010-02-06 15:12:59
TaejunShin企業家精神教育:ドレイトン「日本は恐竜時代のよう。 停滞している。 アメリカの大学では皆が変革を常に追い求めている。状況を変革するためのチーム(卒業者や大学関係者からなる)が常に組まれている。」 #titchange2010-02-06 15:52:44
TaejunShin企業家精神教育:渡辺孝「世界でソーシャルアントレプレナーを始めたのはハーバード。トップの大学から始めるのが日本との違い。」 #titchange2010-02-06 15:54:06
TaejunShin企業家精神教育:渡邊奈々「86%の高校生、54%の中学生が自分はダメだと思っている。 起業家精神を育てるために重要な教育は自己肯定感を抱かせ、綿密な調査を求めるものであるべき。それとともに、リスクテイクを許容する環境が重要」 #titchange2010-02-06 16:03:11
TaejunShin渡邊奈々「最初から大規模を目指すことと、結果をしっかり測定することが、社会企業と草の根活動の違い。だからこそ、社会企業は世界を変えることができる」(Taejun:この違いは、社会企業に限ったものでなく、企業活動全般に云えるること)  #titchange2010-02-06 16:16:45
TaejunShin社会的企業と一般企業の差は:グリーン「最近は社会的とはあまり言わなくなった。単に高ボリューム・低マージンモデルのビジネス。 ただ、豊かな事業家の中には事業と慈善を分ける場合が多いが、その点では違うのでは。」 #titchange2010-02-06 16:30:14
2010年1月24日

人生を味わう。 がんばることの正当性

ブログを通じて出会った友人は多い。これからはTwitterによってネットを通じた人との出会いは加速していくのだろうけれど、相手がブログを持っているのといないのとの違いにより、その後の広がり方には大きな差が出てくるだろう。

梅田望夫と茂木健一郎の対談本『フューチャリスト宣言』で、「本」がアンカー(錨)としての役割を果たすという議論があった。Twitterというフロー型メディアの発展に伴い、ブログが本に替わるリファレンス・ポイントとしての役割を強めていくのだと思う。

それはともかく。

僕がブログを通じて「志向性の共同体」に参加し、友人(というと失礼かもしれないけれど)を増やすきっかけを作ってくれた方に、ブログ「横浜逍遙亭」の亭主である中山さんという方がいる。2008年の「シュンポシオン横浜」を主催した人と言えば昔から僕のブログを読んでいる人には分かるかもしれない(昔のエントリー:「シュンポシオン横浜 第一部 青年の主張 「絶望の淵でこそ『大人の流儀』を」)。

「横浜逍遙亭」では以前から、ちょっと離れた視点から見守る父親の胸中といったような内容で、息子さんのことが描かれていた。最近は高3になる息子さんの受験生活のことが触れられていて、ちょうど僕が指導する塾生たちの年齢と重なることもあり、塾生の保護者の声のような気持ちで僕は読んでいたのだった。

前回のエントリーで書いたとおり、私は受験生である自分の息子に向かって「がんばれ~」などとポストモダンな掛け声をかけるのですが、いったい何のために「がんばれ」というのか。がんばることの正当性、妥当性はどこにあるのか。がんばることで給料が上がったり、物質生活が豊かになるとは限らない。いえ、彼や彼女に明らかに人とは異なる能力や才能がない限りは、がんばたって、そんなに結果は変わらないというのが多くの人々にとって現実です。そんな社会を私たちの子供らは生きています。

じゃ、がんばらなくっていいのか。そう問いかけてみると、思考はもう一回転し、物質主義とは違う、がんばることの意味が見えてくるのではないか。実に難しい時代に我々は生きています。もしかしたら、面白い時代なのかもしれません。
横浜逍遙亭「がんばること」

このエントリーを読んで、僕は塾生の保護者たちすべてに答えるような気持ちで、以下のようなコメントを書いた。

(続きまして)ご無沙汰しています。ようやくネットに復帰しました。受験期でしばらく落ち着かないのですが、また以前のようにお会いしてお話しできればいいなぁと思っています。

僕は昔のことは分かりませんが、GDPの伸びというのは具体的に言えば、冷蔵庫だったり、洗濯機だったり、テレビだったり、エアコンだったりに現れるのでしょうか。そうした意味では、分かりやすくていい時代だなと羨ましくなります(それはそれで苦労はあったのだと思いますが・・・)。

