2008年4月20日
すこし前にもらった「声なき声」を転載します。早稲田という恵まれた地にいると届かない声がある。よかったら聞いてください(本人承諾済。実名だったので名前だけ変えました)。
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はじめまして。早稲田への道の読者でした、Yと申します。
本来であればこの春から大学3年生であるはずの20歳です。
久しぶりに"早稲田への道"で検索してみたところ、
uさんがブログをお書きになっていることを知り、
4月11日の「友人達のmixiやblogを読んでいると~」
という一節を見て、名前で検索してみたら見つけました。
僕は、ニュースステーションの司会者であって早稲田政経学部卒の久米宏に憧れて
この1月まで受験生をやっていました。
ですが、2浪した故に感じるプレッシャーと、
やってきた勉強の成果に自信を持つことができず
親には「成績が伸びなかったので就職します」と言って結局受験しないまま僕の大学受験は終わりました。
「早稲田じゃなくてもいいから」と父や親戚には言われましたが、
元々「自分を試したい」と思い大学受験を始めたものですから、「入れるところへ行く」という選択肢はことさらありませんでした。
そういう意味では、頑張ることができなかった自分が本当に情けなく、また、「入れるところへ行く」という選択肢を選んだ人間が楽しく生きてるのを見て正直羨ましいです。
高卒で就職ともなればこの先安月給で酷使されるのは目に見えていますので、
これからどうするもんかと、もう死んだ方がどう考えてもマシだと考えていた時もありました。と言うか今でもあります。
受験辞める宣言をしてからおよそ3ヶ月間、
僕は生きる理由や目的を求めて多くの本を読みました。
まず一番に影響を受けたのは首都大教授の社会学者宮台真司です。
宮台は
終戦までには「戦争に勝つ」という目的があった。
終戦直後には「アメリカから独立する」という目的があった。
独立後には「生活レベルを上げまくる」という目的があった。
そして現在の日本社会は成熟し切って生きる目的などない。
これから先、日本のような先進国は終わりのない日常が一生が続くのだと言っています。
「なら何の為に人は生きるのか?」という問いに、
『意味や目的から脱却し、「今を楽しく生きること」(=濃密さ)に重点を置いて、それを積み重ねよう(=強度)』
と言っています。
そのためにはまず、『社会は多様な人間がいることを認めなくてはならない』と言っています。
ですが、日本では共産主義かの如く『良い学校→良い会社→良い人生』というレールしか考えられない人間が多く、
良くも悪くもレールを外れた人間は叩かれ、時には才能が潰されることすらある社会や教育です。
この点については4月14日にuさんがブログにお書きになっている通りですから、僕が今更文字にする必要はないかと思います。
まとめです。
「午後2時のビール」について、僕は全面的に肯定し応援します。
好きなことをして生きるのは老後だけに与えられる特権で、
年金をもらうまでは滅私奉公で生きるなんて馬鹿げています。
僕は自分の食い扶持さえあれば、他人に迷惑を掛けない限り人の生き方は尊重されるべき、と思います。
ですが「正社員」「高学歴」「有名企業」といった物ばかりが重要視され、
そのレースを外れた人間は"ボンクラ"の一言で片付けられてしまう社会や教育は見直すべき点が多くあると思います。
uさんはその問題点にいち早く気付き、たまたまそれが大学受験で、「予備校→大学」というレールに異を発したんですよね。
uさんがしようとしている教育改革は社会の改革にも必ず直結します。
バカ右翼とバカ左翼の「愛国心を教えるか否か」の論争の先にとても本当の教育改革があるとは思えません。
やはり、出来上がってしまったレールを取っ払うのはそのレースに乗っかっていない人間にしか出来ないことなんだと思います。
石原慎太郎は著書『オンリー・イエスタディ』の中で、
知人が皆就職する中、組織に属さない小説家で生計を立てることに不安を感じ、同級生が今何をやっているのか調べ、職場訪問をしていた時があったと書いています。
一橋在学中に当時最年少で芥川賞を獲ったあの石原慎太郎ですら、所謂アウトサイダーとして生きるには大きな不安があったんだと思います。
uさんも抵抗勢力や不安感情に何とか耐えて頑張ってください。
