旅というか、年に一度の家族旅行だった。母と僕と妹の3人だけの、のんびりとした旅行。行った先は、ほんとにもうそのまんまの、南の島だ。
青春18切符で西へ行く夜行を逃して江ノ島で野宿したり、金が尽きてアムステルダムの空港で寝ようとして警備員と言い争ったり(メシは醤油かけフランスパンに安い発泡酒だった…)、そういう貧乏旅行につきものの悩みとは無縁の1週間だった。こういうのも、たまにはいい。
僕らが向かったのは人口およそ500人の小島。小麦粉みたいな白砂のビーチが続き、海に入ればサンゴが息づいていた。透き通った水は緑から青へと何層にも変わり、シュノーケルをつければ色とりどりの熱帯魚に手が届く。すこし深みまで行けばウミガメと泳ぐことができ、タンクをかついで潜ればかわいいサメやマンタと会うことができた。
海から上がってビーチにいると、たまに欧米の観光客を見かけた。そのうちの何割かはトップレスだった。そう、憧れのトップレス・ビーチ! 男性諸君にはそれこそ天国みたいな島かもしれない。でも残念なことに、度胸のない僕はそれをずっと正視していることができなかった。
まぁでもとにかく。それを除けば、これほど美しい島なのにビーチには不思議なくらい人影がなかった。虫と鳥、そして波だけがその存在をわずかに主張していた。
互いのつながりを確認するかのように、島民はすれ違うと必ず声をかけあっていた。何か用がある時は握手をしていた。すっ飛ばしている車の中からですら、手で合図したりするのだ。静かな島の中で、そうしたささいなコミュニケーションを大切にできることが、東京に住む僕にはうらやましかった。5万人の中にいても孤独を感じる早稲田とは、だいぶ違う。
だが、おだやかに思える島も、目には見えないところで問題が起きていた。オゾンホールによる紫外線は日本の6倍という強さで、日焼け止めを塗らずに太陽の光を浴びると肌に痛みを感じる。30分も外に出ていたら大やけどを負って真っ赤になる。温暖化による海面上昇によってビーチ沿いの木々は侵食されていた。近くにあるツバルという島国はもうじき海中に没するらしい。
水平線の遥か彼方から、世界の発展のあおりを食らっている島と生き物たち。そんな場所に、僕はのうのうと観光客として行っていた。早晩この島も大々的にリゾート化し、今ある自然や人々の関係はますます失われていくことだろう。さらさらの砂浜に横たわりながら、僕はだいぶ前にネットで見つけたこんな話を思い出していた。
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メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって...ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
(作者不明)
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ビーチの木陰でそんな物思いに耽りつつ僕が読んでいた本は、奇しくもハーバードのビジネススクールに通った経歴も持った、小さな電話会社を世界有数のコングロマリットに導いた男の自伝だった。彼は働くことについて、こう書いていた。
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いつも人からたずねられる、あるいはだれもが自分自身についてたずねる質問がある。――もしもう一度人生をやり直すとしたら、違ったようにするか?私はそうは思わない。今、自分の過去のすべてを顧みる時、私は自分がビジネスの世界で過ごしてきたすべての歳月を楽しんだと断言できる。私は精いっぱい働くことが好きだった。私は同僚達とともに過ごした時間を楽しんだ。
(中略)
それ以上を求めるのは身のほど知らずというものだ。私は戻っていく仕事がある限りにおいてゴルフを楽しむ。たぶんそれは二つのことを意味していると思う。 ――私はゴルフが好きだということ、それと、私は仕事を必要としているが、すくなくともゴルフと同じぐらいに仕事が好きだということを。
ハロルド・ジェニーン 『プロフェッショナルマネジャー』P306
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メールもなくて、電話もなくて、久しぶりに気楽な毎日を過ごすことができた。でも、成田に着いてはじめにやったことは、携帯の電源を入れることだった。たくさんのメールと着信履歴を確認した僕は、なぜだかほっとしていた。
帰り道。まだすこし肌寒い日本の夜は、しかしとても心地よかった。乗り換えの日暮里駅で、大塚駅で、都電の早稲田駅を降りたところで、色々あるにせよ、僕はこの日本という島が大好きだと思った。僕には南国のリゾートよりも、東京の雑踏の方があっているらしい。すくなくとも今は。
家に帰る途中、神田川に沿って歩きながら、こみあげる幸福感を味わっていた。僕の周りにはたくさんの素敵な人がいて、僕にも彼らにも等しく未知の未来がある。僕は幸せ者だなぁと、心底から思った。
もう春だ。
明け方までバイトしていたコテツ君が帰るのを待って、彼の地で買ってきたビールで、進級確定の祝杯をあげた。おめでとう!
さて。つかの間の休息も、十分すぎるくらいとった。そろそろ来年度に向けて走りはじめようか?
【フォト】 平山ビルの僕らの部屋で、コテツ君がカレンダーに書いた言葉。僕らが実践できているかどうか、だいぶ疑問だが……。卒業を祝う段になったら、またすこし気持ちも変わるかな。3月から4月にかけては、今までの仲間と離れ離れになる分だけ新たな仲間と出会う、僕の大好きな季節だ。切なくもあり、楽しくもあり。涙あり、笑いあり。
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1 Comment:
>僕の周りにはたくさんの素敵な人がいて、僕にも彼らにも等しく未知の未来がある。僕は幸せ者だなぁと、心底から思った。
共感。全く同じことを、最近思ってる。
もう春だね、今後ともよろしく。
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