2010年2月27日

最終回 Be hope, make hopes.

受験生に向けて、毎週金曜日に送ってきたメールマガジン『受験の道草』の最終回(当初のはこれ)。夏前にはじめたのに、最終的には1500人くらいが購読してくれていた。今回は長いので読めない人もいると思うし、メルマガを取ってない受験生にも読んでもらいたいので、ここにも併せて掲載。何はともあれ、本当におつかれさま。

道塾メールマガジン 『受験の道草』
-- Stay hungry. Stay foolish. --
最終回「Be hope, make hopes.」

2月26日で国立の前期試験が終わった。3月入試や後期試験に向けて勉強している人もいるので、そういう人には忍びないのだけれど、多くの受験生が第一に目指していたことに区切りがついたこともあり、今号を以て今年の受験へ向けた俺と詩音による「受験の道草」を終わりにしようと思う。

3月は「号外」という形で不定期に何らかの内容を送ろうと思っている。もし俺や詩音に伝えたいことや聞きたいことがあれば遠慮なく送ってくれていい。すべてに答えられるわけではないけれど、送ってくれたものには必ず目を通すし、できるだけ答えていくつもりだ。

まだ試験が残っている人は最後の最後まで信じて走り続けよう。それはこれまでの「道草」で語ってきた通り。

さて、最終回は受験を終えた人へ伝えたいこと。もしまだ終わってないのなら、また後で読んでくれればと思う。内容は、受験結果をどう受け止めるべきかということと、大学でどう過ごすべきかについて。すこし長くなるが順に書いていこう。

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知っての通り、俺の「道草」のサブタイトルは"Stay hungry, stay foolish"。訳せば「ハングリーであれ、馬鹿であれ」。これは俺の言葉ではなく、MacやiPod、そしてiPhoneといった時代を変える製品を創り出してきたApple社の創業者兼社長であるスティーブ・ジョブズが、あるスピーチで「常に自分がそうありたい」と語った言葉だ。

ジョブズは1970年代にApple社を創業して「パソコン」を世に広め、1980年代には時代の寵児となった。が、やがて自分が創った会社からの追放され、新しい会社でゼロからのスタートをすることになる。数年の後、その会社の成功を経て再びApple社の社長に就任し、iPodをはじめとする新商品によって再び世界の表舞台に戻ってきた。そのジョブズの生き様が、このスピーチと、その締めくくりの言葉である「Stay hungry, stay foolish」というフレーズに詰め込まれている。

このスピーチはYouTubeにあるから観てみるといい。この「道草」で取り上げたいのは、そのスピーチの冒頭で話される以下の一節だ。以下にその原文と訳文を載せる。1年前には歯が立たなかっただろうが、今なら少しは読めるはず。ちなみに最初に出てくる"dot"(点)というのは、人生の時々で起こる様々な出来事のこと。

you can't connect the dots looking forward. You can only connect them looking backwards, so you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something--your gut, destiny, life, karma, whatever--because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference. --- Steve Jobs.

訳:「先を見て『点を繋げる』ことはできない。出来るのは、過去を振り返って「点を繋げる」ことだけなんです。だから将来その点が繋がることを信じなくてはならない。根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから信じること。点が繋がって道となると信じることで、心に確信を持てるんです。たとえ人と違う道を歩むことになっても。信じることで全てのことは、間違いなく変わるのです。」(スティーブ・ジョブズ)

いいかい。

僕らは起こったこと(点)を、今すぐ意味づけることはできない。もしかしたら君は第一志望に受かったのかも知れない。あるいは、残念ながら落ちてしまったのかも知れない。でも、そのことが未来にどういう意味があるのかは誰にも分からないんだ。

第一志望に落ちて悔しい思いをしたが故に、希望ではない大学で全力を尽くして輝いたヤツを俺はたくさん知ってる。逆に、志望校に受かったせいで浮かれてしまい、ただ遊ぶだけの虚しい4年間を過ごして後悔したヤツはそれ以上によく知っている。

だから。

君がどんな状況であれ、いま起こったことを将来につなげるべく行動しよう。希望した大学に行くにせよ、希望していなかった大学に行かざるをえないにせよ、もう一年間受験生をやるにせよ、あるいは大学進学とは別の道を歩むことになるにせよ、君が起こった事実と真摯に向かい合い、自分の可能性を信じて行動を起こせば、どんな状況からでも未来を切り拓くことができる。

