言いだしっぺの清野の携帯が絶妙のタイミングで止まったため(受信はできるみたい)、僕からも告知。笑 夜に備えていま後ろで寝てる。。。
清野のblogにも書いてある通り、今日は昼過ぎから卒業パーティーをやります。ご存知の通り、清野はこの後しばらく関西へ行って帰ってきません。僕は夕方から政友会の追いコンに行くので途中抜けするけれど、清野ら辺に会いたそうな人いたら声かけて立ち寄ってください。てっちゃんとかもくるハズ。場所は僕の事務所です。
【フォト】 昨日は僕の愛する後輩たちの卒業式でした。おめでとう…!
2008年3月20日
人生のスピードが速くなってきた。
大学時代を自分の足で走っていたとすれば、今は自転車で全力疾走しているような気分だ。そのスピード感に自分自身、驚いている。時間の感覚が変わり、世界の見え方が違ってくる。そんな道を自分が本当に歩むなんて。
そんな日々でも、そのスピードを緩めることがある。ふっと昔に戻って、懐かしい時間の流れに身を任せることがある。
昨日の夜、大学時代の前半のすべてだったサークル、政友会の同期飲みだった。
在学中に結婚してパパになった奴もいれば、その美貌で1年目にして会社案内に載った奴もいる。不動産でバリバリ働いている奴もいれば、学者や裁判官の卵になった奴もいる。政治サークルの一員として日本の未来について熱く語っていたのが懐かしい。気づけば政治の道なんて誰も進んでいない。
それでも。
僕の同期たちは面白いままだった。心のどこかではこの世界をよくしたいという思いを抱いたままな気がした。大坂邸から届いた東京エイティーズを読み終えたばかりだったから、よけい感慨深かったのかもしれない。
青春。ほんとに青春だった。
政友会にいた頃、長く付き合っていた同期の子がいた。深く愛してた、と思う。昨日会ったらますます可愛く、素敵な女になっていた。その彼女が、驚いたことに、僕の仲間のひとりと付き合うことになった。彼女からそう話してくれた。翌朝には、相手となる男からもメールがきた。
その前の日に出会ったばかりの二人だから、いつのまに!と思うような一瞬の出来事だったのだけれど、わざわざ俺に断りを入れてくれるなんて、ほんといい奴らだよお前ら。笑 前にも書いた通り、別れざるをえなかった相手が新しい幸せを見つけるのは、俺にはすごく嬉しいことなんだ。俺の信頼する仲間なんだから心配もない。ふたりが幸せな日々を送ることを心から祈ってるよ。
またひとつ、過去が思い出のアルバムにしまわれた。過去が過去として現在からきっちり切り離されることで、僕の体は今を生きるべく軽くなる。僕はこれからもっとスピードをあげていくだろう。自転車からエンジンを積んだ車になり、空を飛ぶ飛行機になり、大気圏をも越えて、いつか光よりも速くなる。
みんなへ。
お互いギアをあげて走り続けていこう。20年後も笑って飲んでいたいから。
そろそろ俺も、次の恋愛を見つけようかな?
【フォト】 先日やった、「教師の卵」飲み@高田荘。楽しくて飲みすぎて、何話したか覚えてないや。そのままメガピ合宿行って暴言吐いてたなぁ。迷惑を被った人たちごめんなさい!
人生のスピード
人生のスピードが速くなってきた。
大学時代を自分の足で走っていたとすれば、今は自転車で全力疾走しているような気分だ。そのスピード感に自分自身、驚いている。時間の感覚が変わり、世界の見え方が違ってくる。そんな道を自分が本当に歩むなんて。
そんな日々でも、そのスピードを緩めることがある。ふっと昔に戻って、懐かしい時間の流れに身を任せることがある。
昨日の夜、大学時代の前半のすべてだったサークル、政友会の同期飲みだった。
在学中に結婚してパパになった奴もいれば、その美貌で1年目にして会社案内に載った奴もいる。不動産でバリバリ働いている奴もいれば、学者や裁判官の卵になった奴もいる。政治サークルの一員として日本の未来について熱く語っていたのが懐かしい。気づけば政治の道なんて誰も進んでいない。
それでも。
僕の同期たちは面白いままだった。心のどこかではこの世界をよくしたいという思いを抱いたままな気がした。大坂邸から届いた東京エイティーズを読み終えたばかりだったから、よけい感慨深かったのかもしれない。
青春。ほんとに青春だった。
政友会にいた頃、長く付き合っていた同期の子がいた。深く愛してた、と思う。昨日会ったらますます可愛く、素敵な女になっていた。その彼女が、驚いたことに、僕の仲間のひとりと付き合うことになった。彼女からそう話してくれた。翌朝には、相手となる男からもメールがきた。
その前の日に出会ったばかりの二人だから、いつのまに!と思うような一瞬の出来事だったのだけれど、わざわざ俺に断りを入れてくれるなんて、ほんといい奴らだよお前ら。笑 前にも書いた通り、別れざるをえなかった相手が新しい幸せを見つけるのは、俺にはすごく嬉しいことなんだ。俺の信頼する仲間なんだから心配もない。ふたりが幸せな日々を送ることを心から祈ってるよ。
またひとつ、過去が思い出のアルバムにしまわれた。過去が過去として現在からきっちり切り離されることで、僕の体は今を生きるべく軽くなる。僕はこれからもっとスピードをあげていくだろう。自転車からエンジンを積んだ車になり、空を飛ぶ飛行機になり、大気圏をも越えて、いつか光よりも速くなる。
みんなへ。
お互いギアをあげて走り続けていこう。20年後も笑って飲んでいたいから。
そろそろ俺も、次の恋愛を見つけようかな?
【フォト】 先日やった、「教師の卵」飲み@高田荘。楽しくて飲みすぎて、何話したか覚えてないや。そのままメガピ合宿行って暴言吐いてたなぁ。迷惑を被った人たちごめんなさい!
