夜中の2時を回る頃、油麺の「麺珍亭」へと向かう。足し算をすると今年で100歳になる4人。およそ早稲田を歩くのに似つかわしくないおっさん達。満足した帰り道、神田川に沿って「チェリー」を、「大地讃唱」を、「あのスバ」を、アカペラサークルみたいに合唱しながら歩いた。
村上春樹に、たしかエッセイだったと思うのだけれど、時々出てくる「小確幸」って言葉がある。小さい、でも確かな、幸せ。日常の中にある些細な幸せ。午後2時のビールよりも、もっと小さな幸せ。そんな意味だったと思う。当時の僕は「しゃらくせーこと言うなぁ」くらいに思っていたのだけれど、今はその大切さがよく分かる。
20年くらい前に、「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ち分かるでしょう」と叫ぶ少年がいた。はじめてそれを聞いた時は、不幸せまで集める理由が分からなかった。でも、今はその大切さがすこし分かる。
大学1年の真夜中、中野にある平和の森公園にヘタクソなギターを担いでいって、政友会の仲間たちとモンパチを歌った。大学5年の深夜、清野とグランド坂を裸足で駆け上がりながらブルーハーツを歌った。100歳の男達が渋いハーモニーを重ねる中、僕はそんなことを思い出していた。
しんどいことばかりに目を向けると、そこに映る世界には悲惨なことしか起きてないような気になる。実際、そういう世界はあるのだと思う。でも、僕の周りは違う。小粒なものから、一抱えあるものまで、幸せがたくさん転がってる。
もちろん、しんどいこともないわけじゃない。でもそれもひっくるめて、目に映るものすべてをひとつひとつていねいに拾い集めていかなきゃと思う。僕は未だ、ぜんっぜん幸せな場所にいるのだから。
「花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方」
乾涸らびそうになるたび、音楽はいつも僕の心を潤してくれる。肩肘張らずに、出会うものすべてを素直に受け入れ、重みを感じていきたい。
【フォト】 メガピvol.1.5の打ち上げにて。本当はドンペリのはずだった八海山(僕の手配ミスにより)。「慶」太の字が間違ってるよね(ごめんよ)。
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1 Comment:
日常の幸せを感じる瞬間って本当に大切だと思うんです(●^∀^●)
何も感じることが出来なくなる程、忙しくなるのは悲しいことでもある気がします。。。
はるか
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