僕は大学に合格した7年前から「いつか中退しよう」と思っていた。「中学中退、高校中退、大学中退」。こんな響きはなかなか世にないし、「中退一流、留年二流、卒業三流」と呼ばれる早稲田ではいっそう魅力的に思えた。道塾が軌道に乗りはじめた大学6年末には「もういいだろう」と思って中退届けをもらいに行った。
ハンコも押して「さぁ、これから中退届けを出しに行こう」という時に、既に有名企業で働いていて、大学時代にいちばん深い付き合いだった男が僕に言った。「お前が大学を中退するなら、俺はもう二度とお前と一緒に何かをすることはないと思う。残念だけれど、大切な人の気持ちさえ想像できない人間を俺は信じることはできない」。
「中学中退、高校中退、大学中退」という肩書きは捨てがたかった。でも、それ以上に僕には魅力的な生き方を思い描いていた。それはこれまでに出逢い、これから出逢うであろう仲間たちと、どんな映画より面白い人生を生きること。僕の中退を6年にわたって諫め続けたその男は、僕が人生ではじめて出逢った心からの「仲間」と呼べるヤツだった。
仕方ない。
諦めて僕は単位を取りに行き、1年かけて今日、卒業してきた。
卒業してしまった僕は「中退一流」に数え入れられないのはもちろんのこと、もうスティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、マイケル・デルといった「生きる伝説」を自分に重ねて考えることはできなくなった。彼らは大学中退者だった。経営の神様と呼ばれる松下幸之助に至っては小学校中退のまま自分の道を切り拓いた。僕は彼らの生き方に憧れていた。
「大学卒業」という肩書きに意味がないように、「大学中退」という肩書きにも意味はない。それは分かっていたけれど、なかなか断ち切れぬ思いだった。だが14年にわたって僕の卒業を願い続けた母親にもらったばかりの卒業証書を「息子さんの卒業祝い」としてプレゼントした後、オフィスへの帰り道に感じたのは意外にも「清々しさ」だった。
卒業とか、中退とか、そうした(あまりに贅沢な)悩みから僕は自由になった。無意味なこだわりを捨てたことで、シンプルに未来のことだけを思い描けるようになった。同時に、それよりもっと大きなものを僕は手に入れた。そのひとつは、先に出てきた男、庄司裕一。僕と話を交わした頃には「組む」と言っても早くて十年後くらいだろうと互いに思っていた。だが時代の巡り合わせか、その時からわずか10ヶ月足らずで道塾にやってきた。
第一希望のリクルートに入社し、誰よりも会社を愛していた庄司。道塾に転職する際もほとんどの同僚に止められたと聞く。でも自分の人生と、道塾の未来と、なにより日本の将来のために敢えて危険な道を庄司は選んだ。何かを得るためには何かを失わなければならないとはよく言ったものだが、充実した職場と輝く未来を捨てた庄司は、道塾という危険な道に踏み入ったことで新たな何かを手にしているのだと僕は信じている。
庄司の選択が正しいものと言えるようになれば、日本の社会ももう少し明るくなるように思う。今年大学に入学した子たちが就職する頃にはそれを証明していたい。そのために大学中退という肩書きを失った僕は、庄司と、そしてその後に得た「仲間」たちと共に、この道塾に文字通り「すべて」を賭けていくよ。
ということで、中退はなくなりました。期待してた皆さん、ごめんなさい。笑 これからは学生ではなく、道塾の経営者ならびに塾長としてやっていくことになります。あらためて、よろしくお願いします。
最後に、お礼を。僕に「卒業しろ」と言い続けた母、祖父、庄司、それから僕の単位取得のために協力してくれた無数のひとたち。この卒業は、すべてあなたたちのおかげです。大学には7年間も通ったけれど、出席日数は普通の1年分にも満たないはず。でも、普通の人が10年通っても得られないものを、僕は大学で得ることができたと思います。ここで得たことを、最大限誰かに返せるように僕は生きていきたいと思います。どうもありがとう!