2008年3月16日
天国に一番近い島
旅というか、年に一度の家族旅行だった。母と僕と妹の3人だけの、のんびりとした旅行。行った先は、ほんとにもうそのまんまの、南の島だ。
青春18切符で西へ行く夜行を逃して江ノ島で野宿したり、金が尽きてアムステルダムの空港で寝ようとして警備員と言い争ったり(メシは醤油かけフランスパンに安い発泡酒だった…)、そういう貧乏旅行につきものの悩みとは無縁の1週間だった。こういうのも、たまにはいい。
僕らが向かったのは人口およそ500人の小島。小麦粉みたいな白砂のビーチが続き、海に入ればサンゴが息づいていた。透き通った水は緑から青へと何層にも変わり、シュノーケルをつければ色とりどりの熱帯魚に手が届く。すこし深みまで行けばウミガメと泳ぐことができ、タンクをかついで潜ればかわいいサメやマンタと会うことができた。
海から上がってビーチにいると、たまに欧米の観光客を見かけた。そのうちの何割かはトップレスだった。そう、憧れのトップレス・ビーチ! 男性諸君にはそれこそ天国みたいな島かもしれない。でも残念なことに、度胸のない僕はそれをずっと正視していることができなかった。
まぁでもとにかく。それを除けば、これほど美しい島なのにビーチには不思議なくらい人影がなかった。虫と鳥、そして波だけがその存在をわずかに主張していた。
互いのつながりを確認するかのように、島民はすれ違うと必ず声をかけあっていた。何か用がある時は握手をしていた。すっ飛ばしている車の中からですら、手で合図したりするのだ。静かな島の中で、そうしたささいなコミュニケーションを大切にできることが、東京に住む僕にはうらやましかった。5万人の中にいても孤独を感じる早稲田とは、だいぶ違う。
だが、おだやかに思える島も、目には見えないところで問題が起きていた。オゾンホールによる紫外線は日本の6倍という強さで、日焼け止めを塗らずに太陽の光を浴びると肌に痛みを感じる。30分も外に出ていたら大やけどを負って真っ赤になる。温暖化による海面上昇によってビーチ沿いの木々は侵食されていた。近くにあるツバルという島国はもうじき海中に没するらしい。
水平線の遥か彼方から、世界の発展のあおりを食らっている島と生き物たち。そんな場所に、僕はのうのうと観光客として行っていた。早晩この島も大々的にリゾート化し、今ある自然や人々の関係はますます失われていくことだろう。さらさらの砂浜に横たわりながら、僕はだいぶ前にネットで見つけたこんな話を思い出していた。
--------------------
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって...ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
(作者不明)
--------------------
ビーチの木陰でそんな物思いに耽りつつ僕が読んでいた本は、奇しくもハーバードのビジネススクールに通った経歴も持った、小さな電話会社を世界有数のコングロマリットに導いた男の自伝だった。彼は働くことについて、こう書いていた。
--------------------
いつも人からたずねられる、あるいはだれもが自分自身についてたずねる質問がある。――もしもう一度人生をやり直すとしたら、違ったようにするか?私はそうは思わない。今、自分の過去のすべてを顧みる時、私は自分がビジネスの世界で過ごしてきたすべての歳月を楽しんだと断言できる。私は精いっぱい働くことが好きだった。私は同僚達とともに過ごした時間を楽しんだ。
(中略)
それ以上を求めるのは身のほど知らずというものだ。私は戻っていく仕事がある限りにおいてゴルフを楽しむ。たぶんそれは二つのことを意味していると思う。 ――私はゴルフが好きだということ、それと、私は仕事を必要としているが、すくなくともゴルフと同じぐらいに仕事が好きだということを。
ハロルド・ジェニーン 『プロフェッショナルマネジャー』P306
--------------------
メールもなくて、電話もなくて、久しぶりに気楽な毎日を過ごすことができた。でも、成田に着いてはじめにやったことは、携帯の電源を入れることだった。たくさんのメールと着信履歴を確認した僕は、なぜだかほっとしていた。
帰り道。まだすこし肌寒い日本の夜は、しかしとても心地よかった。乗り換えの日暮里駅で、大塚駅で、都電の早稲田駅を降りたところで、色々あるにせよ、僕はこの日本という島が大好きだと思った。僕には南国のリゾートよりも、東京の雑踏の方があっているらしい。すくなくとも今は。
家に帰る途中、神田川に沿って歩きながら、こみあげる幸福感を味わっていた。僕の周りにはたくさんの素敵な人がいて、僕にも彼らにも等しく未知の未来がある。僕は幸せ者だなぁと、心底から思った。
もう春だ。
明け方までバイトしていたコテツ君が帰るのを待って、彼の地で買ってきたビールで、進級確定の祝杯をあげた。おめでとう!
さて。つかの間の休息も、十分すぎるくらいとった。そろそろ来年度に向けて走りはじめようか?
【フォト】 平山ビルの僕らの部屋で、コテツ君がカレンダーに書いた言葉。僕らが実践できているかどうか、だいぶ疑問だが……。卒業を祝う段になったら、またすこし気持ちも変わるかな。3月から4月にかけては、今までの仲間と離れ離れになる分だけ新たな仲間と出会う、僕の大好きな季節だ。切なくもあり、楽しくもあり。涙あり、笑いあり。
青春18切符で西へ行く夜行を逃して江ノ島で野宿したり、金が尽きてアムステルダムの空港で寝ようとして警備員と言い争ったり(メシは醤油かけフランスパンに安い発泡酒だった…)、そういう貧乏旅行につきものの悩みとは無縁の1週間だった。こういうのも、たまにはいい。
僕らが向かったのは人口およそ500人の小島。小麦粉みたいな白砂のビーチが続き、海に入ればサンゴが息づいていた。透き通った水は緑から青へと何層にも変わり、シュノーケルをつければ色とりどりの熱帯魚に手が届く。すこし深みまで行けばウミガメと泳ぐことができ、タンクをかついで潜ればかわいいサメやマンタと会うことができた。
海から上がってビーチにいると、たまに欧米の観光客を見かけた。そのうちの何割かはトップレスだった。そう、憧れのトップレス・ビーチ! 男性諸君にはそれこそ天国みたいな島かもしれない。でも残念なことに、度胸のない僕はそれをずっと正視していることができなかった。
