2009年5月4日

「代償行為」をせざるをえない人へ

 溜まってた800ほどのRSSを消化中に突然これを書きたいと思ったので、たまには衝動的に。

会社を創業してからの日常は、ぜんぜん意識していなかったけれどじつは勝負・勝負の連続で、ブラックジャックのテーブルの上のチップとは比較にならぬ金額が、自分の判断の一つ一つによって、ちょっとしたことの成功と失敗の違いによって、出て行ったり入ってきたりするものなのだということが、ブラックジャックをやり始めてまもなく、鮮やかに身体でわかってしまったからである。

 それ以来、ラスベガスやタホに行っても、ブラックジャックのテーブルに坐ることはなくなった。

「ものぐさ」さんの『人は結局自分の人生を生きなければならない。あくまで生きるというのは自分自身の主観的な行為である。』という文章の言葉を借りれば、12年前に会社を始めたときに、僕は本当に「自分の人生を生き」はじめ、その代償行為を必要としなくなったのだろう。



 これを読んで、18歳になった直後、生まれてはじめてのカジノへ行く前、徹底的にブラックジャックを研究したのを思い出した。(受験を含めた)他のゲームやギャンブルと同様、やる前から「やれば必ず勝てる」という理論をひっさげて、僕は18歳からギャンブルができ、かつ南半球最大のカジノのあるメルボルンへ向かったのだった。

 ブラックジャックに限らず、23歳の頃に自分が生きる場所を見つけるまで僕は「代償行為」を続けてきた。

 代償行為の典型は、あらゆるゲームであり、ギャンブルだ。これらが多くの男にとってなくてはならない理由は、つまるところ彼らが自分の人生を賭けるに値するものを見つけていないということに尽きる。

 僕は、ゲーム機の前に座るたびに、ゲーセンの台に座るたびに、ネットゲーム用のパソコンに座るたびに、パチンコ屋に行くたびに、競馬場に行くたびに、カジノに行くたびに、そして麻雀台に向かうたびに、「自分の人生を賭ける場所はここじゃない」と思ってきた。

 23歳の時、MEGA PEACEというささやかなイベントを立ち上げてから、僕の人生は動きはじめた。このイベントを終えた直後に立ち上げたのが、このブログでもある。それ以来僕は、原則として自分に代償行為を禁じて生きてきた。そのことに対する不満は全くない。むしろ、梅田望夫が語るのと同じように僕は、自然と代償行為を求めなくなっていた。

 そういう僕から、代償行為をせざるをえない人へ、伝えたいことはふたつ。

 一つ目は、代償行為をやるのであれば、中途半端ではなく全力でやれということ。僕は前述した代償行為のすべてを「やり続ければ世界一も狙える」というレベルで研究し、没頭した。ただ、そこへの道を歩みきった場所から見える光景を想像できるようになった時点で、僕はその光景を見たくないと感じて歩みを止めた。

 そうして様々な「代償行為」をはじめたり辞めたりして、なんとか自分の生きる道を見つけるまで、僕は23年かかった。それでも、これはかなり早い方で、相当な幸運だと思う。その上で言うけれど、これが二つ目の伝えたいことで、どんな代償行為であれ、そこで感じる「虚しさ」はムダではないということ。

 ゲームセンターでの興奮が醒め、身体が冷えてくる頃になるといつも僕は「俺の人生は虚しい」と感じてきた。だが、その虚しさを振り払おうとするように没頭し、ゲームで言えば誰よりも強くなろうと、ギャンブルで言えば必ず勝って帰ろうと、研究や訓練に没頭したことが、今の僕の技術的なベースになっている。そして、没頭すればするほど強くなる虚無感が、僕が自分の生きるべき場所を求めるエネルギーになってきた。

 自分が「真に充実できている」と言えるほどのことはそう簡単に見つかるもんじゃない。それまでの間、男はずっと「代償行為」に手を染めなくてはならないのだと思う。でも、だからこそ伝えたいのは、その代償行為に必死になるのは決して無駄ではないということ。技術や哲学を学ぶのと同時に、そうせざるをえないことに憂鬱や不条理さや怒りを感じる、それ自体に意味があるということ。

 それらはすべて「生きるべき場所」にたどりついた時のエネルギーになる。すくなくとも、僕はそうだ。そして、僕が教えている子たちの中で、もっとも芽があるなと思うのはそういうヤツだ。

 中途半端に楽しそうな日々を過ごしているヤツらよりもずっと、「代償行為」をせざるをえない日々の中で苦悩している彼らにこそ、僕は希望の光があると思う。彼らが本当に「生きるべき場所」にたどりつけるようになった時、彼らが世界を少しずつ変えていくだろう。


 幸運にもすこし早く代償行為をしなくてすむようになった僕は、世界の片隅で、そうした場所にたどりつくためのささやかな道しるべを建てていこうと思う。