そんなことを言っていると世の「大人」は笑うかもしれないが、そんな奴らの考え方は笑い飛ばしてやればいい。そのためには自分が信じて選んだ道で全力を尽くすこと。それができなくなった時に、僕らはそうなりたくなかった「大人」の世界に吸い込まれてしまうのだから。

いつまでも少年のような心を持ち、未来に夢を見て、あらゆることをポジティブに捉え、果敢に行動を起こし、自分のすべてを一瞬一瞬に賭けて生きよう。そのために、まず自分の可能性を信じよう。必ず点と点が繋がって道となると。ジョブズの言う通り「信じることで全てのことは、間違いなく変わる」んだ。

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念のために付け加えておくと、「自分の可能性を信じよう」と言っても安易な浪人という選択は勧めない(2浪目以降は特に)。受験は限られた時間の中でのレースだと俺は思う。走りはじめた時点で、残された時間でどこまで自分が到達できるのかを予測し、その中で選んだゴールを全力で目指すレースだ。

君は走りはじめた時に、残り時間の限られたレースの中で合格することを誓ったはず。にもかかわらず志望校に届かなかったということは、①予測が間違っていた、②予測を実現するための努力が足りなかった、③本番で上手くいかなかった、といったことが原因のはず。①に気がついた時点で(過去に書いた)「戦略的撤退」をすべきだったし、②や③といった理由で「誓ったけれど十分にできなかった」のであれば、より辛くなる浪人生活では同じ失敗を繰り返す可能性が高い。だから、受験ではない次のレースを探して新たな舞台で全力を尽くすべきだと思う。

俺が積極的に浪人を薦められるのは、たとえば部活等の理由によって受験をはじめた時点で物理的に時間が足りず、その中でも自分なりの最大限の努力をしていて、かつ次の1年間を走るための気力とポテンシャルが十分残されている場合だけだ。

大学受験というのは長い人生のはじまりに過ぎない。このレースで躓いても、その悔しさをバネに自分の未来を信じて進んだ大学で全力を尽くせば、「あの時の失敗が今の自分をつくっている」と思える時がやってくるはず。だからたとえ今が「失敗」だと思っても、進むべき道があるのなら踏み出した方がいいと思う。

俺は中学を中退した。高校も中退した。それは絶望的な失敗だった。周りの人間から見れば「こいつの人生は終わった」というくらいだった。でも、俺は未来を信じて切り拓いてきた。そうして今、あの頃の失敗もすべて笑い飛ばすことができる。むしろ、その失敗に感謝することすらできる。

ジョブズの生き様に俺が感動するのは、まさにジョブズがそれをやってのけたからだ。俺の失敗は10代の頃だった。だからまだ取り返しやすかった。でもジョブズは30歳からでも致命的な失敗を乗り越えて未来を切り拓いた。そしてジョブズだけでなく、この世界にはいつだって、どんな状況でも、どんな年齢でも、未来を信じて道を切り拓いてきた人がいた。

もし君がすべての志望校に落ち、浪人する以外の選択肢がなく世界が真っ暗闇に感じられ、進むべき道がないように思えても、そこに道を創ることはできる。まずそのことを信じてほしい。それができれば前へ進む力が湧いてくるはずだ。そうやって進んだ道の先では、いつかきっと今のことを振り返って意味づける日がやってくる。

「あの時の失敗が今の自分をつくっている」と。

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「正しい方法で努力すれば伸びることができる」というのは、たとえ志望校に届かなかったにせよ、この道草を読んでる人なら受験を通して実感できたはず。志望校を目指して一歩ずつ進んだ過程で君は確実に少しずつ成長できただろう。

そのことに自信を持とう。1年前の君には想像すらできなかった努力と成長をしてきたはずだ。(でなければ、こんな長い文章を真剣に読んでいないだろう)。反省すべきところは徹底的に見つめ直すべきだけれど、努力しきれなかったことも含めて、大きな目標に向かって精一杯やってきた自分を心から褒めてやろう。

君が大学に進むのであれば、その努力を続ければ今はまだ想像もできないくらい面白い人生を君が歩んでいけるということを信じよう。自分の進みたい未来を貪欲に求め、見つけたらそれに全力を尽くせば、君にしか送れない素晴らしい人生が待っている。

俺は受験生にいつも「大学は最高だよ」と話す。励ますためにも「大学ではめちゃくちゃ遊べて楽しいよ」と伝えることもある。でも、それは高校生が思い描くような「遊ぶ」という意味じゃない。