既存のレール以外にも人生は沢山あるんだよ、ということを早大生や早大を目指す20歳前後の人間に教えてあげてください。
気付かないで生きるのも楽で良いのかもしれませんが、偏差値70あろうかという集団なんですから、多少は悩んで社会のために知恵を出してもらいたいものです。
僕もまずは自分で食べていくことを考え、
次に独立できる資格や技能を習得しようと考えています。
年功序列・終身雇用なんて言葉に踊らされ、
いつ潰れるかわからない民間にわが身を捧げることなどできません。
アウトサイダーは一見リスクが高いように思われがちですが、
むしろ会社に滅私奉公的な人間の方がこれから先リスクは遥かに高いように思ってしまいます。
食い扶持が見つかればやりたいこと、好きなことも存分にやってやろうと思います。
ジョブズが言っているように、お互いいつか点が繋がると良いですね。
長文失礼致しました。失礼します。
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彼の意見の正しさは誰にも分からない。でも、ここには確かな手触りのある何かがある。
昨日の「声をあげよう」にも書いたけれど、僕ら早稲田生の中で、リスクを取って生きるスタイルがもう少し流行ってもいいんじゃないかな、と僕は思ってます。
リスクを取ろうと覚悟する時、ただ金のためにそうするのではなく、声なき声に耳を傾けることで、進もうとしている道の正しさを信じようとする気持ちが芽生えてくる。
Yがどんな人生を歩んでいくのか、僕には分からない。分かるのは甘くない道のりだろうということだけだ。
僕のblogを読んでくれている人の中には、境遇は違えど、Yの気持ちを分かる人が少なくないと思う。人それぞれ道は違うし、険しさも違う。でも、どんな道をゆくにせよ、自分の価値を見失わずに、自分だけにしか歩めない道を大切に歩み続けられたらいいね。
Y、メールありがとう。僕も進み続けます。
【フォト】 早慶レガッタ。先週の早東戦に続き、実は初めての観戦。春のうららの隅田川。勝利を祝うように太陽が顔を出して、帰りたくないくらい気持ちのいい川辺だった。観戦というと今までラグビーばかりだったけれど、それ以外のスポーツもいいね、と最近になって思ってみたり。
声なき声
すこし前にもらった「声なき声」を転載します。早稲田という恵まれた地にいると届かない声がある。よかったら聞いてください(本人承諾済。実名だったので名前だけ変えました)。
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はじめまして。早稲田への道の読者でした、Yと申します。
本来であればこの春から大学3年生であるはずの20歳です。
久しぶりに"早稲田への道"で検索してみたところ、
uさんがブログをお書きになっていることを知り、
4月11日の「友人達のmixiやblogを読んでいると~」
という一節を見て、名前で検索してみたら見つけました。
僕は、ニュースステーションの司会者であって早稲田政経学部卒の久米宏に憧れて
この1月まで受験生をやっていました。
ですが、2浪した故に感じるプレッシャーと、
やってきた勉強の成果に自信を持つことができず
親には「成績が伸びなかったので就職します」と言って結局受験しないまま僕の大学受験は終わりました。
「早稲田じゃなくてもいいから」と父や親戚には言われましたが、
元々「自分を試したい」と思い大学受験を始めたものですから、「入れるところへ行く」という選択肢はことさらありませんでした。
そういう意味では、頑張ることができなかった自分が本当に情けなく、また、「入れるところへ行く」という選択肢を選んだ人間が楽しく生きてるのを見て正直羨ましいです。
高卒で就職ともなればこの先安月給で酷使されるのは目に見えていますので、
これからどうするもんかと、もう死んだ方がどう考えてもマシだと考えていた時もありました。と言うか今でもあります。
受験辞める宣言をしてからおよそ3ヶ月間、
僕は生きる理由や目的を求めて多くの本を読みました。
まず一番に影響を受けたのは首都大教授の社会学者宮台真司です。
宮台は
終戦までには「戦争に勝つ」という目的があった。
終戦直後には「アメリカから独立する」という目的があった。
独立後には「生活レベルを上げまくる」という目的があった。
そして現在の日本社会は成熟し切って生きる目的などない。
これから先、日本のような先進国は終わりのない日常が一生が続くのだと言っています。
