2009年9月25日

1,ネット空間の言説


 ネット空間はバランスを取るシーソーのような性質を持っている。たとえば、道塾が過度にメディアで紹介されれば、その反動としてそれを打ち消そうとする力が作用する。

 だが昨今ブログ界で話題になっていたように、「日本のwebは『残念』」な状況にあると思う。特に「2ちゃんねる」は極めてネガティブな発言ばかりが蔓延する悲しい方向に走っている。ネット空間のシーソーの支点が、マイナスを増幅させる方向にズレてしまっているのだ。

 そのような状況において、道塾が「2ちゃんねる発」というのを一つの宣伝材料にしている以上、いつかその反動が来るだろうとは思っていた。そして、その性質上、おそろしく感情的な非難になるだろうとも。今もいくらかの非難が起こっているけれど、それはこれからやってくる大きな嵐の前触れにすぎないと僕は思っている。

 だから、その前に僕の考えを伝えておきたい。この時期の受験生にとって大切なのは2ちゃんねるなんて見ないことだが、道塾にいる以上、つい見てしまうという人もいるだろう。説明責任を果たすという意味でも、すこし長くなるが僕の考えをここで示しておこう。

 まず、これまで繰り返し書いてきた通り、僕はネガティブな言説をせざるをえない人々を非難するつもりは一切ない。彼らはそうせざるをえない状況に追い込まれたのであり、その原因は彼ら自身にあるというよりも、この世界の負の側面を背負わされたに過ぎないと思うからだ。

 そもそも僕が「早稲田への道」を建てた理由のひとつは、そのおかげで自分が歩むべき道を見つけることのできたネットという空間に、自分なりに貢献したいと思ったからだ。ネガティブな面ばかりが強調されていたネット空間において、実は人生を切り拓くためのチャンスはあるということを伝えたかった。

 結論から言えば、それは局所的には成功したと思う。だからこそ「早稲田への道」があれだけ読まれ、多くの受験生が感謝してくれもした。マイナスに振れていたシーソーの支点は、ある一瞬、ほんのわずかだがプラスの方向に動いた。だが、広大なネットという空間からすれば、それは無にも等しい動きだった。

 たまに「2ちゃんねる」を見たり、「早稲田への道」を覗いたりすると、言いようのない無念さを心の隅で感じる。愛していた故郷が、しばらくぶりに戻ると荒れ果てた地になっていたような感覚。そのせいか、僕は自分の原点とさえ言える「2ちゃんねる」に目を背けたくなる意識があった。無根拠の、感情的な負の言葉で埋め尽くされているからだ。

 でも、そんな中にも僕らが真摯に受け止めるべき意見は常に存在する。だから、僕ら道塾スタッフはそうした批判を見つめる強さ、耳を傾ける誠実さを持たなければならない。


2,ある元塾生の書き込み

2 Comment:

匿名 さんのコメント...

>ほとんどがごく少数の固定メンバーによる根拠のない恣意的な中傷だった。


本当にそうお思いですか?
ずさんな組織体制での拡大はありえない。
受験に命をかけて取り組んでいるものたちへの愚弄である。

志はすばらしい。
ただ今それを言う資格があるのですか。

あるように思えないのですが。

受験生の心のケアを含めて一度見直しされたほうがいい。貴殿の記事より今の2chで書かれている内容の方が妥当性を感じる。

所詮学生の副業としか思えてならない。

匿名 さんのコメント...

そしてまず、経営者として先にきちんと卒業され一度社会に揉まれたほうが本当の意味で教育者として大成されると思う。

志はすばらしい。
長期的に見れば日本を変える方であろうと思う。