『受験はゲーム』という本のタイトルにも使ったくらい、10代の俺にとって「遊ぶ」という言葉はネットゲームやゲームセンターといった「ゲーム」のことを意味していた。でも、どんなに面白いゲームでもやり続ければ飽きるし、生きていることの喜びを感じることはできなかった。突き詰めれば、人が作った「遊び」はいつか飽きてしまうんだ。

だから自分の人生を味わい尽くすために、自分が最高に楽しめる「遊び」を追い求めること。もっとも面白いゲームは、自分の人生そのものなんだ。大学はそれを探すためにこれ以上ない場所だと思う。そのために大学という時間を一秒に無駄にしちゃいけない。

どんなゲームをするかは君が選ぶことができる。世界平和を目指してもいいし、貧困の撲滅を目指したっていい。自殺を減らすことや、若者のチャンスを増やすことでもいい。もっとささやかな、たとえば奥さんを見つけて幸せにすることでもいいし、子供を愛することだっていい。何であれ、君が自分の人生を賭けられると思えるゲームを探すこと。

「合格」というゴールが明確なこれまでと違い、大学では明確なゴールがない。何となく過ごしていると4年間(あるいは6年間)という時間は、あっという間に終わる。俺は色々な事情があってまだ大学7年という肩書きはあるが、道塾を大学4年の末に立ち上げてからは大学生というよりも起業家として生きてきた。これは俺なりに大学4年間を通じて自分の生きる道を探し求めた結果だと思ってる。

でも、そこまでは迷いの連続だった。道塾を立ち上げるまでは小説家になりたかった。その前は学者で、その前は政治家だった。一度描いた夢が合わないと思ったり、諦めて次に行かざるをえない時は、ほんとうに辛かった。でも、それは誰もが通らなければならない道なのだと今は分かる。

人生を賭けられるゲームはそう簡単に見つからない。すぐそばに転がっていて誰もがすぐ手に出来ているのなら、こんな問題だらけの社会にはなっていないはずだ。だから必死で見つけなくちゃいけない。なかなか見つからないのは当たり前なんだ。困難だからこそ挑戦する価値があるし、心から求めていれば必ず出逢うことができると俺は信じてる。そして、それを見つけるためのキーワードこそ"Stay hungry, stay foolish"なのだと思う。

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この文章で君に伝えたかったのは、まず自分の可能性を信じようということ。その上で、自分の人生を賭けられるゲームを探し求めようということ。そしてこれから最後に伝えたいのは、君が自分だけのゲームに没頭する姿によって後に続く人たちの希望になろうということだ。

先にも話した通り、大学では自分の人生を賭けられるゲームを探すべきだ。そのためには「かっこいい」と思える人との出逢いを求めること。その人との出逢いはきっと君の人生に決定的な影響を与える。まだ自分がすべきゲームが見つかっていないのなら、大学ではそうした人との出逢いを探していこう。

俺自身、「かっこいい」と思った数多くの人との出逢いのおかげで今があると思ってる。歴史上の人もいれば、ごく身近にいる人もいる。一人ひとりの名前を挙げるとキリがないので止めておくが、スティーブ・ジョブズはもちろんその一人だ。

ただ、俺が思うにこの国で普通に生きていると、若い時に「かっこいい」「こうなりたい」と思える人との出逢いが少なすぎる。だからこそ、もし君が一瞬一瞬を全力で生きていけば、その姿は必ず誰かにとっての「かっこいい」と思う対象になるはずだ。そして全力で生きた未来の君と出会った若者は、きっと君に対して憧れを抱くだろう。

君が全力で生きることは、君だけのためではなく、誰かの希望になりうる。君自身が希望となることで、君に触れた誰かの心に火が燃え移る。俺はそうありたいと思うし、これを読んでくれる君にもそうあってほしいと思う。もし君が道塾の塾生なら、きっと君の担当スタッフがそうした存在であったはず。俺はそうした生き方を、少し前に思いついてからこんな風に表現している。

Be hope, make hopes.

