2008年7月10日

MEGA PEACE vol.1.5


 MEGA PEACE vol.1.5が終わった。タイトル通り12月のvol.2へのステップという位置づけの今回の企画。傍から見る感じで参加していた僕は、正直言って期待よりも不安の方が大きかった。でも、そんなものは完全に余計なお世話で。1日目のラスト、「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌っているたくさんの笑顔を見た時、最高だ、とただそれだけを感じた。

 すこし前に星野ちゃんの「学芸会」という言葉を聞いてから、MEGA PEACEというのは「大人の学芸会」だと思うようになっていた。来る人は、だいたい誰かの友達や家族。そうじゃない学生イベントがそもそも少ない中で、それを受け入れてあえて特徴にしてしまう。「内輪のイベントだね」という批判を真っ向から捕らえて投げ返す。それが参加型の音楽祭であるMEGA PEACEの強みだと思う。

 どこまで内輪で、どこからが輪の外かだなんて、現実に区別することはできない。たぶん、そこにいる人が「受け入れられている」と感じられれば内輪になるんじゃないかな。「ほら、その線なんて超えてこっちおいでよ」という声が届けば、その境界線を飛び越えることはできる。一度飛び越えてしまえば、それが大したものじゃないことに気がつける。

 昨晩、大学一年の頃に出会った友達に電話をかけた。大学の二年目に京都に移籍してからはあまり話す機会がなかったが、4月から働きはじめた彼と「利害のない時代の付き合いって、ほんとかけがえないよな」って話していたら、どういうわけかぐっと来て涙が出そうになった。あの頃の何でもない瞬間を、青春ドラマの1コマのように感じて。

 ビジネスの世界に片足を突っ込んでみてつくづく思うのは、利害とか縄張りから生まれる「所属」の存在。会社なんてその代表格だ。たぶんそれが当たり前なんだと思う。でも、その「当たり前」の状況って、実は当たり前じゃないんだ。メガピ「また明日」チームのムービーにあったように、僕らの間には「本質的な違いはない」という感覚がどこかにはあって、それを感じた時、理屈抜きで心が震える。

 そのことをMEGA PEACEは気がつかせてくれる。学生にはあまり利害の意識がないから(それが学生時代のいちばん大切なことだ)、本当にこれを必要としているのは、ビジネスの世界で喉がからからに渇いている大人たちなんじゃないかな、と思う。MEGA PEACEがなければ、昨日の夜、僕が懐かしい友人に電話することはなかっただろうから。

 ジョンの言うように、5分でいいから、ビジネスマンも、学生も、赤ちゃんもじーさんばーさんも、みんなが利害抜きの人間関係で、互いを感じられる瞬間があればいい。この地上すべてが舞台の学芸会が、たった5分でも行われれば、僕らの世界の感じ方はもう少し変わる。肩を組み円になって「あの鐘」を歌うみんなを見た時、それをあらためて確信した。

 MEGA PEACEの二日目が終わって会場を出る時、辻さんという7年生のお母さんが、「こんな空気を感じるのはひさしぶりで、大きな声で歌っていたら、なんだか涙が出ちゃったわ」と話してくれた。青春ドラマは取り戻せない時間のようで、一歩踏み出せばいつだってすぐそこにある。現実には大変なことがたくさんあるだろうけれど、そういう声が存在することを自信にして、より素敵なvol.2へと走り続けてほしいなと思う。


 【フォト】 メガピ終了後、隈前に集まる直前の、強い女の子たち。男は泣いてばかりだった。笑 みんなおつかれさまでした。そしてありがとう!
2008年7月7日

キーワードとスタイル化


 この一連のエントリーのはじめの「スタイル化の技術」において僕は、「スタイル化とは、世界にただ一人しかいない自分自身にぴったりのフォームを探り続ける、ということだ」と書いた。