今のようにがんばることの正当性がない時代には、人のモチベーションは上がりにくいのだと思います。道塾がやっていることは、若者に対してがんばることの意味を自らの生き方でもって示し、正当性の根拠を与えることだと思っています。がんばる対象は受験に限らなくてもいいと思うのですが、この時代において受験は多くの若者がぶつかる壁であり、それをうまく乗り越えることができれば(必ずしも第一志望に合格という意味ではなく)、その先の人生においても活かせる貴重な学びの場になると考えています。もうすこし拡大して言えば、孤独でありながら同時に親や友人の「支え」を感じてがんばる受験は、人生の縮図であるとも思います。

僕が若い子たちに馬鹿のひとつ覚えのように言っているのは、自分が大切だと思う時にがんばれれば、その後もがんばれるということです。そして、僕は身を懸けた「がんばる」という行為の中に、単純だけれども生きる本質があると思います。がんばることがなければ、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、その多くは失われてしまうのではないでしょうか。人生は結果ではなく、湧き上がってくる感情を味わう「過程」がすべてだと僕は考えています。だから人生を深く味わうためのキーワードは、その対象は何であれ、がんばることではないかと思っています。

そうした意味では、ごく個人的な考えですが、せっかくこの世に生を受けたのであれば、その限られた時間の中でできる限りたくさんのことを味わうためにがんばる意味はある、と僕は考えています。

現状では、多くの若者は「がんばり方」を知らないまま成長してしまいます。それは「がんばる方法」という意味でも、中山さんのおっしゃる「がんばる正当性」という意味でもそうだと思います。

もう一年以上前になりますが(懐かしいですね!)、あの頃「SMAP構想(Speak,Make,Attack,Pink!)」をお話ししたように、今もってそうした20代が増えることで、がんばることが正当化され、もう少しわくわくできる時代になるのではないのかなという想いは変わりません。

今は他者との競争のためにがんばる時代ではなく、己の人生を味わうためにがんばる時代なのだと思います。辻さん(ご無沙汰しています!)がおっしゃる通り「自己満足」だと思います。それが結果として他者の人生に役立つことになればと願うのが、凡人である僕にできる最大限のことだと考えています。

ふと思い出したので引用しますが、敬愛するスピノザは自己満足についてこのように語っていました。「まことに自己満足は我々の望みうる最高のものである」(スピノザ『エチカ(下)』p64 岩波文庫)。

豊かになって価値が多様化し、ありふれたモノのためには誰もがんばれなくなった時代だからこそ、たとえそれが自己満足であれ、がんばる正当性を様々な形で創造し、循環させていく必要性がある。そう信じて日々精進していきたいと思います。

さて、僕の粗雑な議論の結論は脇に置いておくとして。

僕はその後のコメントのやりとりが嬉しく感じる。なかなかお会いして話すことはできないけれども、こうしてゆるやかな繋がりを保っていられることに感謝したい。ということで、Twitterをはじめた皆さん、その勢いでBlogもぜひどうぞ。

PS.ちなみに僕の後に続けてコメントを返してるgitacatさんは京都校での大恩人。道塾関係者は要チェックです。
2010年1月19日

輝く道塾スタッフたち。 ウェブスタッフ急募

道塾にとって「勉強法」はひとつの武器に過ぎない。技術やスキルといったこと以前に、まずスタッフ一人ひとりが抱く「塾生に成長してほしい」という想いが存在する。その想いを実現するために、塾生に寄り添い、そして勉強法を教えるということがある。

そうした道塾のスタッフに求められる素質は単純な受験技法ではなく、「情熱」をはじめとするトータルな人間力だと僕は考えている。だからこそ道塾のスタッフには「大学生として輝くこと」を大切にしてほしい。自分の本業である「大学生」として輝き(早稲田的によくある「サークル」に限らず、たとえば「学問」も含まれる)、人間力が鍛えられるほど、指導する塾生へ伝えられるものも増えると思うからだ。

昨夜、指導スタッフではないが、裏方で頑張っている道塾ウェブスタッフの木村が早稲田祭運営スタッフ新代表に決定したと聞いた。道塾スタッフ内においてはジョン(竹内)に続く二人目の運スタ代表。

木村の代表立候補は個人的にも応援していたし、日本最大規模と言える学園祭代表が道塾内から出ることは道塾スタッフが「大学生として輝く」という意味においても嬉しい。のだれども、一方で事業を運営する側の人間としては「さてどうしよう」という悩みも生まれる。