まぁでもとにかく。それを除けば、これほど美しい島なのにビーチには不思議なくらい人影がなかった。虫と鳥、そして波だけがその存在をわずかに主張していた。
互いのつながりを確認するかのように、島民はすれ違うと必ず声をかけあっていた。何か用がある時は握手をしていた。すっ飛ばしている車の中からですら、手で合図したりするのだ。静かな島の中で、そうしたささいなコミュニケーションを大切にできることが、東京に住む僕にはうらやましかった。5万人の中にいても孤独を感じる早稲田とは、だいぶ違う。
だが、おだやかに思える島も、目には見えないところで問題が起きていた。オゾンホールによる紫外線は日本の6倍という強さで、日焼け止めを塗らずに太陽の光を浴びると肌に痛みを感じる。30分も外に出ていたら大やけどを負って真っ赤になる。温暖化による海面上昇によってビーチ沿いの木々は侵食されていた。近くにあるツバルという島国はもうじき海中に没するらしい。
水平線の遥か彼方から、世界の発展のあおりを食らっている島と生き物たち。そんな場所に、僕はのうのうと観光客として行っていた。早晩この島も大々的にリゾート化し、今ある自然や人々の関係はますます失われていくことだろう。さらさらの砂浜に横たわりながら、僕はだいぶ前にネットで見つけたこんな話を思い出していた。
--------------------
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって...ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」 と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
(作者不明)
--------------------
ビーチの木陰でそんな物思いに耽りつつ僕が読んでいた本は、奇しくもハーバードのビジネススクールに通った経歴も持った、小さな電話会社を世界有数のコングロマリットに導いた男の自伝だった。彼は働くことについて、こう書いていた。
--------------------
いつも人からたずねられる、あるいはだれもが自分自身についてたずねる質問がある。――もしもう一度人生をやり直すとしたら、違ったようにするか?私はそうは思わない。今、自分の過去のすべてを顧みる時、私は自分がビジネスの世界で過ごしてきたすべての歳月を楽しんだと断言できる。私は精いっぱい働くことが好きだった。私は同僚達とともに過ごした時間を楽しんだ。
(中略)
それ以上を求めるのは身のほど知らずというものだ。私は戻っていく仕事がある限りにおいてゴルフを楽しむ。たぶんそれは二つのことを意味していると思う。 ――私はゴルフが好きだということ、それと、私は仕事を必要としているが、すくなくともゴルフと同じぐらいに仕事が好きだということを。
ハロルド・ジェニーン 『プロフェッショナルマネジャー』P306
--------------------
メールもなくて、電話もなくて、久しぶりに気楽な毎日を過ごすことができた。でも、成田に着いてはじめにやったことは、携帯の電源を入れることだった。たくさんのメールと着信履歴を確認した僕は、なぜだかほっとしていた。
帰り道。まだすこし肌寒い日本の夜は、しかしとても心地よかった。乗り換えの日暮里駅で、大塚駅で、都電の早稲田駅を降りたところで、色々あるにせよ、僕はこの日本という島が大好きだと思った。僕には南国のリゾートよりも、東京の雑踏の方があっているらしい。すくなくとも今は。
家に帰る途中、神田川に沿って歩きながら、こみあげる幸福感を味わっていた。僕の周りにはたくさんの素敵な人がいて、僕にも彼らにも等しく未知の未来がある。僕は幸せ者だなぁと、心底から思った。
もう春だ。
明け方までバイトしていたコテツ君が帰るのを待って、彼の地で買ってきたビールで、進級確定の祝杯をあげた。おめでとう!
さて。つかの間の休息も、十分すぎるくらいとった。そろそろ来年度に向けて走りはじめようか?
【フォト】 平山ビルの僕らの部屋で、コテツ君がカレンダーに書いた言葉。僕らが実践できているかどうか、だいぶ疑問だが……。卒業を祝う段になったら、またすこし気持ちも変わるかな。3月から4月にかけては、今までの仲間と離れ離れになる分だけ新たな仲間と出会う、僕の大好きな季節だ。切なくもあり、楽しくもあり。涙あり、笑いあり。
2008年3月8日
お知らせ
1、MEGA PEACE vol.1 の総括レポートをあげました。こちら。
2、今日から15日まで旅に出ます。ネットに繋げるかは不明。何かあれば今日の19時までに。
ちなみにメガピの卒業パーティーは28日15時半~17時半だから忘れずにね。
じゃ、また!
【フォト】 昨夜、平山ビル1周年をやりました。いつも愛してくれてありがとう。これからもよろしく!
2、今日から15日まで旅に出ます。ネットに繋げるかは不明。何かあれば今日の19時までに。
ちなみにメガピの卒業パーティーは28日15時半~17時半だから忘れずにね。
じゃ、また!
【フォト】 昨夜、平山ビル1周年をやりました。いつも愛してくれてありがとう。これからもよろしく!
2008年3月7日
早稲田の合格発表も終わり、合格の報告をもらった。と同時に、倍率を考えれば当然のことだが、不合格の報告もその分だけもらった。 100%の結果ではない塾の結果を手放しで喜べはしない。努力が報われるのも、報われないのも、紙一重なんだなと改めて感じる。「運」に支配される僕らの人生の危うさをつくづく思い知らされる。
それでも。
狭き門をくぐりぬけた彼らに祝福の言葉を送ることができたのは、とにかくよかった。そして、今回はうまくいかなかった彼らにも、未来はあると僕は信じている。
この映像を見てほしい。米スタンフォード大学卒業式での、アップル創業者Steve Jobsによるスピーチだ。大学に入学する人はもちろん、もう1年かけて大学を目指す人も、そして既に大学生活を満喫している人も、大学を卒業して次の場所へ向かう人も。
はじめてこれを見たのは2008年あけてすぐの頃だった。僕が「第二の人生の幕開け」と語っていた時期だ。大学の22号館で、イヤホンを使って見ていた。するうちに涙が出てきた。そして日々をもっと大切に生きていこうと決意した。あれから幾度も見返しては、勇気付けられてきた。
Stay hungry, stay foolish.
