2008年9月16日

オリンピックと敬老の日

 敬老の日、久しぶりに群馬県に住む祖父に会いにいった。

 今年で85歳になる祖父は、ここしばらく体調を崩していて、家と病院の往復が続いていると聞いていた。葬式の段取りまですべて自分で整え、死ぬ準備万端といった感じで、あとは死ぬだけだとよく口にしていたが、いざ体調を崩すと弱気になっているらしかった。すこしでも元気付けられればいいなと思って病室のドアを開けた。

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 僕は祖父と住んでいた時期がある。高校に入ってから辞めてしばらく経つまでの2年半くらいと、受験勉強に本格的に打ち込むようになってからの半年間くらいの2回、計3年ほど。父親との記憶が少ない僕にとって、祖父との生活は「男」という存在を身近で感じたはじめての経験だった。

 ちょうど8年前の今頃も祖父の家にいた。僕は学校にも行かず、家でネットをするか、ゲームセンターに行くかという生活をしていた。テレビではシドニーオリンピックが行われていて、高橋尚子や井上康生を中心に、たいそうな盛り上がりだった。祖父と共に画面に映る輝かしい人々を見ながら、なぜだか苛立っていた僕は、「こんなやつら大したことない。才能があれば、あとは体動かすだけなんて誰でもできる」というようなことを口にした。

 僕の祖父は努力の人だ。中学から大学まで学びながら柔道を続けた。戦争では仲間の多くを失うという経験もしている。その後は日本の成長に合わせるように、ひたすらに学び、働いて生きた。だから僕の言葉が許せなかったのだろう。「お前は何もしてないくせに、彼らを批判する権利なんてない」と本気で怒鳴られた。

 祖父のその言葉は、論理的には間違いないような気もしたが、しかし僕の中ではわだかまりが消えなかった。でも当時はその理由が分からず、僕は口をつぐむしかなかった。

 今ならわだかまりが生じた理由も言葉にできる。パソコンとゲーセンの往復とはいえ、僕は僕なりに精いっぱい生きていたのだ。周りからはまったく評価されなかったけれど、自分なりの限界で生きてはいた。自分が社会的にダメなのも分かってはいたが、それを認めるのは人生における敗北のような気がした。だから、金メダルを胸にぶら下げた人々を批判することで、なんとか自分のプライドを保とうとしていたのだと思う。それは、けっこう苦しい戦いだった。

 今ならこう言うことができる。努力できることは素晴らしい。その一方で、努力したくてもできないことや、自分なりに努力しても人に認められないこともある。だから、努力できない人や、努力していないように見える人がいても、そのこと自体を批判すべきではない。

 努力できることは才能であり、才能が備わっているというのは、幸運と出会えたということなのだ。幸運に出会った者はそのことに感謝するべきであって、幸運に出会っていない者を非難する権利はない。これは今の僕の信念でもある。

 僕は、すばらしく幸運な道を歩んでこれたと思う。もう少し踏み外していたら、わだかまりを言葉にすることもできないまま、群馬の片隅で世を恨みながらひっそりと一生を終えていただろう。似たような境遇を経た人が事件を起こし、ニュースで報道されるたびに、自分がそうなった可能性はゼロじゃないと思う。

 だから、自分の幸運を活かしたいと思ってる。大げさかもしれないけど、そうした使命感が僕を突き動かしている。道塾や東京家学も、それなしにはやってこれなかった。努力すれば未来が開けるということを、僕は伝えたい。大変なこともたくさんあるけれど、夢や目標を追い続けるという生き方は、一度しかない人生においては悪い選択じゃないぜ、と言い続けるために、僕は走り続ける。

 そんな正論を斜に構えて眺める人がいるのも知ってる。努力をすることがすべて報われるわけではないし、そうじゃない幸せのカタチもあるだろう。ただ、努力することを知らないまま、世の中を否定したまま生きるのはあまりにもつらく、悲しい。そこから抜け出す道筋をすこしでも照らせればいいなと思って、僕は語り続ける。

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 病室で、すこし弱々しく見えた祖父と話しながら、自分の過去と今とを思い比べていた。

 一緒に住んでいた頃は反抗ばかりしていて、お世辞にもいい関係とは言えなかった。口論の末に(柔道の)小内刈りをかけられたこともある。昨日、「行くよ」と言った電話では相変わらず「来なくていい」なんて言っていた。そんな祖父が、実際に病室まで会いに行くと嬉しそうにビールを何杯も注いでくれた。そのたびにちいさく乾杯をした。最近の僕の話をして、祖父の繰り返される昔話を聞いた。そのうちラバウル小唄まで歌いだすくらいに盛り上がり、互いにだいぶ酔いもまわったところで、あまり遅くならないうちにと病室を後にした。

