2008年4月26日

こぶしを握りしめた男


 昨日の話は抽象的だったから、今日は具体的に語ることにする。女の子にはプライバシーがあるけれど、少なくともこの男にプライバシーは不要だろうから。

 さて。

 僕の後輩のS.S(5年・男)がバイト先でクビを言い渡された。発端は酔った客の発した一言に突っかかったこと。ムキになった客と口論になり、しまいには路上で一触即発というところまで行ったらしい。握りしめたこぶしを、ギリギリのところで振り下ろさなかった彼の姿が想像できる。

 彼はある企業から内定が出て就活を終えたところだった。初任給約30万、世間一般では誰もが羨むエリート企業だ。だが、そんな彼でも第一志望の広告業界には落ちていた。

 口論のきっかけとなったのは、先の酔っ払いが広告業界を馬鹿にしたことだった。路上では広告業界に加えて早稲田を馬鹿にしたらしい。彼は、暴力こそ振るわなかったものの、それにキレたのだった。客商売で、そんな「小さなこと」でキレるなんて話にならない。当然クビだ。

 哀れな酔っ払いの戯言じゃないか、と受け流すこともできた。僕ならそうしたと思う。でも、彼はあえてそれをしなかった。彼はいつもこんな調子で生きている。だから、たくさんのものを手から落としてきた。彼にとって、それでも最後まで握りしめて残った幾つかのもの、そこに「広告」と「早稲田」はあった。

 彼のバイト先の経営者を僕は知っている。彼も、バイト先の経営者も、お互いに理解はしていたと思う。事実その経営者は、二度としないのなら働き続けてもよい、と言い渡したクビを撤回までして、どうしようもない僕の後輩にチャンスを与えた。

 でも、握りしめたものがぶつかったら、哀しいけれど一緒にやっていくことはできない。それが世の掟だ。後輩は自らその店を辞した。

 握りしめるものが大きいとぶつかりやすい。だから他人とぶつからないように、社会とぶつからないように、できるだけ小さく握っていた方がいい。小さく、でもこぶしの内側から熱がもれてくるような、そんな握り方がいちばんいい。

 彼の場合は、このバイトをするにはこぶしが大きすぎた。そして人に迷惑をかけた。それは彼の責任であり、負うべき当然の傷だ。その点を非難するのは論理的には正しい。

 それでも。

 落ちた第一志望にも関わらず、それを握り続けていた彼の気持ち、それを批判された彼の気持ち、それに立ち向かったことをも批判された彼の気持ち、それらのことを考えるとき、僕は結構本気で涙が出そうになる。僕が涙もろいにせよ、こうした経験は誰だって持っているはずだし、それを思い出したら胸が苦しくならないだろうか?

 できるだけ人を悲しませない方がいい。できるだけ人と争わない方がいい。そんなことは当たり前だ。でも、たとえ何があろうと、握りしめたものは誰にも譲らない。僕は、その生き方を尊重したい。だって、それを失ってしまったら、いったい僕らの手に何が残るというんだ?

 後輩のクビになった話を読みながら僕は爆笑していた。でも、誰が本心から彼の生き方を笑えるだろう? 握りしめたものの間に起こる葛藤、それをコミカルに描くにせよ、涙ながらのストーリーにするにせよ、そこに本物の「文学」が生まれると僕は思う。後輩の書いた文章は、僕にとって「たしかな手触りのある」物語だった。それを笑いながら批判できる人には、怒りを通り越して悲しみを感じる。

 隣にいる人が握りしめているものに想いを馳せることができない人間、ある人の言葉を借りれば「想像力のない人間」と一緒にいるのは疲れる。誰もが何かを握りしめて生きているんだ。そのことを理解し受け入れることができなければ、人と人との間には争いが絶えないだろう。

 事実、世界には争いが絶えない。想像力を失ったこぶしが、大切なものを守るという理由で凶器に変わるからだ。

 人が何を握りしめているかに敏感になりたい。それが僕にとってMEGA PEACEの原型たる「想いのメディア」の出発点だった。メガピの時には一歩進んで、他者に想いを馳せることのできる世界にしていきたい、という言葉になった。ジョンがよく言ってたね。今は戸塚ちゃんが受け継いでくれていると思う。

 想像力を持とう。そう言って遠い世界に想いを馳せるのもいいと思う。ただ、それはまず隣にいる人に想いを馳せ、彼が何を握りしめているかをリアルに感じることからはじまるだろう。

 僕はこの酔っ払いを批判することはできない。僕だって想像力を失うことがあるからだ。それも頻繁に。

 だからこそ。

 隣にいる人のこぶしの中に、それも強く握りしめていて見えにくいものにこそ、想いを馳せられる想像力を持ちたい、と強く思う。そのために、これからも人とリアルな対話をし続けたい。


 また旨い酒を飲みたいなぁ。。。


 【フォト】 事務所の前の、アスファルトに咲く花。野にあっても目立たない小さな花が、都会のコンクリートの中にあるとやけに映える。