卒業生にはこのスピーチだけでいいだろうから、ジョブズほどうまく語れるわけじゃないけれど、今日はこれから大学に入ってくる人たちに向けて、僕なりの想いを伝えたい。今年うまく行かなかった奴は来年これを真正面から受け取れるように頑張ってほしい。
--------------------
まだ見ぬ早大生へ。
僕は「早稲田」というブランドを、入学した当初は好きじゃなかった。何かというと「早稲田」を叫んで馬鹿騒ぎをする連中は、むしろ嫌いなくらいだった。でも今はそうしたうるさい連中も受け入れられる。楽しんでいるなぁと喜ばしく思える。それは僕が「早稲田」というものを核にした、数え切れないストーリーを積み重ねてきたからだ。
入学したら心から早稲田を愛せるようになってほしい。そのために、たくさんの素敵な、自分だけの物語を綴ってほしい。自分が主役になった、人の心を動かせるくらいのストーリー。その中で生きることによってはじめて、それにまつわる物事を愛することができるようになる。
残念なことに、ほんとうに早稲田を愛せている人はごくわずかだと感じる。僕は大学生活の後半を、ひとりでも早稲田を愛せる人を多くしようと思って過ごしてきた。だがそう思えば思うほど、愛せていない人の多さ、そしてそうした人が愛せるようになることの難しさを感じた。
人生を決定的に左右する場所、時間を愛せないのは不幸だ。できるだけ愛せるように努めてほしいと思う。どうしても愛せない時には、絶望するのではなく、涙を呑んで通り過ぎるという道もあるが。
僕は今、早稲田を深く愛している。いや、幸いなことに愛することができるようになったと言った方が正確だ。そして、だからこそ言いたいことがある。本当に、心から思っていることがある。夢と希望に胸を膨らませている新入生に言うのは忍びないのだが、今の早稲田はぬる過ぎる、そう僕は思っている。
海の向こうに目を転じてみよう。
20台半ばの大学院生が起こした事業が、わずか10年で株式総額20兆円、従業員1万5千人の会社となった。先のスタンフォード大学の出身者ふたりによって作られたGoogleだ。そうした情報が、生のまま世界中にリアルタイムで伝わる今、Googleに続けと世界中の優秀な若者達が全力疾走している姿を想像するのはたやすい。
かつては日本もそうだった。高度経済成長を担った日本のリーダー達は高い志を持って行動していた。中には若くして独立した人々もいた。松下幸之助がいて、本田宗一郎がいた。いつから僕達は理想となるべき人たちを失ってしまったのだろうか。
目指すべきゴールやモデルが明確でない今、若者達は未来への希望を失っている。だから、自己満足に耽る。
早稲田は熱い。でも、それは家の中の暖炉みたいなものだよ。世を照らす太陽にはなりえてない。
新歓では様々な人間に出会うことだろう。「熱い」と思える人に出会うことも少なくないはずだ。尊敬に値する人に出会えたら、その幸運を手放さないようにしよう。自分の人生にかけがえのないプラスの影響を与えてくれる人に出会うことは、なにより素晴らしいことだ。
それでも。
そこで満足しちゃいけない。見つけた居場所で安逸をむさぼっていちゃダメだ。外に目を向けよう。Googleがいる。過去を思い出そう。松下幸之助が、本田宗一郎がいた。彼らは世をよりよくしようと本気で生きていたはずだ。生ぬるい空気になんて触れていなかった。自分に対して、社会に対して、真剣だった。
いまこの瞬間もそれくらい真剣な奴が世界のいたるところにいる。日本のどこかにもいるはずだ。すくなくとも、僕はそう生きたいと思っているし、生きているつもりだ。
早稲田の大半を占めるのは文系の学生だ。そして現在、日本の文系の学生の多くは技術(テクノロジー)をもたない。Googleの創業者にも、松下幸之助も、本田宗一郎にも、技術があった。だから日本の文系の学生からイノベーションが生まれることは、あまりない。技術は持つべきであるが、理系・文系と括られてしまう日本の教育システムにおいて、文系の学生がそれを持つのは難しい。
でも、技術を理解することはできる。活用することもできる。テクノロジーはなくとも、それを使うスキルならば鍛えられる。だから、イノベーションを利用して世界をよりよく変えていくのは僕らの仕事だろう。Googleにエリック・シュミットがいたように、本田技研に藤沢武夫がいたように、僕らの力を発揮する土壌はいくらでもある。イノベーションは既に起き、今も進行中だ。それを生かすも殺すも、僕ら次第だ。
大学に飼い慣らされちゃダメだ。教育システムに飼い殺されちゃダメだ。僕らに秘められた可能性は限りない。それを忘れないでほしい。早稲田は、日本の中でもとりわけ恵まれているんだ。日本でもっとも可能性があると言っても過言ではないと僕は思っている。東大よりも、慶応よりも、桁違いに。
早稲田には、スタンフォードにも、ひいてはハーバードのようなアイビー・リーグにも負けない底力、可能性があるはずなんだ。海の向こうに渡るだけが脳じゃない、日本でだってやれることはたくさんある。
そんな訳ないだろ、って声がそこらじゅうから聞こえてきそうだ。そんなことないんだって!だから飼い殺されてると僕は思うんだ。日本の学生は優秀で、潜在能力も高い。飼い慣らされ、可能性を活かしきれてないだけだ。
第一に、多様な人と出会うチャンスが多い。早稲田には約5万人の人間が集まっている。世界に冠たる都市の中心地に、それも一貫してひとつのキャンパスに4年間通い続けられるのは奇跡だと思う。東大や慶応は基本的にキャンパスが変わる。いままさに僕がそうであるような、5年生と1年生が深く出会う機会なんて、ひとつのキャンパスでなかったらあり得なかった。
第二に、天才と馬鹿が混ざることで生まれる化学変化がある。5万人の内訳を考えてみればいい。天才もいれば馬鹿もいる早稲田は(僕は当然後者だが)、母数が大きいわけだから、たとえ比率が少なくてもそれぞれの総数は多くなる。人数が多いゆえの多様さもここにはある。多様な天才と馬鹿がめぐり合い化学反応を起こして、まだ見ぬ変化を生むことはできるはずだ。
第三に、早稲田生の多くがエネルギーを持て余しているということがある。早稲田を卒業する多くの人々の中には将来の日本を背負ってくような奴もいる。ビジネスならば若くして年収一千万円を越すぐらいの活躍をする者も多いだろう。中には億単位で稼ぐ奴もいることだろう。
社会をリードしていく才能を持つ奴らが、キャンパスでぶらぶらと歩いている。彼らに「なにか一緒にやろうぜ」と声をかければ、金なんか関係なしに乗ってくる風潮がここにはある。これだけ才能ある奴がそのエネルギーを浪費させている場所は他にない。彼らが本気になれば、Googleのように、社会に貢献しながら金を生み出す可能性は十分にある。
僕はアメリカで暮らしたことはないが、海の向こうには才能ある奴が、その才能を活かしきる土台があると思う。むしろ「才能を活かしたい」と思う人間が多すぎて、それを活かすための場所が不足しているくらいのようだ。才能ある奴がそれに気がつかず浪費している日本と比べると、その意識の違いに恐ろしくなる。
現状、学生がぬるま湯につかっている状態だと僕は思う。体が冷え切っている。熱がない。だから現実をよりよく変えるような動きが起こせない。
社会をリアルに変えていくためには、理想だけじゃやっていけない。どうしても金がいる。金が集まらなければ、いくら理想が高かろうとも、それを現実にすることはできない。
象牙の塔にこもって空理空論を掲げている奴よりも、リスクを取って汗をかく奴が現実を変えていく。だが、ぬるい場所に金が集まってくることはない。せいぜい見せかけのCSRのために金を出す企業がいるくらいだ。だから現実を変えるほどの動きが出てこない。それが早稲田の現状だ。
本当に世の中の役に立ち、そして価値ある活動を学生がするのであれば、もっとここに資本を集めることができる。「早稲田」は単なるキャンパスと飯屋があるだけの「学生街」ではなく、真に学生と街が一体となって創造的な働きのできる産業都市へ変わることも可能だろう。世界へ発信できる(今のように形だけじゃない)「WASEDA」となる可能性だって秘めているんだ。
ITの進化により世界は小さくなっている。だから今まで早稲田が持っていた優位性、たとえば地理的なものは失われていくに違いない。
それでも、だ。
それでもこの地に才能があふれかえっていることに変わりはないだろう。時代の変化を早稲田の長所と結びつけることで、僕らは過去にない創造を産みだすことだってできるはずなんだ。そのためには大学側の自浄作用になんて頼っていられない。早稲田生が自ら意識改革をし、行動しなきゃいけない。
どう意識改革をすればいいのか。答えは明快だ。
自由には責任がある。それを自覚するだけでいい。
僕ら早稲田生はエリートだ。エリートには自分の人生を選び取る自由がある。自分の思うように、人生を生きることができる。だが、そのありがたみをどれだけの人が実感しているだろうか?エリートとしての自覚を持ち、真に生きている人がどれだけいるだろうか?