「なら何の為に人は生きるのか?」という問いに、
『意味や目的から脱却し、「今を楽しく生きること」(=濃密さ)に重点を置いて、それを積み重ねよう(=強度)』
と言っています。
そのためにはまず、『社会は多様な人間がいることを認めなくてはならない』と言っています。
ですが、日本では共産主義かの如く『良い学校→良い会社→良い人生』というレールしか考えられない人間が多く、
良くも悪くもレールを外れた人間は叩かれ、時には才能が潰されることすらある社会や教育です。
この点については4月14日にuさんがブログにお書きになっている通りですから、僕が今更文字にする必要はないかと思います。
まとめです。
「午後2時のビール」について、僕は全面的に肯定し応援します。
好きなことをして生きるのは老後だけに与えられる特権で、
年金をもらうまでは滅私奉公で生きるなんて馬鹿げています。
僕は自分の食い扶持さえあれば、他人に迷惑を掛けない限り人の生き方は尊重されるべき、と思います。
ですが「正社員」「高学歴」「有名企業」といった物ばかりが重要視され、
そのレースを外れた人間は"ボンクラ"の一言で片付けられてしまう社会や教育は見直すべき点が多くあると思います。
uさんはその問題点にいち早く気付き、たまたまそれが大学受験で、「予備校→大学」というレールに異を発したんですよね。
uさんがしようとしている教育改革は社会の改革にも必ず直結します。
バカ右翼とバカ左翼の「愛国心を教えるか否か」の論争の先にとても本当の教育改革があるとは思えません。
やはり、出来上がってしまったレールを取っ払うのはそのレースに乗っかっていない人間にしか出来ないことなんだと思います。
石原慎太郎は著書『オンリー・イエスタディ』の中で、
知人が皆就職する中、組織に属さない小説家で生計を立てることに不安を感じ、同級生が今何をやっているのか調べ、職場訪問をしていた時があったと書いています。
一橋在学中に当時最年少で芥川賞を獲ったあの石原慎太郎ですら、所謂アウトサイダーとして生きるには大きな不安があったんだと思います。
uさんも抵抗勢力や不安感情に何とか耐えて頑張ってください。
既存のレール以外にも人生は沢山あるんだよ、ということを早大生や早大を目指す20歳前後の人間に教えてあげてください。
気付かないで生きるのも楽で良いのかもしれませんが、偏差値70あろうかという集団なんですから、多少は悩んで社会のために知恵を出してもらいたいものです。
僕もまずは自分で食べていくことを考え、
次に独立できる資格や技能を習得しようと考えています。
年功序列・終身雇用なんて言葉に踊らされ、
いつ潰れるかわからない民間にわが身を捧げることなどできません。
アウトサイダーは一見リスクが高いように思われがちですが、
むしろ会社に滅私奉公的な人間の方がこれから先リスクは遥かに高いように思ってしまいます。
食い扶持が見つかればやりたいこと、好きなことも存分にやってやろうと思います。
ジョブズが言っているように、お互いいつか点が繋がると良いですね。
長文失礼致しました。失礼します。
---------------------------
彼の意見の正しさは誰にも分からない。でも、ここには確かな手触りのある何かがある。
昨日の「声をあげよう」にも書いたけれど、僕ら早稲田生の中で、リスクを取って生きるスタイルがもう少し流行ってもいいんじゃないかな、と僕は思ってます。
リスクを取ろうと覚悟する時、ただ金のためにそうするのではなく、声なき声に耳を傾けることで、進もうとしている道の正しさを信じようとする気持ちが芽生えてくる。
Yがどんな人生を歩んでいくのか、僕には分からない。分かるのは甘くない道のりだろうということだけだ。
僕のblogを読んでくれている人の中には、境遇は違えど、Yの気持ちを分かる人が少なくないと思う。人それぞれ道は違うし、険しさも違う。でも、どんな道をゆくにせよ、自分の価値を見失わずに、自分だけにしか歩めない道を大切に歩み続けられたらいいね。
Y、メールありがとう。僕も進み続けます。
【フォト】 早慶レガッタ。先週の早東戦に続き、実は初めての観戦。春のうららの隅田川。勝利を祝うように太陽が顔を出して、帰りたくないくらい気持ちのいい川辺だった。観戦というと今までラグビーばかりだったけれど、それ以外のスポーツもいいね、と最近になって思ってみたり。
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