 付き添いの人が、祐平さんが来たからあんなに喜んでいたのよ、と言ってくれた。今度は敬老の日じゃない日も敬老しに来ようと思ったけれど、祖父との間でこんなことを思うなんて、と今この一行を書きながらちょっと感慨深く感じてる。昔の僕と祖父みたいな関係にある人に、この文章が届くといいな。


 【フォト】 メガピの地球感謝祭へ向けた練習風景。9月23日の本番へ向けて、人がどんどん集まっている。いつも通りギリギリまで募集してるので、参加しようと思った人は僕なりジョンなり戸塚ちゃんなりに連絡ください。一緒に歌いましょう!
2008年9月13日

速報 新聞掲載


東京新聞の本日付(9月13日)の夕刊、
社会面に東京家学が掲載されます。
ウェブ記事はこちら。

出かける直前なので、取り急ぎ。

半年かけて、準備は整った。
いよいよエンジン始動です。
こっから一気にスピード上げてくよ…!
2008年9月12日

100冊、10000人


 大学に入ってから3年目が終わるまで、ひたすら本を読んでいた。特に夏場は暑いので、引きこもって朝から晩まで読んでいることも多かった。僕は気に入った著者の著作は片っ端から読む癖がある。そんな時期は自分の文体にまで影響が出て、僕が書く文章のスタイルはコロコロ変わっていた(いちばんひどい時は完全に村上春樹調だった)。

 そうした日々を経て、大学3年を終える頃には自分なりの「思考の核」ができた。それからは「読書よりも行動」と決めて、「思考の核」を実践によって磨き続けてきた。その結果たどりついたMEGA PEACEという舞台の後、今年からビジネスという新しいステージに入り、それまでとは違う読書を必要とする時期になった。

 ビジネスの世界に足を踏み入れてから、以前にもまして「役に立つか、立たないか」という視点で読むようになった。「趣味の読書」から「学ぶための読書」へと変わった結果、読書スピードがぐっと上がり、吸収率も増した。その中核にあったのは、「午前8時の積ん読」という読書メモを記録していくblog。

 5月16日から1日1冊、余裕をもって年間300冊を目標に読み続けてきて、約4ヶ月、120日で100冊を読み終えた。同時に、訪問者数も10000を超えた(滅多に更新しないブログによくこれだけ人が来るなと思う。ありがとうございます)。しばらく専門書が増えそうなのでペースは落ちる(出費は増える…)だろうけれど、読書スピードを上げることで年間300冊ペースは維持していきたい。

 小さなことをひとつひとつを積み重ねて、ふと振り返ってみると、意外なほど大きく積み上がっていた。読んできた100冊の一覧を眺めていて嬉しくなった。進みたい方向へ、少しずつだが進めている実感がある。次の100冊を読み終わる頃には、どんな自分になっているか、楽しみだ。


 【フォト】 最近、固有の素敵なストーリーと志とを持つ人に会う機会が多い。写真は早稲田リンクス元代表の友廣くんが主催したSocial Designer's Communityの第一回集まり@Cafe MOEU。この日の参加者は起業家、MBA学生、NGO代表等々…。汗をかいて社会を変えている人たちと話すのは楽しい。
2008年9月8日

志を握り続けて

 清野という学部の友人がいる。ちょっと変わった奴で、奇行を書き出すとキリがないが、「早稲田踊り」を作って広めたり、ケニアに半年くらい植林しに行ったりしてた。彼とは真夜中に裸足で一風堂を食べに行ったり、六本木のクラブでパフォーマンスをしたり、大隈講堂でフォークダンスを踊ったりした。

 その彼が学部を卒業して就職したのは「日本熊森協会」という団体。会員数2万人、日本 3位の環境保護団体というと聞こえはいいが、2人の専従スタッフ(彼はそのうちの1人)とわずかのアルバイトを除けば、会長をはじめとするほぼ全ての人のボランティアで成り立っている団体だ。京都の院へ進むと思っていた彼が、そこに就職すると決めた時、「おいおい、大丈夫かよ」と僕を含めて誰もが心配したと思う。

 でも、昨日会った彼は、自分の道を快走しているように見えた。都内の大学で開かれたシンポジウムで、500人くらいの聴衆を前に語り(僕は間に合わず聞けなかったが)、十数人の森のプロ達に質問されても堂々と受け答えしていた(質問した人の一人は納得して、金を払って入会していた)。会場を忙しく走り回る姿は、いかに彼がこの団体の中で必要とされ、活躍しているのかを雄弁に物語っていた。ちょっと聞いた話だと、最近どこかから推薦をもらって、タイへ1ヶ月研修に行くことが決まったらしい。

 清野が話した最後に、会場で一緒になった友人(てっちゃん)が手を挙げて聞いていた。「若者が、戦争のこととか、環境のこととか、自分以外のことに関心を持たなくなっている。そのことについてどう思いますか?」 頷きながら聞いていた清野は、「熊森の会員で若い人は1%くらい。増やさなきゃならないと思う。僕は、その若者を増やす役目を果たしたい」というようなことを答えていた。具体的にも各大学を回ったりすることを考えているらしい。。。