もう一度言うよ。
僕らはエリートだ。そしてエリートの持つ自由には、責任があるんだ。
エリートというとすぐ「格差」というような意識と結びつく。そして格差は悪であると連想する。だからエリートは自分をエリートと公言することなく、ひいては自覚することなく生きることになる。
僕はそれが間違いだと思う。資本主義の世の中において、格差すなわち勝ち負けは必然的に生まれてくるものだ。まずそれを認めよう。格差が生まれてしまう構造だからこそ、エリートが自由と責任を自覚して生きることが必要なんだ。責任を意識すれば、必然的に社会をよくしたいという想いも生まれてくる。
エリートという言葉には、官僚に代表されるような悪いイメージがつきまとっている。それが間違いの元凶だ。教育をされたエリートほど尊敬に値する人間はいない。誰に言われるとなく努力し、自分に厳しいのに他者の痛みが分かり、思いやりがある。端的にいって、かっこいい。それを斜に構えて非難するようなニヒリストはかっこ悪すぎる。
僕が用事で外務省を訪ねた時のことだ。節電のために廊下の電気は消えていて、ボロ机に、僕の自宅のよりも安物の椅子で働くエリートがそこにはいた。そんな環境で彼らは昼夜の境なく働き、にもかかわらず国民からは非難されていた。エリートをこういう扱いにしていては、かっこ悪くなるのも当然だ。やる気もなくなるだろう。このままじゃ日本は堕していくだけだ。
だが、それを伝えるべきメディアの多くはニヒリズムに侵されている。
日本に真のエリートがいないことが、今の混沌とした社会の要因だと思う。「かっこいい」と思える大人がいないんだ。僕らの世代でかっこよかったのはミュージシャンと一部の芸術家だけだった。それ以外の大人は概してかっこ悪かった。若者が政治家やサラリーマンに憧れないもの当然だ。
自由を持つエリートに必要なのは、エリートたる者としての責任の自覚だ。政治家が、サラリーマンが、一流としてかっこよければ僕らはそれを目指すだろう。そして、エリートたる僕らは目指される存在でなきゃならないんだ。
ぬるま湯に使ってちゃダメだ。僕らは社会のエリートとして、日本、そして世界を背負ってく覚悟がなきゃならない。モデルとなる覚悟がなきゃならない。もっと熱を帯びよう。眠りを誘う暖炉の火ではなく、1日の希望を抱かせる太陽の光にならなきゃならない。
日本はいま、明らかに落ちている。そして今後も落ち続けるだろう。でも、落ちていく時代は、変化を求める者にはチャンスでもある。泰平の江戸に生きるより激動の明治の方が楽しいと思うのなら、変化が必要とされる最高の瞬間に、これ以上ないくらい可能性のある早稲田で生きられるということだ。これを活かさなきゃ、せっかく入った意味がない。
体が冷えきってしまう前に、ぬるま湯から出て熱いシャワーを浴びよう。その源泉を探そう。本当に熱い場所には自然と人が集まる。今もどこかでそれが起こってる。最高に熱い奴らが集まって、熱が熱を生む連鎖を起こしている場所を見つけよう。そしてできることなら、自ら源泉となって熱を生み出していこう。
早稲田は今、最底辺にある。そして今のままじゃひどくなるばかりだ。
心から早稲田を愛してほしい。たくさんのストーリーを作ってほしい。でも、今の早稲田は最底辺だ。こんな場所じゃ、なかなか愛するに愛せない。なら自分で愛せるように変えていこう。チャンスは見えにくいだけで、そこらじゅうに転がってる。
僕らは、もっと速く、もっと強く、もっと鋭く生きていくことができるはずなんだ。限界はずっと先にある。もっと、もっと、もっと、もっと、僕らは真剣に生き抜いていけるはずなんだ。
飼い慣らされ、従順な犬にならないこと。僕らは自分の道を自分で切り拓ける力を持っている。「学生だから」と許される檻から出よう。もっと自由な、そしてその分だけ厳しい場所に立とう。
僕は早稲田を誰よりも愛してる。だからこそ、もっとよくしたい。
早稲田が変われば他の大学も負けじと変わる。これからの日本を背負ってく若者みんなが変わるだろう。だから僕らは変わらなきゃならないんだ。早稲田がこのままじゃ、日本は本当に終わってしまうよ。
偉そうに、と言われるのは分かってる。僕はそんな大した人間じゃない。そんなこと誰よりも自分で承知しているよ。でも、誰かが言わなきゃならないと思う。なのに誰も言ってない。大人たちに言われるのはこりごりだ。僕らが声をあげていかなきゃならないんだ。だから声をあげてみた。声なき声が、どこかに届くことを祈って。
まだ見ぬ早大生へ。
ようこそ早稲田へ。君は今、日本を、世界をよりよく変えていける場所にいる。僕も努力し続ける。希望を胸に、未来を信じて生きていこう。
u:BABA こと 馬場 祐平
最後に。
本を読もう。人生の行き先の多くは読む本で決まると僕は思っている。素晴らしい本は人生の教師だ。彼らは道を切り拓くための武器をくれる。といってナビをしないのは無責任だろうから、僕が新入生の時に読んでいたらなぁ、と思う本を挙げておく。4月まで時間はある。どれも読みやすいから、すべて読破して大学生活に望むくらいでちょうどいい。
計7人、全18冊。
福澤諭吉 『学問のすすめ』 (岩波文庫)
岡本太郎 『自分の中に毒を持て』 (青春文庫)
司馬遼太郎 『竜馬がゆく』全8冊 (文春文庫)
梅田望夫 『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』『ウェブ時代 5つの定理』
サマセット・モーム 『人間の絆』〈上〉〈中〉〈下〉(岩波文庫)
デール・カーネギー 『人を動かす』
スティーブン・R・コヴィー 『7つの習慣』
