ドイツのライプチヒに「アウアーバッハスケラー」という古めかしい居酒屋がある。文豪ゲーテが通いつめ、『ファウスト』にも登場することで有名な、由緒正しきレストランだ。ここで、僕は日本人二人目のノーベル文学賞受賞者、かの大江健三郎に出会ったのだった。まだ僕が大学四年生で、小説家を目指していた頃のことだ。
彼はトーマス・マンの出版社の社長と二人でディナーをしていた。僕はその二年くらい前に、西日本を「青春18切符」で旅しながら『ファウスト』を読んでいた。ファウストの内容はよく分からなかったけれど、読み終えた達成感だけはあった。その舞台でノーベル文学賞受賞者に会うのも何かの縁だろうと考えて、緊張しながら、小説家を目指していますという旨を告げて、その時に着ていたジャージへのサインを頼んだ。
異国の地で若者に声をかけられて嬉しかったのか、それとも元々の性格なのかは分からないが、彼は気前よく僕の服にサインをしてくれた。押入れに封印してしまったので、細かな文言は今はわからないけれど、英語で「老いた小説家、未来の小説家に出会う」といったものだったと思う。インクが滲みにくい生地だったため、数分かけて、律儀に重ね書きしてくれたのをよく覚えている。
その後、家の近くの古本屋で、大江健三郎の全集のような原本集数十冊をを二万円くらいで手に入れた。あれは、半分過ぎくらいまで読んだところで、放置されたままだな。だって、文章が硬かったんだよ。いま読んだら楽しめるだろうなとも思うのだけれど、僕はその半年くらい後に小説家になるという夢を一旦封印して、それと共に、そのジャージも壁から取り外されてしまわれたのだった。でも、おかげで道塾を立ち上げられたんだけどね。
なんでこんな話をしているのかというと、僕の知人(というには僕の親父くらいの年齢の方なのだけれど)が、あるノーベル文学賞候補にもなった著者の作品の翻訳に携わり、その『ドナウ』という本を書店で見つけて感激した旨を写真と共にメールで送ったら、買いあぐねた原本(四千円くらい)を送ってくださるということから、いろんなことを感慨深く思い出したからだ。
ちなみに本書の翻訳者は、ドイツ文学の『ファウスト』やカフカの小説の翻訳で有名な池内紀。その翻訳に携わることになった彼が、以前に村上春樹と大江健三郎について書いたエントリーを読み返して、久しぶりに文学的なことを書きたい気分になったのもあるかもしれない。
最近は学生時代ぶりに、文学、特に海外の現代文学を読むようになった。起業してからの五年くらいは、意識的に文学や哲学を遠ざけていた。それでも、ビジネスへの解毒剤を求めるように触れてはいたけれど、今のように、純粋に楽しむということはできなかった気がする。最近は、そういうことを抜きに、心から文学や哲学を味わえていると思う。僕にとっては、ほんとうに喜ばしいことだ。
だって、文学も、哲学も、経営学も、人が主題であることに変わりはない。それはすべて、どこかでつながっている。大江健三郎も、スピノザも、ドラッカーも、僕の中ではすべてひとつながりの世界として通じ合っているのだ。同じように、たとえば社会学のウェーバーと、心理学のフロムと、経済学のマルクスは、僕にはほとんど同じことを言っているように思える。まぁ、それは当たり前のことかもしれないけれど、でも、そうやって、僕の世界は「人」を軸にして広がってきた。
彼が送ってくれると言った「ドナウ」を熊谷の書店で見つけて、パラパラとめくって感じたのは、とんでもなく難しい書物だということ。エッセイ風に書かれてはいるが、西欧の文化に通じていないと、現代の『ファウスト』のように読むことが億劫に感じられる気がした(実際、青春18切符の鈍行旅行でなければ、当時の僕にはファウストは読みきれなかったと思う)。
でも、こうしてその出版に携わった人からのメッセージをもらえることで、その「遠さ」は随分と軽減された気がする。それに、10年くらい前と比べれば、僕も僕なりにいろんなことを知った。たとえば僕にとって、ドナウはオーストリア、ハンガリー、チョコの三カ国へ訪れた、学生時代最もと言っていいほど思い出深い国々を貫く流れだ。
振り返ると、僕には素晴らしい思い出ばかりある気がする。いや、当時は、一緒に行った人と喧嘩ばかりしたりもしていたけれどね。でも、今ではそれもいい思い出です。そうしたことは、分かりやすい海外への旅路ではなく、29年間の日々の積み重ねとして、ひとつひとつ忘れることのできない記憶だ。そのような、言葉では伝え難い思い出が、僕の胸の中にだけは生き続けている。