自らが希望となり、それによって新たな希望を創り出す。

俺はまだまだジョブズみたいにかっこよく生きられるわけじゃないけれど、俺なりに全力で生きていく。これからいろんな逆境が待っているのだろうが、それを一つずつ味わいながらすべてを乗り越えていこうと思う。もし君が「希望」となるような存在を見いだせないのなら、俺の姿を見ていてほしい。それに刺激を受けて俺を軽く乗り越えるくらいになってほしい。

希望を見いだし、それに近づこうとする中で自分自身が希望になる。そして、自分が次の時代の希望を創っていく。そうやって生きる間のどこかで出逢い、「あの頃、『道草』を読んでましたよ」と言ってもらえたなら、それ以上に嬉しいことはない。

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最後に。

大学では人と深く関わろう。恋をして、親友と呼べるような仲間を見つけること。そのためには待ってないで自ら一歩を踏み出すこと。それは勉強以上に大切なことだと断言できる。俺は道塾を最高の仲間とやれていることが一番の幸せだし、離れた仲間とどこかで巡り逢うことを一番の楽しみにしてる。

Be hope, make hopes.

そうなった君と、いつかどこかで逢えるのを楽しみにしてます。最後まで読んでくれてありがとう。

道塾塾長
馬場祐平

【参考】
スティーブ・ジョブズのスピーチ

【関連エントリー】
希望なき国に生まれて(1) 
希望なき国に生まれて(2) ~拝啓、若者へ~

2 Comment:

ヨウ さんのコメント...

はじめまして。
いきなりのコメントごめんなさい。
自分なんかが馬場さんのブログに書き込みするなんて本当無礼なことですね;

馬場さんが毎日お忙しいのは分かってます。 なので例え、このコメントが馬場さの目にとまらなくても全然構いません。

 ただ、自分はどんな環境からでも精一杯に生きられる誰よりも憧れの馬場さんにだからこそ、こんなつたいない文章ですが、ここに残すことで自分から逃げず、自分のなかでのここを最後のスタートラインにするために書き込ませてもらいました。

いきなりこんなこと言われても何言ってるか分かりませんよね;

実は、自分は逃げってばっかのダメ人間なんです。
受験勉強をはじめたのは高2の9月
きっかけは東京の年上の幼なじみが通っている中央大学を案内してくれた時の事でした。
「自分も、こんな素敵な学校生活をしてみたい。そして、夢に向かって大学で勉強したい。」 それがきっかけでした。
 しかし、自分が通ってる高校は県で首位にたてるんじゃないかと思うほどの学力がない水産高校です。
3学年の95%は英語でいうと代名詞を理解してないレベルです。
しかし、そんなことを自慢したいんじゃないんです。
そんなの、自分の努力しだいで変えるべきことだったんですよね。
自分はまず学校に行ってもただ時間だけを取られる生活に嘆き、環境のせいにして逃げていました。

でも学校で1番苦しかったのは、人間関係でした。 難関大学を目指すと決めたとき。自分は9月に行われた初めての進路調査で進学と記入しまた。 
しかし、自分の水産高校から進学するのも稀であるのに、難関大学なんて誰も味方してくれませんでした。
いろんな先生方、そしてマーチをもちろん知らない周りの生徒からも難関と言うだけで批判されました。
それでも、最初は信念があってなんと言われようがかまわなかったんです。
でも、後に自分の高校でこんな惨めで辛い思いするとは想像してませんでした。
 もとはと言うと自分は進学の勉強してるなんて周りにしられたくなかったし、最後までこっそり勉強したかったんです。
しかし、まあみごとにあっとゆうまにベラベラしゃべる知人により学年中に広まってしまったわけで・・・
それからというものが辛くなっていったんです。
いろんな先生からはほとんど無理だと決め付けられました。それだけならいいんです。 後から友人から聞いた話しなんですが、ある先生は自分のクラスを除く他のクラスの生徒に対し「この学校から中央を目指してるやつがいるみたいだが、そいつ馬鹿じゃないのか?」と延々と語っていたそうです。
自分はその先生と関わったこともないし、嫌われるようなことももちろんした覚えがありませんでした。
ただただ、先生の間で担任から話しが広がり、それを話題にして勝手に話していたそうです。

