2008年2月18日

「信頼の連鎖」構造 序章

ようやく「考え」はじめた。

 2007年は「考えるよりまず行動しよう」という覚悟で走り続けた。それには考えてばかりで行動が伴わず、「地に足がついていない」と言われ続けた過去がベースになっているのだと思う。僕は地に足をつけるための行動を「ふたつのP」、すなわち「Player」と「Performer」になることとして定義することからはじめた。

 最後まで走り抜けた結果、僕は後者のP=Performerには向いていないということが明らかになるのだけれど(てっちゃんをはじめ、僕より得意なやつがたくさんいる)、前者のP、Playerとして物事に主体的に関わっていく楽しさを感じることができた。

 翻って2008年。今年はそうしたPにこだわるよりもむしろ、自分の思考を重ねていきたいと思っている。本来的な性質ではない「P」を、楽しくはあったがやり過ぎて疲れてしまったからだ。日記的なblogと訣別して、なんだか重苦しいこのblogを書き連ねているのもそのためだ。ちなみに最近の僕は毎日ひきこもって本を読み、文を書き、そして酒を飲んでいる(こう書くと今までと大して変わらないが・・・・・・)。

 多くはまだ言葉にできていない僕の思考において、既に明らかになっている今年の主題がふたつある。ひとつは「幸福は自由意志から生まれ、不幸は決定論(自由意志の否定)によってて避けられる」というもので、もうひとつは「信頼の連鎖」構造と呼んでいるものだ。

 前者は久しぶりに哲学書を紐解いて西田幾多郎と格闘しはじめることで端緒を切った。現代思想から遡ってスピノザにたどり着き、そこから逆噴射して現代思想へと戻りつつある僕の世界観は、日本の哲学者たちと、2年前にかじったドゥルーズと、今年はじめて出会うベルクソンとによって深まっていくだろう。

 ただこれを書くにはまだ時間がかかりそうだから、しばらくは考えがまとまりつつある「信頼の連鎖」構造について語ってみたい。取り立てて目新しい概念ではないかもしれないが、僕の経験から自然と発せられた大切にしたい言葉だ。

 何でもいいから卒論を書けといわれたら、僕はたぶんこれについて書くだろう。この考え方はメガピの最中に育まれたもので、あらゆる人間関係、サークルの運営はもちろん、ビジネスや就職活動といったものにまで応用が効くと思っている。

 こういうことを考え続け、書き続け、そしてしばらく後にまたどこかの舞台で活かせたらいいなと思う日々です。(続く)


 フォト:買い物に行く途中、神田川沿いの桜の芽が出てました(拡大するとすこし見える)。まだ二月半ばを過ぎたばかりだというのに、昼間はずいぶん暖かい。この後、たらこスパゲッティと肉野菜炒めを食べながらコテツ君とプレミアムモルツで乾杯して昼寝。至福。