そんな日々を送らせてくれているのは、おそらく、他でもない、これを読んでくれているあなたです。そうした一人一人との付き合いの中で、僕は、今これを書いている僕自身を立ち上げてきたんだと確信しています。いろんなことが起こるけれど(それは10代の頃に想像していたのよりはるかに濃密だけれど)、でも、それを味わいながら生きていきたいなと思う。
いつだって、僕の人生の真ん中には「人」という大河が流れている。それを追ってさえいれば、どんな荒野にたどりついたって、きっと、迷うことはないのだと思う。だから、僕は僕なりに、その流れを追って行きたい。やがて、その流れが母なる海へと還流するその日まで。
「パンタ・レイ」というのは、古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスの言葉だ。意味は「同じ川の流れは二度と来ない」みたいなものだったか。この日本的な言い回しを、僕はずっと好んできた。実際、僕らの人生はそのようなものだと思いませんか。だからこそ、その一瞬一瞬の流れの奇跡を、味わい尽くしていきたい。
さて、これからの僕の人生には、どんなことが起こるのやら、ね。
そして、あなたの人生にも。
2012年12月6日
「学欲」若者よ、野性を取り戻せ。
このブログは誕生日の報告用みたいに放置されているけれど、僕にとっては、とても大切な場所であることに変わりはない。本当は12月2日に書きたかったのだけれど、その日は我が家でパーティーをやっていて余裕がなく。その後も所用で実家に帰ったり、予定していた社員合宿があったりして、ドタバタしたまま今日に至ってしまった。
ということで、事後報告になってしまうけれど、ここでお知らせします。2012年12月2日、僕の29回目の誕生日に、人生で二冊目となる書籍を出版しました。ただし、今回は紙メディアではなく電子書籍として。
この書籍の出版までは、ほんとーーーーーーーーーに、いろんな紆余曲折があった。それについてはここでは書かないし、本書の中でも書いていない。知っている人は知っている通り。それを詳らかにできるのはだいぶ先になると思う。でも、とりあえず、これが、そういう紆余曲折を経た29歳の僕の到達点。それを、こうして公開することができて、本当にほっとしている。
うわっつらのハウツーを書くつもりはさらさらなかった。この本に書いたことは、僕の生きてきた重みをすべて乗せたつもり。「頭で読む本」ではなく「心で読む本」として。それで軽いとすれば、あるいは、弱いとすれば、僕の生きてきた日々はそれまでだということ。でも、まぁ、それならそれで諦めもつく。そう思って、全力で書いてみました。
ちなみに、著者はアマゾンでの販売部数を追えるのだけれど、初日はわずか4部だった。前の本は1万部だったんだけれどね。4部って、もはや冗談みたいな数字じゃないですか。でも、たった4部でも、前に出した本に負けないくらい嬉しい。なにより、気持ちいい。前の本は、半分はハウツー本だと割りきって書いた部分も多かったけれど、今回は、僕が本当に書きたかったことを、好きなように書けた。その結果として、大手の出版社から紙メディアで出す話はお流れになってしまったけれど、でも、それはそれでいい。
本当に届くべき人に、一人でも多く届いてほしい。ただそれだけを願ってます。強がりじゃなく、今はそう言える。あとは、会社が潰れずに回っていきさえすれば、なにひとつ問題はない。でも、それも、会社自体がだいぶ小さくなったし、どんなことが起ころうとも、たいした問題はないでしょう。これだけ小さければ、どうにでもなる。だからこそ、僕はこれからも信じたことを、ただひたすらに追い続けていく。これまでもそうやってきた通り、これからもそうやっていきたい。
いやー、そのせいで、しんどいことや泣きたいことはたくさん起こるだろうし、事実起こってきたけれど、それもひっくるめて、人生楽しいし、これからも楽しみだと心から思います。そういう29度目の誕生日を祝ってくれた人たち、そういう29年間を送らせてくれた出会ったすべての人たちに、感謝。