悔しくって、「勉強してやる」と意気込んでやっていたものの、中学もろくに勉強してこなかった自分にとって何もかもが謎に満ちていました。
勉強方法? 英語? 現代文?
田舎の田んぼだらけの高校に寮生活をしてまで通っていた自分にとっての塾など存在しませんでした。
インターネットも寮なのでなく、「とにかくやってみよう」 それだけでした。
結果いくら時間を費やしても上がらない・・・完全に受験をなめていました。
進研ゼミで受けつずけた模試は、結局最後まで解いててもなにも理解できませんでした。
そうして、日に日に勉強が苦しくなっていったのです。
そしてトドメをさしたのはあるできごとでした。
 それから高3の夏休みも終わり、受験を始めて1年がたたのですが、それでも勉強法がむちゃくちゃな自分の成績は相変わらずでした・・・
毎日、夢が離れていくのをかんじていました。 それでもなんとかしたくて、でも分からなすぎて を繰り返す辛い毎日でした。
 そして、そんな迷っているときにその事件はおきました。
夏休み明けに受けた進研ゼミの筆記の模試、英語200点中7点という点数を取ってしまったのです。
「あいかわらず英語のやつめ・・・」
 他の教科もほとんどできてない状況でそんなことを考えてると。
何日かしてある英語の先生がそれを話題に、学年中に言いふらされてしまったのです。
「あんなんだから進学めざしてるようなあいつは7点なんて点数とるんだよ」っと。
もう意味がわかりませんでした。
担任が模試の結果さえ他の先生達に話題提供してるのかと思うと、悔しさと怒りとそれでも言い返せないありのままの現実が一気に押し寄せてきて、ついに勉強することが恐くなってしまったんです。
頑張っても自分なんかどうせ・・恥をかくだけだ 毎日が悲観的になっていきました。
学校で習う水産などの勉強も内職をしていた自分にとってひどい成績となっていきました。
入学した当初の順位は2~5位であった成績も30人中16くらいになり周りからは「俺より点数低いやつが大学いけるわけないじゃん」っといろいろ言われました。
 「俺はこの学校の勉強なんて意味ないって思ってるから」なんて本音を言ったところで受験とは一切関わりないクラスのやつに言ったところで、理解してもらえるわけもなく、批判する元気すらありませんでした。
1人で模試を受ける自分、相談できる人もいないし頼れる人もいない。
なんでこんな自分って弱いんだろ・・・
こうしてまた勉強から逃げ出してしまいました。 

 しかし、そんなときだったんです、自分が馬場さんの存在を知ったのは。心のどこかで諦めたくないという消えそうな苦しいけど必死な思いを抱えて、すがるように書店を歩いた日々、そして目に止まった馬場さんが書いた本「受験はゲーム」この出合いが自分の中で最後の希望に繋がるものになったと今は思います。
はじめて知った正確な勉強法、今までの通信講座などがどれだけ非効率であったこと。
本当に、うれしかったです。
「もう1回やってみようかな・・」
そうして、久々に揃えた教材、ずっといってなかった田舎の図書館、準備を整えいざ取り組んでみると・・・勉強が自分の中のコンプレックスになっていてなにもかも楽しくなくなってしまってたのです。
そうして、3度目の逃亡。
10月からは道塾に入っていたものの、結局半年間弱い自分に勝てないまんまでした。
道塾の担任の方には一生懸命の指導に対して、自分は期待を裏切るようなことの毎日で大変迷惑をかけてしまいました。 本当に申し訳ありません。

でも、道塾からはたくさんの事を救われました。 卒業前、受験を始めてから周りの人間から距離をつくり1人勉強をしつずけてきた自分にとって高校では友人と呼べる友人は少ししかできず、昼休みも教材を開いて一人食事をとっていた自分に「可愛そうな高校生活だったな」と担任に言われ苦しかった時、道塾さんがいなければもう折れてしまってたかもしれません。

そして今、もう1年だけ時間を親からもらいました。 もう逃げたくない。馬場さんが言うとうり絶対諦めたくないんです。
せめて、来年の試験会場に自分がいるだけでいい。
口でいうほど簡単でないのはいたいほど分かります。
 だから憧れの馬場さんにここで誓うことで自分の中での最後のスタートラインとして、残しておきたいんです。

まずは、なにより本当に道塾をありがとうございました。

そしてここに残したことに自覚をもってこれから走りだしたいと思います。

山田 さんのコメント...

こんな立派なブログにコメントしても良いのかとても不安ですが…書かせてください!

私は今進学校に通っている高2の者です。当然周りは進学(ごく稀に就職など)進路が決まっている人がほとんどで、決まっていない私は不安でいっぱいです。まず進学か就職かで迷っていますし(;_;)

でも決まらなくてもやりたいと思っているものはいくつかあります。今は、馬場さんのブログにも書いてあったようにどんなことでも将来に繋がっているということを信じて、人生を歩んで生きたいと思えます。自分の心の持ち方次第で良くも悪くもなるということを肝に銘じて常に向上していきたいと思います。

綺麗ごと言ってすみませんでした(ノ_・。)