 スタイルとは、その人に固有のものだ。英語だとか、ロジカルシンキングだとか、それをWHATにしようとする人がいるけれど、それは単なるツールに過ぎない。ツールは自分のスタイル作りに役立ちはしても、スタイルを決定づけるものにはならない。

 世界にただ一人しかいない「自分」が何(=「WHAT」)のスタイルを選ぶのかについては、自分自身と関連づけるしかない。具体的には僕の話をすることになるのだけれど、それは長くなるから後ですることにして。昨日は選んだスタイルによる中長期的な影響について書いた。今日はそのスタイルをどのように選ぶのかについて、つまりHOWの部分の話をしてみたい。

 スタイルの元になるのは、あくまで自分固有の物語(=ストーリー)だ。だいたいそれは、冷凍庫で凍っている。まずそれをしっかりと温めることからはじまる。そうして溶け出したストーリーをさらに熱し続けて、固形物だけを取り出す。その固形物とは、自分の核となるキーワード群のかたまりだ。

 キーワード群を取り出したら、次はそれをふるいにかける。それでも残るのがその時の自分のキーワードだ。このキーワードをしっかりと取り出すことが大切だ。これがスタイル化の核になる。僕はだいたいいつでもキーワードを5~7個くらいをストックしておくようにしている。

 もう少し具体的に述べれば、僕は自分というストーリーを人と語ることで「温め」、文章に書くことで「結晶化させ」、時という「ふるいにかける」という一連の作業を経て抽出している。いちど抽出してしまえば冷凍庫に入れずともストックしておける。

 キーワードという使いやすい形にして、いつでも手元にストックしておく。そうすることで、そのキーワードに近いものに出会った時にすぐさま反応できる。次第にそのキーワードを中心とした新しいストーリーができる。そして然るべき時にまた抽出の作業を行う。

 繰り返し行われて抽出されたキーワード。そのいくつかを組み合わせることで、世界に自分だけと自信を持って語れるスタイルを確保する。これが僕のスタイル化のやり方だ。

 自分の指向性や専門性や人間関係を拠り所に「自分にしか生み出せない価値」(さまざまな要素からなる複合技)を定義して常に情報を発信していくこと(ブログが名刺になるくらいに。自分にとって大切ないくつかのキーワードの組み合わせで検索すると自分のエントリーが上位に並ぶようなイメージ)。(梅田望夫『ウェブ時代をゆく』 P102)

 僕がどのようなキーワードをストックしているのかについては、ここでは触れない。正直に言えばまだ自信を持って語れないのだ。でも僕の人生を知り、このblogを注意深く読んでいる人であれば、ある程度は察することができるのではないかと思う。

 僕自身、だいたいの道筋は見えている。これから新しい経験をして、人と語り、こうしてblogを書き、そして時を経ることで、僕のスタイルは少しずつ確固たるものになっていくと思う。すくなくとも、この一連のエントリーを書き終える頃には、多少なりとも自信の持てるスタイルを確立させていたい。

 僕のスタイル化のやり方が、こうして読んでくれているあなたをはじめ、誰かの役に立つのかは分からない。たぶん、ひとりひとりやり方は違うのだろう。ただ最近「スタイル化の名手」とたびたび出会うようになり、そうした人々が共通して「生の推進力」のようなものを持っていることは確かだと感じている。

 【フォト】 中に入れなかった井上雄彦展。スタイル化の極致。。。
2008年7月6日

スタイルと未来の自分


 昨日のスタイル化の技術の話の続き。

 そもそもなぜスタイルを選ぶことが必要なのかといえば、それなしには僕らは(すくなくとも僕は)その時々の気分に流されてしまうからだ。感情の奴隷にならないため、理性による自由を得るのがスタイル化だと思ってる。

 その上で今日は、あるスタイルを選び取ることが、長いスパンでどのように自分に影響を及ぼすのか、ということについての僕の考え。

 昔の話をしよう。

 中学2年の頃、ゲームセンターで遊んでいたら7万円の入った財布を拾った。僕はすぐさまポケットに突っ込んで店の奥にある便所へと向かった。中身を抜いて、カードと財布はゴミ箱に捨てた。一緒にいた仲間と二人で等分し、僕らはそのままゲームを続けた。