書きたいことは、ほとんど本書の中に詰め込んだ。だから、ここでは詳しくは語らない。ぜひとも、読んでください。僕は頭を下げての頼み事をしないつもりで生きているのだだけれど、今日だけはします。ぜひとも、この本を読んでください。いいなと思ってもらえて、読ませたい人が思いついたなら、勧めてあげてください。どうか、よろしくお願いしますm(_ _)mペコリ
Amazon Kindleのほか、iPad、iPhone、Android端末等でも読めます(要Kindleアプリ)。100円なので、アマゾンで購入して読んでもらえると嬉しい。買えない人は、ウェブでフリーで公開していて、印刷もできるのでそちらでどうぞ。ある塾生は「正月のお賽銭みたいなものですね」と言って、スカイプの向こう側のiPhoneで買ってくれた。泣けるぜ。ちなみに、現在、アマゾンKindleの「教育・学参・受験」や「教育学」コーナーでそれぞれ3位につけてますが、1日5部くらいでこの順位なので、10部くらい売れたら1位になるかもしれません。笑 というわけで、どうぞよろしく。
最後に。
申し訳ないのだけれど、本書は誤植がたくさんあります。Kindleで出版すると決めてから、初稿からの推敲期間が10日しかなかったので、最後の詰めが甘くなってしまいました。それは今月中にすべて修正するので、その点だけ、目をつむってもらえるとありがたいです。スピード重視で、こういう風に動けるのも、電子メディアならでは。そういう方が僕らしいかなと思って、今年は機動力重視でガンガン攻めるつもりです。
振り返れば、この1年間は、これから5年10年と攻め続けるための準備期間でした。僕にとっても、僕ら道伴舎全体にとっても。でも、おかげでもう準備体操はばっちりで、体もだいぶあったまってきて、やや物足りないくらいなので、そろそろギアを入れ替えていきます。トップスピードで全力疾走するのも、そう遠くなさそうだ。そういうことは、20代前半によく言ってた気がするけれど、30歳も目前のこの歳になって、そんなことまだ言ってるなんて、さすがに当時の僕も想像できなかったよ。
でも、そんな人生も、悪くはない。
というわけで、29歳の僕とも、よろしくお願いします。今年も、たくさん旨い酒を飲みましょう!
2012年12月30日 追記
誤植を修正し、完成版をアップロードしました。
ということで、事後報告になってしまうけれど、ここでお知らせします。2012年12月2日、僕の29回目の誕生日に、人生で二冊目となる書籍を出版しました。ただし、今回は紙メディアではなく電子書籍として。
この書籍の出版までは、ほんとーーーーーーーーーに、いろんな紆余曲折があった。それについてはここでは書かないし、本書の中でも書いていない。知っている人は知っている通り。それを詳らかにできるのはだいぶ先になると思う。でも、とりあえず、これが、そういう紆余曲折を経た29歳の僕の到達点。それを、こうして公開することができて、本当にほっとしている。
うわっつらのハウツーを書くつもりはさらさらなかった。この本に書いたことは、僕の生きてきた重みをすべて乗せたつもり。「頭で読む本」ではなく「心で読む本」として。それで軽いとすれば、あるいは、弱いとすれば、僕の生きてきた日々はそれまでだということ。でも、まぁ、それならそれで諦めもつく。そう思って、全力で書いてみました。
ちなみに、著者はアマゾンでの販売部数を追えるのだけれど、初日はわずか4部だった。前の本は1万部だったんだけれどね。4部って、もはや冗談みたいな数字じゃないですか。でも、たった4部でも、前に出した本に負けないくらい嬉しい。なにより、気持ちいい。前の本は、半分はハウツー本だと割りきって書いた部分も多かったけれど、今回は、僕が本当に書きたかったことを、好きなように書けた。その結果として、大手の出版社から紙メディアで出す話はお流れになってしまったけれど、でも、それはそれでいい。
本当に届くべき人に、一人でも多く届いてほしい。ただそれだけを願ってます。強がりじゃなく、今はそう言える。あとは、会社が潰れずに回っていきさえすれば、なにひとつ問題はない。でも、それも、会社自体がだいぶ小さくなったし、どんなことが起ころうとも、たいした問題はないでしょう。これだけ小さければ、どうにでもなる。だからこそ、僕はこれからも信じたことを、ただひたすらに追い続けていく。これまでもそうやってきた通り、これからもそうやっていきたい。
