2008年5月13日

生活、即、人生


 今年のはじめから模索してた人生第二幕のライフスタイル、ほぼ決定したので載せておきます。

 ■月火水木(平日)
 7時起床、12時まで学習時間(読書&ウェブ巡回&blog書き)、12時~15時はランチ→【午後2時のビール】→シエスタ(昼寝)、15時~23時まで仕事(19時~22時に夕飯を入れる場合も)、25時睡眠

 ■金土日祝(週末)
 7時起床、12時まで学習時間(読書&ウェブ巡回&blog書き)、12時~15時はランチ→【午後2時のビール】→シエスタ(昼寝)、15時~23時まで仕事(19時~22時に夕飯を入れる場合も)、25時睡眠

 実際には夜遅くまで話し込むことが多くて、起きるのが遅くなって午前中の学習時間が減ってしまいがち(=blogも書けなくなる)。就寝と起床の時間を死守することが5月の目標。

 読書は午前もするけれど、ランチ後や移動時間をはじめ、隙間をメインに使ってる。最近はウェブ周りで時間が取られがちになっていて・・・、ここをどう調整していくかが目下の課題。

 見比べれば分かる通り、平日も週末もスケジュールは同じです。違う点は、平日の夕飯はできるだけ入れないようにしていて(入れても仕事関係)、週末はそれと関係なく人と会ってく、ってくらい。ランチと週末の夕飯はできるだけ人と会いたいと思ってるので、遠慮なく連絡ください(平日の夜は断る場合もあります、ごめんね)。

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 僕は、仕事と生活を一致させたいという願望がある。最近刊行された梅田望夫と斉藤孝の対談本『私塾のすすめ』で「生活が作品」という言葉と出会った。岡本太郎も言ってた。「人生、即、芸術」。僕はこういう仕事と生活を分けないスタイルが好きだ。

 上に書いた僕の時間割では便宜的に「仕事」という言葉を使っている。でも実際のところ午前の「学習」と午後の「仕事」が全くの別物かというと、そんなことはない。ランチから新たな「学習」や「仕事」が見つかったり、逆に「学習」や「仕事」で足りないところを夕飯が補完してくれることもある。

 平日と週末、仕事と余暇、そういう分け隔てはしたくない。人間が複雑な有機体であるように、僕のやることすべてはつながりあっているはずなんだ。それを別々のものにしてしまったら「平日」や「仕事」という言葉が急に「しんどいもの」に思えてくる。

 最近まで糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」が出してる「ほぼ日手帳」を使ってた。情報管理をすべてウェブベースに移してからは、薄いメモ帳1冊だけで事足りるようになって「ほぼ日手帳」を持ち歩くことはなくなってしまったけれど、散々試した手帳の中でいちばん僕の手になじんだ手帳だった。

 仕事は大変なことが多いから、楽しい余暇に逃げたくなることもある。そこを何とか繋ぎとめて、生活と仕事を「楽しく」1冊にまとめてしまおう、そういうコンセプトに共感してた。1日1ページ、24時間軸の予定表、持ちやすい文庫サイズ。コンセプトは機能面にも出てくるけれど、「いらないよ」と言われそうな遊びゴコロのある「お言葉」が生活に彩りを加えてくれもした。

 1年前のページを広げてみたら「自己表現論」の授業記録が載ってて、翌日は小松ちゃんがうちに泊まってった日だった。そういうこともあったね。懐かしい日々だ。



 時々、後輩に「こういう企画をやりたいんだけれど」と相談される。あるいは社会人と「こういうことをやっていきたいね」と語り合うことがある。どれも夢物語だから、語る本人にはとてつもなく高い壁に思える。特に会社という厳しい制約状況にある社会人にとってはそうだろう。

 けれど、24時間すべてをそれに賭ける覚悟があれば、たいていのことはできると思う。僕だって上のページを書いてた頃はWIFのことで頭がいっぱいで、メガピのことなんて想像すらしてなかった。それが「半年間」と決めて覚悟して走りはじめたら、目指していた場所のあたりまで辿りつくことができた。そのぶん単位は失ったけれども。

 24時間すべてを賭ける何かに向かおうとする時、前提になるのは何を握りしめるかを考え抜いたか否かだと思う。優先順位(プライオリティー)の明白なライフスタイルづくり、と言ってもいい。「握りしめたもの」を信じて行動する覚悟さえあれば、繰り返すけど、たいていのことはできると僕は思ってる。




 生活、即、人生。

 大切なのは日々の些細な「生活」の積み重ね。


 【フォト1】 二階級特進ですね。100ハイおつかれさまでした。

 【フォト2】 ほぼ日手帳。今年使おうと思って買った革カバーは庄司に、今年の中身と去年の臙脂カバーは道塾スタッフの小竹にあげてしまい、残ったのは去年の中身と、庄司が使っていた紺カバー。

 【フォト3】 朝起きたら突然ドアにこんな紙が貼ってあって、おもわず笑ってしまったよ(この「やす」は元同居人の逸見やす)。うまくいくことを祈ってるよ。