 すこしして二十歳くらいのヤンキー風の兄ちゃんがやってきた。焦った様子で「ここに財布落ちてなかったか?」と聞いてきた。僕はすこし胸をドキドキさせながらも、きょとんとした顔を装って、いえ知らないっすよ、と答えた。人相の割に人の良さそうな彼は、辺りをすこし探してから店を出ていった。

 確信を持っていえるけれど、今の僕は昔と同じ行動を取らない。そうした生き方をしないとは思わないからだ。倫理的にというよりも、あくまで戦略的に、僕のスタイルとして然るべき場所へ届ける。

 後になって、かっこ悪い行動をしたな、と振り返りたくないという気持ちもある。が、それ以上に僕をそうした行動へと促すのは、ひとつひとつの行動の積み重ねが「自分」を形づくっていくと思うからだ。

 スタイルの真価は、中学生だった僕が7万もの大金を拾った時のような、思いがけない偶然の瞬間にこそ試される。その時にスタイルに沿った行動ができるか否かは、日常の些細な行動の積み重ねによって決まる。それは野球のバッターがプロになっても地道に素振りを続けることに似ている。

 僕らはふだん過去の自分の経験からその時の選択肢を選ぼうとする。そうではなくて、あえて未来にいる想像上の自分から、現在の自分を選び取る。1年後、5年後、10年後、30年後に理想とする自分から振り返るようにして、今この瞬間の選択を決定する。

 その選択が、未来の自分を形づくっていく。思い描いた理想へと近づけていく。それがスタイルの力だ。

 未来から振り返って今を考えることは、自分が何かをする時に必要か必要でないかを判断するのにも役に立つ。1年後にもこれは必要か? と問えば、たいていのことは省ける。ゴミ捨てのような身近なことから、一生を左右する重大な決断においても、僕はそれをいつも自分に問うようにしている。

 その時に、それでも必要だと確信したものは、僕は絶対に譲らない。スタイルを貫くとはそういうことだ。


 【フォト】 MEGA PEACE vol.1.5、本日開幕。6(日)は16:00開演(15:30開場)、7(月)は17:30開演(17:00開場)で、場所は小野梓記念講堂(大隈講堂横の建物の、地下二階にあるホール)。僕はいち参加者として歌います。会場のサイズからしても、アットホームな空間になればいいなと思って舞台に立ちます。よかったら、ぜひ。
2008年7月5日

スタイル化の技術


 この数ヶ月間ものすごく意識してきたのが、自分をどのようなスタイルにするかということ。野球で言えばバッティングフォーム。自分がどのバットを握り、どのような姿勢で、どれくらいのスタンスで、どのような意識を持ってボールを打つのか。つまり自分がどのようなスタイルでバッターボックスに立つのか。

 選び取ったスタイル次第で、未来の結果は自ずと決まる。

 なぜなら確固たるスタイルを保てば、あとの物事は確率の問題だからだ。人事を尽くして天命を待つ。十数年前に祖父に言われて以来、ずっと僕のどこかで生き続けている思想だけれど、尽くせる人事の方向性を決めるのがスタイル化ということだと思ってる。

 もちろんスタイルの変更をすることはある。でも基本的には一度それと決めたら行けるところまでとことん突っ走る。それがスタイル化のルールだ。プロ野球の選手だって、シーズン中に何度もバッティングフォームを変えたりはしない。よほどひどい時を除けば。

 このスタイル化について口やかましく繰り返していうのが、僕がよく引き合いに出す梅田望夫。数日前にすばらしい講演録がアップされたから、興味があれば目を通すといいと思う。彼自身がどのように自分のスタイルを形作ってきたかについては著書『ウェブ時代をゆく』を参照。