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 自分のことをやるのに精一杯で、寄り添える他者の数には限界がある。最近それをつくづく感じる。家族とか、大切な人や、心から泣き笑いできる仲間、それで手一杯だ。下手すりゃそれすらも満足にできていなくて、他者や世界のことなんて考えるのはおこがましいのかもしれないとも思う。

 でも、だからこそ。

 だからこそ、自分の生き方の軸を、他者や世界という自分以外の方向に向けることを忘れないでいたいのだ。清野が熊や森といった自然と、そこに生きる人々を守ろうとするように、僕も、胸の奥にある志を、しっかり握って離さずに、生きていきたいのだ。決して楽ではないけれど、タフネスさえあれば生き延びていける道だと思う。その道の先でしか見えない景色を見るために、僕は僕なりに進んでいく。そういう生き方も素敵だなと感じてもらえるよう、行動と結果でもって証明し続けていく。

 【フォト】 会場の武蔵大学と、清野&母。/熊森協会の無料会員は、ウェブからメール一本でなれます。その受付は、だいたい清野がしているみたい。メールを送ると、彼がまたひとつエネルギーをもらって、タフになれると思う。よかったら応援してあげてください。/江古田には初めていったのだけれど、素敵な、西武線のお手本みたいな街だった。そういうところをぷらぷら歩いて、適当な店に入って、適当なビールを飲んで帰る。最高だ。でも、そんな生活はしばらく送れそうにないなぁ…。苦笑

 【最近見つけたちょっといいもの】 北京を駆け抜けたアスリート達
2008年9月1日

表情の豊かさ


 先日、早稲田大学の専属カメラマンとなりつつある草苅くんに協力してもらって、「道塾」のスタッフ紹介ページに掲載する写真を撮影した。撮影会は「東京家学」のウェブサイト用に続いて二回目。

 東京家学では「親しみやすさ」や「誠実さ」がコンセプトだったのに対して、道塾では「本気さ」や「真剣さ」を打ち出すことが目的。本気の写真といったら「NUMBERの表紙だろ」(スポーツ雑誌のね)ということになって、「NUMBERっぽい?」という基準によって選ばれたのがこの4枚

 ププッ、っと吹きだしてるそこの君!俺らだって恥ずかしいんだよ!と声を大にして言いたいけれど、正直言って現場のノリで盛り上がりすぎたとすこし反省してます。さすがにNUMBERはきつかったかな…、と。笑 特に撮影のディレクターであるジョンがエロい感じになってるのがね…!

 まぁでも、現在のサイトに合う合わないはともかく、みんなの表情自体はいいなと思ってる。今年度中に道塾のウェブサイトを東京家学並に全面リニューアルするので、それまではこれで行きます。もうちょい緩い感じのカラー集合写真を近々撮影&アップして、とりあえずの更新作業は終わり。こちらは晴れてる日に大隈講堂前で撮るつもり。

 それにしても。

 今回は一人につき数十枚ずつ、前回の東京家学の時は数百枚くらいずつ撮ったのだけれど、その一枚一枚の表情の違うこと。ある一瞬を切り抜いた写真を、時間軸に沿って無数に並べてみると、ひとりの人間の持つ顔の多様性に気がつける。「そんな顔するんだ!」という驚きがある。

 現実には、僕らは目の前にいる人の表情すらも自分のイメージで勝手にねじ曲げてしまう。より簡単に、分かりやすく、単純化させてしまう。そうすることで判断する数を減らし、効率的に生きられるという動物的進化の結果なのだろう。でも、それは精神的な怠惰なんじゃないだろうかと僕は思う。

 人間が本性上備えている「色眼鏡」をはずすことができれば、世界の表情はそれまでと違う豊かさを示す。稀なことではあるけれど、それは生きていて数少ない心ふるえる瞬間だ。芸術は、それを求め続ける過程で生まれるものだと僕は思う。その感覚を忘れないために、どんな荒波の中でも自分の感性を磨き続け、世界の発するひとつひとつのシグナルをしっかりと受け取め続けていきたい。

 このblogの写真は EXILIMケータイでさくっと撮影してる。腕次第でこれほど素敵な表情を撮れのるかと思うと、すこし勉強しようかなという気になる。そんな素晴らしい写真の魅力を僕に教えてくれる草苅くんのblog、「東京、ジャマイカ、パイナップル(略して東京パイン)」もぜひどうぞ。


 【フォト】 撮影中の1コマ。いろんな機材搬入して、こんな本格的な撮影ははじめて・・・。草苅くんの機材が日に日にパワーアップして、もはや後戻りできないエリアに踏み込んでいるような気がした。もちろん僕は、そういう踏み込み方を応援したいのだけれども。