本を読むのに疲れたら、家の外へ飛び出すべき時期だ。外で走り回って疲れたら、本を読みに帰ってくればいい。
【ムービー】 先日刊行された梅田望夫の新刊のラストが、このスピーチの引用で締めくくられていた。合格発表が終わって新入生に語るのにあわせて、IT関係に疎すぎる早稲田の卒業生にこのムービーを紹介しようと思っていたところだったから、あまりのタイミングに思わず笑ってしまった。まぁでもとにかく。卒業が決まった人、おめでとう。卒業式では、去年僕に花をくれた国沢に渡したいと思う。いや、渡したい奴がいっぱいいすぎて困るんだけれど。3年くらい前に「僕らを追い出さないよう卒業してくださいね」と言われ笑っていたのが懐かしいな。卒業が決まらなかった人は、、、また今年もたくさん飲みましょう……!
※上に表示した動画は「1」のみ。「2」まであるので、ぜひ最後まで見てください。
まだ見ぬ早大生へ
早稲田の合格発表も終わり、合格の報告をもらった。と同時に、倍率を考えれば当然のことだが、不合格の報告もその分だけもらった。 100%の結果ではない塾の結果を手放しで喜べはしない。努力が報われるのも、報われないのも、紙一重なんだなと改めて感じる。「運」に支配される僕らの人生の危うさをつくづく思い知らされる。
それでも。
狭き門をくぐりぬけた彼らに祝福の言葉を送ることができたのは、とにかくよかった。そして、今回はうまくいかなかった彼らにも、未来はあると僕は信じている。
この映像を見てほしい。米スタンフォード大学卒業式での、アップル創業者Steve Jobsによるスピーチだ。大学に入学する人はもちろん、もう1年かけて大学を目指す人も、そして既に大学生活を満喫している人も、大学を卒業して次の場所へ向かう人も。
はじめてこれを見たのは2008年あけてすぐの頃だった。僕が「第二の人生の幕開け」と語っていた時期だ。大学の22号館で、イヤホンを使って見ていた。するうちに涙が出てきた。そして日々をもっと大切に生きていこうと決意した。あれから幾度も見返しては、勇気付けられてきた。
Stay hungry, stay foolish.
卒業生にはこのスピーチだけでいいだろうから、ジョブズほどうまく語れるわけじゃないけれど、今日はこれから大学に入ってくる人たちに向けて、僕なりの想いを伝えたい。今年うまく行かなかった奴は来年これを真正面から受け取れるように頑張ってほしい。
--------------------
まだ見ぬ早大生へ。
僕は「早稲田」というブランドを、入学した当初は好きじゃなかった。何かというと「早稲田」を叫んで馬鹿騒ぎをする連中は、むしろ嫌いなくらいだった。でも今はそうしたうるさい連中も受け入れられる。楽しんでいるなぁと喜ばしく思える。それは僕が「早稲田」というものを核にした、数え切れないストーリーを積み重ねてきたからだ。
入学したら心から早稲田を愛せるようになってほしい。そのために、たくさんの素敵な、自分だけの物語を綴ってほしい。自分が主役になった、人の心を動かせるくらいのストーリー。その中で生きることによってはじめて、それにまつわる物事を愛することができるようになる。
残念なことに、ほんとうに早稲田を愛せている人はごくわずかだと感じる。僕は大学生活の後半を、ひとりでも早稲田を愛せる人を多くしようと思って過ごしてきた。だがそう思えば思うほど、愛せていない人の多さ、そしてそうした人が愛せるようになることの難しさを感じた。
人生を決定的に左右する場所、時間を愛せないのは不幸だ。できるだけ愛せるように努めてほしいと思う。どうしても愛せない時には、絶望するのではなく、涙を呑んで通り過ぎるという道もあるが。
僕は今、早稲田を深く愛している。いや、幸いなことに愛することができるようになったと言った方が正確だ。そして、だからこそ言いたいことがある。本当に、心から思っていることがある。夢と希望に胸を膨らませている新入生に言うのは忍びないのだが、今の早稲田はぬる過ぎる、そう僕は思っている。
海の向こうに目を転じてみよう。
20台半ばの大学院生が起こした事業が、わずか10年で株式総額20兆円、従業員1万5千人の会社となった。先のスタンフォード大学の出身者ふたりによって作られたGoogleだ。そうした情報が、生のまま世界中にリアルタイムで伝わる今、Googleに続けと世界中の優秀な若者達が全力疾走している姿を想像するのはたやすい。
かつては日本もそうだった。高度経済成長を担った日本のリーダー達は高い志を持って行動していた。中には若くして独立した人々もいた。松下幸之助がいて、本田宗一郎がいた。いつから僕達は理想となるべき人たちを失ってしまったのだろうか。
目指すべきゴールやモデルが明確でない今、若者達は未来への希望を失っている。だから、自己満足に耽る。
早稲田は熱い。でも、それは家の中の暖炉みたいなものだよ。世を照らす太陽にはなりえてない。
新歓では様々な人間に出会うことだろう。「熱い」と思える人に出会うことも少なくないはずだ。尊敬に値する人に出会えたら、その幸運を手放さないようにしよう。自分の人生にかけがえのないプラスの影響を与えてくれる人に出会うことは、なにより素晴らしいことだ。
それでも。
そこで満足しちゃいけない。見つけた居場所で安逸をむさぼっていちゃダメだ。外に目を向けよう。Googleがいる。過去を思い出そう。松下幸之助が、本田宗一郎がいた。彼らは世をよりよくしようと本気で生きていたはずだ。生ぬるい空気になんて触れていなかった。自分に対して、社会に対して、真剣だった。