いやー、そのせいで、しんどいことや泣きたいことはたくさん起こるだろうし、事実起こってきたけれど、それもひっくるめて、人生楽しいし、これからも楽しみだと心から思います。そういう29度目の誕生日を祝ってくれた人たち、そういう29年間を送らせてくれた出会ったすべての人たちに、感謝。
書きたいことは、ほとんど本書の中に詰め込んだ。だから、ここでは詳しくは語らない。ぜひとも、読んでください。僕は頭を下げての頼み事をしないつもりで生きているのだだけれど、今日だけはします。ぜひとも、この本を読んでください。いいなと思ってもらえて、読ませたい人が思いついたなら、勧めてあげてください。どうか、よろしくお願いしますm(_ _)mペコリ
Amazon Kindleのほか、iPad、iPhone、Android端末等でも読めます(要Kindleアプリ)。100円なので、アマゾンで購入して読んでもらえると嬉しい。買えない人は、ウェブでフリーで公開していて、印刷もできるのでそちらでどうぞ。ある塾生は「正月のお賽銭みたいなものですね」と言って、スカイプの向こう側のiPhoneで買ってくれた。泣けるぜ。ちなみに、現在、アマゾンKindleの「教育・学参・受験」や「教育学」コーナーでそれぞれ3位につけてますが、1日5部くらいでこの順位なので、10部くらい売れたら1位になるかもしれません。笑 というわけで、どうぞよろしく。
最後に。
申し訳ないのだけれど、本書は誤植がたくさんあります。Kindleで出版すると決めてから、初稿からの推敲期間が10日しかなかったので、最後の詰めが甘くなってしまいました。それは今月中にすべて修正するので、その点だけ、目をつむってもらえるとありがたいです。スピード重視で、こういう風に動けるのも、電子メディアならでは。そういう方が僕らしいかなと思って、今年は機動力重視でガンガン攻めるつもりです。
振り返れば、この1年間は、これから5年10年と攻め続けるための準備期間でした。僕にとっても、僕ら道伴舎全体にとっても。でも、おかげでもう準備体操はばっちりで、体もだいぶあったまってきて、やや物足りないくらいなので、そろそろギアを入れ替えていきます。トップスピードで全力疾走するのも、そう遠くなさそうだ。そういうことは、20代前半によく言ってた気がするけれど、30歳も目前のこの歳になって、そんなことまだ言ってるなんて、さすがに当時の僕も想像できなかったよ。
でも、そんな人生も、悪くはない。
というわけで、29歳の僕とも、よろしくお願いします。今年も、たくさん旨い酒を飲みましょう!
2012年12月30日 追記
誤植を修正し、完成版をアップロードしました。
2012年9月2日
裸になりたい。
10年前を振り返れば、自分の弱さを乗り越えるために鎧を身にまとおうとしていた。それは不安に苛まれる青年に共通する行動なのだと思う。世界のことをもっとよく知り、知的にも心的にも武装し、自分の弱さを克服しようとする。そのような欲求を抱く青年は、僕は好もしいと思う。
でも、その頃から10年くらいの月日が経って思うのは、そのようにして鎧を身にまとった人たちは、ずいぶんと動きが鈍くなったなということ。それは自分を見ても、同じように歳を取った人々を見ても思う。心が震えることもなくなり、自分が一度築いた視点から離れることができない。そんな戦士に、鎧の上に張り付いた過去の勲章を剥がす勇気は、もはやない。彼にできるのは過去の反芻だけであり、それは老人と呼ぶべきだろう。
そのような戦士は、おそらく青年の頃よりも弱くなってしまっている。本当の強者は、裸で立っているのだ。素っ裸で、自分の二本の足で、その足裏で大地を踏みしめていられる者こそが、真に生きていると言えるのだ。青年として生きはじめてから10年経った僕は、ずいぶんと弱くなってしまったな、と思う。
無防備だった青年時代の僕は、ひょっとすると何かの一撃で死んでしまっていたかもしれない。いまの僕は、ちょっとやそっとのことでは逃げ出さない。斬りつけられたり傷めつけられたりしても、悲鳴をあげることはないだろう。それはある意味では強くなったのかもしれないが、生身の僕の体は、きっと鎧を幾重にもまとったことによって弱くなってしまった。
真に裸になって生きている人には、相手がぼろの布切れのままで生きているのか、鎧をまとって生きているのか、それとも鎧をはがしながらいきているのかは、一瞥しただけで分かるのだろう。そして、僕はまだ鎧をはがしはじめてさえいない。