現在ウェブ制作をしているのはこの木村と、英字新聞や『早稲田魂』などを発行する「The WASEDA Guardian」の新代表になった(元塾生である)駒井の二人。豪華なウェブスタッフではあるのだが、そう遠くないうちに二人とも自分の責任を果たすことで忙しくなり、道塾のウェブ制作に集中する時間がなくなるのが目に見えている。

ということで、彼ら二人の代わりを務めてくれる道塾のウェブスタッフを募集します。条件は今の道塾ウェブサイトを見て、その程度は作れる自信があること(要実績)。待遇は能力・仕事量によって応相談。

道塾の入り口となるウェブは今年、かなり戦略的に作っていきます。トップスピードの中で伝説を作る一人となって、揉まれながら成長したいという意欲のある人を歓迎します。合いそうな人がいたら、ぜひ伝えてあげてください。
2010年1月18日

諦めないこと。最後まで戦うこと。

センター試験も終わり、ついに受験は終盤を迎える。僕らにとってはこれまでの指導が試される時であり、塾生にとっては人生の転換点となる時期。指導スタッフたちの緊張はピークに達するだろう。でも、受験生はそれ以上に張り詰めた時間を過ごしている。

彼らは押し潰されそうな孤独の中、未来に不安を抱きながら一人で世界と戦っている。これから僕らにできるのことは彼らに全力で寄り添うこと。道塾というシステムだからこそ、そして道塾のスタッフだからこそできることを大切にしていきたい。

諦めないこと。最後まで戦うこと。もっとも大事な時にどれだけ突き詰められるかで、その後の生き方も決まってくるから。

そう塾生に言い続けているけれど、それは僕ら指導する側の一人ひとりにも言えることだ。事業としてやっている以上、道塾はそろそろ来年度の準備を本格的に始めるけれども、塾生全員の入試が終わるまでその緊張感を持って指導に臨みたい。
2010年1月16日

自分が救われたもの。 打ち込めることの探し方

本気で打ち込めることを見つけるのは難しい。幸いにも僕は道塾という場を見つけることができたけれど、大学の2年から4年頃まで自分が小説家になるものだと思っていたから、その目標を失った時は何をすればいいか途方に暮れたものだった。

梅田望夫『ウェブ時代をゆく』にある「ロールモデル思考法」は自分の打ち込めるものを探しながら生き延びるための一つの方法だと思う。僕もそうだったし、他の多くの人もなんとなくやっているものだろうけれど、この文章に出会ってから僕は意識的に行うようになった。

「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
『ウェブ時代をゆく』 p119(第四章 ロールモデル思考法))

ただ僕が最近意識しているのはこのような「外界」に見つけるやり方ではなく、自分の内側を探す方法だ。引用部でも書かれている通り「漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう」から、「自分が救われたものは何か」を考え、それを手がかりにしている。

具体的には、たとえばウェブ。たとえば読書。あるいは先輩、仲間、家族。映画や音楽にもそうしたものがある。その中から、いつ、どんな風にそれと出会い、どのように自分は救われたのか。それを考えていくと澱のようなものが言葉として残る。その澱こそが打ち込めることであったり、本気で語れることであったりするのだ。

ただし、この方法にはひとつの危険がある。過去ばかり見て未来を見なくなってしまう可能性だ。たとえば大学生の多くが高校生に何かをしたがるような心情。それはそれでいいことだけれど、そこで止まってしまっては成長はない。そんな時にこそ「ロールモデル思考法」は過去と未来を結びつけるものとして役立つのだろう。

僕は「早稲田への道」を立てた時、今のように道塾に結びつけるつもりはなかった。無意識のうちにその危険性を感じていたからこそ最初の書き込みで「受験が終わったのにこんな場所に来るのはアホだ」と書いたのだと思う。

でも今は違う。僕にとって「救われたもの」である受験を通じて、より良い未来を創りだすことに本気で打ち込みたいという明確な思いがある。だからこそ、僕は道塾において過去の自分では知ることのなかったエネルギーが心の内に湧き上がってくるのを感じられるのだ。

「救われたもの」のエネルギーは絶大だ。そのエネルギーを上手く利用することさえできれば、未来を切り拓く原動力になる。僕は自分が過去に耽り、そこで止まってしまう危険性を認識しながら、一歩ずつ前に進んでいきたい。