いまこの瞬間もそれくらい真剣な奴が世界のいたるところにいる。日本のどこかにもいるはずだ。すくなくとも、僕はそう生きたいと思っているし、生きているつもりだ。
早稲田の大半を占めるのは文系の学生だ。そして現在、日本の文系の学生の多くは技術(テクノロジー)をもたない。Googleの創業者にも、松下幸之助も、本田宗一郎にも、技術があった。だから日本の文系の学生からイノベーションが生まれることは、あまりない。技術は持つべきであるが、理系・文系と括られてしまう日本の教育システムにおいて、文系の学生がそれを持つのは難しい。
でも、技術を理解することはできる。活用することもできる。テクノロジーはなくとも、それを使うスキルならば鍛えられる。だから、イノベーションを利用して世界をよりよく変えていくのは僕らの仕事だろう。Googleにエリック・シュミットがいたように、本田技研に藤沢武夫がいたように、僕らの力を発揮する土壌はいくらでもある。イノベーションは既に起き、今も進行中だ。それを生かすも殺すも、僕ら次第だ。
大学に飼い慣らされちゃダメだ。教育システムに飼い殺されちゃダメだ。僕らに秘められた可能性は限りない。それを忘れないでほしい。早稲田は、日本の中でもとりわけ恵まれているんだ。日本でもっとも可能性があると言っても過言ではないと僕は思っている。東大よりも、慶応よりも、桁違いに。
早稲田には、スタンフォードにも、ひいてはハーバードのようなアイビー・リーグにも負けない底力、可能性があるはずなんだ。海の向こうに渡るだけが脳じゃない、日本でだってやれることはたくさんある。
そんな訳ないだろ、って声がそこらじゅうから聞こえてきそうだ。そんなことないんだって!だから飼い殺されてると僕は思うんだ。日本の学生は優秀で、潜在能力も高い。飼い慣らされ、可能性を活かしきれてないだけだ。
第一に、多様な人と出会うチャンスが多い。早稲田には約5万人の人間が集まっている。世界に冠たる都市の中心地に、それも一貫してひとつのキャンパスに4年間通い続けられるのは奇跡だと思う。東大や慶応は基本的にキャンパスが変わる。いままさに僕がそうであるような、5年生と1年生が深く出会う機会なんて、ひとつのキャンパスでなかったらあり得なかった。
第二に、天才と馬鹿が混ざることで生まれる化学変化がある。5万人の内訳を考えてみればいい。天才もいれば馬鹿もいる早稲田は(僕は当然後者だが)、母数が大きいわけだから、たとえ比率が少なくてもそれぞれの総数は多くなる。人数が多いゆえの多様さもここにはある。多様な天才と馬鹿がめぐり合い化学反応を起こして、まだ見ぬ変化を生むことはできるはずだ。
第三に、早稲田生の多くがエネルギーを持て余しているということがある。早稲田を卒業する多くの人々の中には将来の日本を背負ってくような奴もいる。ビジネスならば若くして年収一千万円を越すぐらいの活躍をする者も多いだろう。中には億単位で稼ぐ奴もいることだろう。
社会をリードしていく才能を持つ奴らが、キャンパスでぶらぶらと歩いている。彼らに「なにか一緒にやろうぜ」と声をかければ、金なんか関係なしに乗ってくる風潮がここにはある。これだけ才能ある奴がそのエネルギーを浪費させている場所は他にない。彼らが本気になれば、Googleのように、社会に貢献しながら金を生み出す可能性は十分にある。
僕はアメリカで暮らしたことはないが、海の向こうには才能ある奴が、その才能を活かしきる土台があると思う。むしろ「才能を活かしたい」と思う人間が多すぎて、それを活かすための場所が不足しているくらいのようだ。才能ある奴がそれに気がつかず浪費している日本と比べると、その意識の違いに恐ろしくなる。
現状、学生がぬるま湯につかっている状態だと僕は思う。体が冷え切っている。熱がない。だから現実をよりよく変えるような動きが起こせない。
社会をリアルに変えていくためには、理想だけじゃやっていけない。どうしても金がいる。金が集まらなければ、いくら理想が高かろうとも、それを現実にすることはできない。
象牙の塔にこもって空理空論を掲げている奴よりも、リスクを取って汗をかく奴が現実を変えていく。だが、ぬるい場所に金が集まってくることはない。せいぜい見せかけのCSRのために金を出す企業がいるくらいだ。だから現実を変えるほどの動きが出てこない。それが早稲田の現状だ。
本当に世の中の役に立ち、そして価値ある活動を学生がするのであれば、もっとここに資本を集めることができる。「早稲田」は単なるキャンパスと飯屋があるだけの「学生街」ではなく、真に学生と街が一体となって創造的な働きのできる産業都市へ変わることも可能だろう。世界へ発信できる(今のように形だけじゃない)「WASEDA」となる可能性だって秘めているんだ。
ITの進化により世界は小さくなっている。だから今まで早稲田が持っていた優位性、たとえば地理的なものは失われていくに違いない。
それでも、だ。
それでもこの地に才能があふれかえっていることに変わりはないだろう。時代の変化を早稲田の長所と結びつけることで、僕らは過去にない創造を産みだすことだってできるはずなんだ。そのためには大学側の自浄作用になんて頼っていられない。早稲田生が自ら意識改革をし、行動しなきゃいけない。
どう意識改革をすればいいのか。答えは明快だ。
自由には責任がある。それを自覚するだけでいい。
僕ら早稲田生はエリートだ。エリートには自分の人生を選び取る自由がある。自分の思うように、人生を生きることができる。だが、そのありがたみをどれだけの人が実感しているだろうか?エリートとしての自覚を持ち、真に生きている人がどれだけいるだろうか?