 彼は「個の固有性に意識的に生きる」と語る。今日の小飼弾も、そのことを別の角度から書評として述べていた。

 「自分を知り、自分自身であることは、口で言うほど簡単なことではない。もし簡単なら、これほど多くの人がが借り物のポーズで歩きまわり、どこかで聞いてきたような考え方をまくしたて、集団からはみだすことを恐れて、必死に社会に適合しようとしているはずがない。」 (「リーダーになる P101」)

 スタイル化とは、世界にただ一人しかいない自分自身にぴったりのフォームを探り続ける、ということだ。梅田望夫には梅田望夫の、小飼弾にはDan Kogaiの、そして僕には僕のスタイルがある。人は変わり続けるから、スタイルも変わり続ける。でも僕がスタイル化し続けることだけは変わらないだろう。

 スタイル化の基本要素を大きく分けると、1,中長期的に何を自分のスタイルとして選び取るのか、 2,選び取ったスタイルを徹底するために、どのように24時間を生きるのか、という2点に集約されると思ってる。詳しいことはこれから少しずつ書いていこう。


【フォト】 同室人のコテツ君。水泳の授業前。彼のスタイルは、野獣。「ばばちゃんより本を読んだら俺無敵じゃん」というので、「コテツ君より筋肉ついたら俺無敵じゃん」と言い返す。現在、平山ビルでは体脂肪率レースが開催中。
2008年7月4日

耳を澄ませ、目を凝らせ

 2年くらい前に「想いのメディア」という企画を立ち上げた。僕と庄司でアイデアを練って、声をかけて集まったのが甲斐孝太郎、杉山啓太、逸見康成の3人。大隈庭園に寝っ転がって話し合いを重ねたのが懐かしい。「こぶしを握りしめた男」ですこし触れた通り、人が何を握りしめているかに敏感になりたい、というのが当時の想いだった。

 この企画は結局うまくいかず立ち消えになってしまう。でも実はいまMEGA PEACE7月企画の統括をしている星野ちゃんが1週間授業を切って走り回ってくれたおかげで、昨年12月のMEGA PEACEの当日パンフレットへと形を変えて結実した。今日のタイトルは、その「想いのメディア」を立ち上げた頃、とても大切にしていたフレーズ。


 そうは見えないと思うのだけれど、僕はこのところ他者との距離感がうまくつかめずにいた。自分が声を出しても、どこにも響かないように感じていた。周りとの間に薄い膜があって、それがすべてを遮っているような・・・。

 「耳を澄ませ、目を凝らせ」と言いはじめてから時間が経ち、そのことを伝えようとするあまり、僕自身が耳を澄ませたり目を凝らしたりすることを長い間忘れていたように思う。僕は語りすぎていた。想いのメディアを、メガピースを、道塾を、教育を、それらに賭ける想いを伝えようと喋りすぎた僕の喉は、からっからに渇いていた。

 僕の声を遮っている膜の存在に、最近ようやく気がついた。ずいぶんと時間がかかったが、それくらい僕が周りを見えていなかったということなのだろう。

 今まであった膜を取り払って、周りに意識を向ける。他者と真正面から向かってみる。すると、今まで気がつかなかったものが見えてくる。聞こえてくる。

 耳を澄ませば聞こえてくる相手の響き。目を凝らせば見えてくる相手のしぐさ。声にならない声、流れない涙。僕はこうしたものを聞き流し、見逃していたのかと思い、はっとする。

 あやうく干からびて倒れるところだった。でも、今回もどうにか乗り越えられそうだ。一時沈みかけていた調子が、また本調子に戻りつつあることに気がつく。

 みんな、僕にまたいろんな声を聞かせてください。いろんな表情を見せて下さい。それが僕の生きるための水であり、楽しみなんだ。


【フォト】 井上雄彦の「最後のマンガ展」に行こうとしたのだけれど、平日の昼間にも関わらず1時間以上待つということで悔しいが諦めた。その時に上野公園で見かけた猫、は実に神々しかった・・・。