これから僕がしていきたいことは、鎧を一枚ずつ剥がしていくこと。そして、裸になっていくことだ。それが僕が僕として真に生きるということなのだ。
僕らが生きている上では、とりわけ若い頃は、積み上げて生きざるをえない。若さゆえに、そしてサバイバルするためにも、それは現実的に避けて通ることはできない。でも、ふっと10代の頃のように生きるとは何かと真剣に考えた時に、20代の節目においていつも、「つみへらす」という、最初に知った時にはよく理解できなかった岡本太郎の言葉を思い出していた。
つみへらすとは、裸になるということなのだ。年齢などという常識にあえて縛られてみるとすれば、30歳からの10年という大切な時間を「つみへらす」ことに自覚的に生きる。そのようにして、僕は30代という時期に踏み出していくことになるだろう。
20代の終わりというのはもうすこし大人なのかなと思っていたけれど、最近思うのは、まだ小学校を卒業するくらいなんだなぁということ。世界は未だに知らないことだらけだし、僕は10代の青年時代よりもまして未熟になった。でも、そのような気持ちで中学校に踏み入るのは、なかなか悪くない。
鎧を剥がし終わり、最後の兜を取った後に見える自分の表情がどんなものなのか。それを楽しみに、また新たなステージに入ることにしよう。
(ま、とはいえ、僕はまだしばらく28歳なんですけどね・・・!)
でも、その頃から10年くらいの月日が経って思うのは、そのようにして鎧を身にまとった人たちは、ずいぶんと動きが鈍くなったなということ。それは自分を見ても、同じように歳を取った人々を見ても思う。心が震えることもなくなり、自分が一度築いた視点から離れることができない。そんな戦士に、鎧の上に張り付いた過去の勲章を剥がす勇気は、もはやない。彼にできるのは過去の反芻だけであり、それは老人と呼ぶべきだろう。
そのような戦士は、おそらく青年の頃よりも弱くなってしまっている。本当の強者は、裸で立っているのだ。素っ裸で、自分の二本の足で、その足裏で大地を踏みしめていられる者こそが、真に生きていると言えるのだ。青年として生きはじめてから10年経った僕は、ずいぶんと弱くなってしまったな、と思う。
無防備だった青年時代の僕は、ひょっとすると何かの一撃で死んでしまっていたかもしれない。いまの僕は、ちょっとやそっとのことでは逃げ出さない。斬りつけられたり傷めつけられたりしても、悲鳴をあげることはないだろう。それはある意味では強くなったのかもしれないが、生身の僕の体は、きっと鎧を幾重にもまとったことによって弱くなってしまった。
真に裸になって生きている人には、相手がぼろの布切れのままで生きているのか、鎧をまとって生きているのか、それとも鎧をはがしながらいきているのかは、一瞥しただけで分かるのだろう。そして、僕はまだ鎧をはがしはじめてさえいない。
これから僕がしていきたいことは、鎧を一枚ずつ剥がしていくこと。そして、裸になっていくことだ。それが僕が僕として真に生きるということなのだ。
僕らが生きている上では、とりわけ若い頃は、積み上げて生きざるをえない。若さゆえに、そしてサバイバルするためにも、それは現実的に避けて通ることはできない。でも、ふっと10代の頃のように生きるとは何かと真剣に考えた時に、20代の節目においていつも、「つみへらす」という、最初に知った時にはよく理解できなかった岡本太郎の言葉を思い出していた。
つみへらすとは、裸になるということなのだ。年齢などという常識にあえて縛られてみるとすれば、30歳からの10年という大切な時間を「つみへらす」ことに自覚的に生きる。そのようにして、僕は30代という時期に踏み出していくことになるだろう。
20代の終わりというのはもうすこし大人なのかなと思っていたけれど、最近思うのは、まだ小学校を卒業するくらいなんだなぁということ。世界は未だに知らないことだらけだし、僕は10代の青年時代よりもまして未熟になった。でも、そのような気持ちで中学校に踏み入るのは、なかなか悪くない。
鎧を剥がし終わり、最後の兜を取った後に見える自分の表情がどんなものなのか。それを楽しみに、また新たなステージに入ることにしよう。
(ま、とはいえ、僕はまだしばらく28歳なんですけどね・・・!)
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