もう一度言うよ。
僕らはエリートだ。そしてエリートの持つ自由には、責任があるんだ。
エリートというとすぐ「格差」というような意識と結びつく。そして格差は悪であると連想する。だからエリートは自分をエリートと公言することなく、ひいては自覚することなく生きることになる。
僕はそれが間違いだと思う。資本主義の世の中において、格差すなわち勝ち負けは必然的に生まれてくるものだ。まずそれを認めよう。格差が生まれてしまう構造だからこそ、エリートが自由と責任を自覚して生きることが必要なんだ。責任を意識すれば、必然的に社会をよくしたいという想いも生まれてくる。
エリートという言葉には、官僚に代表されるような悪いイメージがつきまとっている。それが間違いの元凶だ。教育をされたエリートほど尊敬に値する人間はいない。誰に言われるとなく努力し、自分に厳しいのに他者の痛みが分かり、思いやりがある。端的にいって、かっこいい。それを斜に構えて非難するようなニヒリストはかっこ悪すぎる。
僕が用事で外務省を訪ねた時のことだ。節電のために廊下の電気は消えていて、ボロ机に、僕の自宅のよりも安物の椅子で働くエリートがそこにはいた。そんな環境で彼らは昼夜の境なく働き、にもかかわらず国民からは非難されていた。エリートをこういう扱いにしていては、かっこ悪くなるのも当然だ。やる気もなくなるだろう。このままじゃ日本は堕していくだけだ。
だが、それを伝えるべきメディアの多くはニヒリズムに侵されている。
日本に真のエリートがいないことが、今の混沌とした社会の要因だと思う。「かっこいい」と思える大人がいないんだ。僕らの世代でかっこよかったのはミュージシャンと一部の芸術家だけだった。それ以外の大人は概してかっこ悪かった。若者が政治家やサラリーマンに憧れないもの当然だ。
自由を持つエリートに必要なのは、エリートたる者としての責任の自覚だ。政治家が、サラリーマンが、一流としてかっこよければ僕らはそれを目指すだろう。そして、エリートたる僕らは目指される存在でなきゃならないんだ。
ぬるま湯に使ってちゃダメだ。僕らは社会のエリートとして、日本、そして世界を背負ってく覚悟がなきゃならない。モデルとなる覚悟がなきゃならない。もっと熱を帯びよう。眠りを誘う暖炉の火ではなく、1日の希望を抱かせる太陽の光にならなきゃならない。
日本はいま、明らかに落ちている。そして今後も落ち続けるだろう。でも、落ちていく時代は、変化を求める者にはチャンスでもある。泰平の江戸に生きるより激動の明治の方が楽しいと思うのなら、変化が必要とされる最高の瞬間に、これ以上ないくらい可能性のある早稲田で生きられるということだ。これを活かさなきゃ、せっかく入った意味がない。
体が冷えきってしまう前に、ぬるま湯から出て熱いシャワーを浴びよう。その源泉を探そう。本当に熱い場所には自然と人が集まる。今もどこかでそれが起こってる。最高に熱い奴らが集まって、熱が熱を生む連鎖を起こしている場所を見つけよう。そしてできることなら、自ら源泉となって熱を生み出していこう。
早稲田は今、最底辺にある。そして今のままじゃひどくなるばかりだ。
心から早稲田を愛してほしい。たくさんのストーリーを作ってほしい。でも、今の早稲田は最底辺だ。こんな場所じゃ、なかなか愛するに愛せない。なら自分で愛せるように変えていこう。チャンスは見えにくいだけで、そこらじゅうに転がってる。
僕らは、もっと速く、もっと強く、もっと鋭く生きていくことができるはずなんだ。限界はずっと先にある。もっと、もっと、もっと、もっと、僕らは真剣に生き抜いていけるはずなんだ。
飼い慣らされ、従順な犬にならないこと。僕らは自分の道を自分で切り拓ける力を持っている。「学生だから」と許される檻から出よう。もっと自由な、そしてその分だけ厳しい場所に立とう。
僕は早稲田を誰よりも愛してる。だからこそ、もっとよくしたい。
早稲田が変われば他の大学も負けじと変わる。これからの日本を背負ってく若者みんなが変わるだろう。だから僕らは変わらなきゃならないんだ。早稲田がこのままじゃ、日本は本当に終わってしまうよ。
偉そうに、と言われるのは分かってる。僕はそんな大した人間じゃない。そんなこと誰よりも自分で承知しているよ。でも、誰かが言わなきゃならないと思う。なのに誰も言ってない。大人たちに言われるのはこりごりだ。僕らが声をあげていかなきゃならないんだ。だから声をあげてみた。声なき声が、どこかに届くことを祈って。
まだ見ぬ早大生へ。
ようこそ早稲田へ。君は今、日本を、世界をよりよく変えていける場所にいる。僕も努力し続ける。希望を胸に、未来を信じて生きていこう。
u:BABA こと 馬場 祐平
最後に。
本を読もう。人生の行き先の多くは読む本で決まると僕は思っている。素晴らしい本は人生の教師だ。彼らは道を切り拓くための武器をくれる。といってナビをしないのは無責任だろうから、僕が新入生の時に読んでいたらなぁ、と思う本を挙げておく。4月まで時間はある。どれも読みやすいから、すべて読破して大学生活に望むくらいでちょうどいい。
計7人、全18冊。
福澤諭吉 『学問のすすめ』 (岩波文庫)
岡本太郎 『自分の中に毒を持て』 (青春文庫)
司馬遼太郎 『竜馬がゆく』全8冊 (文春文庫)
梅田望夫 『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』『ウェブ時代 5つの定理』
サマセット・モーム 『人間の絆』〈上〉〈中〉〈下〉(岩波文庫)
デール・カーネギー 『人を動かす』
スティーブン・R・コヴィー 『7つの習慣』
本を読むのに疲れたら、家の外へ飛び出すべき時期だ。外で走り回って疲れたら、本を読みに帰ってくればいい。
【ムービー】 先日刊行された梅田望夫の新刊のラストが、このスピーチの引用で締めくくられていた。合格発表が終わって新入生に語るのにあわせて、IT関係に疎すぎる早稲田の卒業生にこのムービーを紹介しようと思っていたところだったから、あまりのタイミングに思わず笑ってしまった。まぁでもとにかく。卒業が決まった人、おめでとう。卒業式では、去年僕に花をくれた国沢に渡したいと思う。いや、渡したい奴がいっぱいいすぎて困るんだけれど。3年くらい前に「僕らを追い出さないよう卒業してくださいね」と言われ笑っていたのが懐かしいな。卒業が決まらなかった人は、、、また今年もたくさん飲みましょう……!
※上に表示した動画は「1」のみ。「2」まであるので、ぜひ最後まで見てください。
登録:
投稿 (Atom)