
旅の話を聞くと、彼のblogを読んでいるだけでは気づけないことを聞けた。昨日のエントリーで「表面にはベストな状況しか見せることはない」と書いたが、まさしく彼の生き方はそうなのだろう。「無銭飲食で小遣いまで貰いまくって、きっと太って帰ってくるね。笑」という予感は、真っ黒に焼け、心なしか逞しくなったように見える彼の姿で、見事に裏切られた。
旅といえば、僕も大学時代はよく旅行をした。それでも2週間を超える長旅をしたことはない。「人生という長旅だけで精一杯なのに、それ以上に長旅をして寄るような場所はない」なんて嘯いてきたけれど、要するに旅を続けるのが億劫なのだ。物理的な旅というのは性格的に合わないらしい。

「非日常が日常化する」という旅に対して、「日常を非日常にする」ということが僕の大学後半のテーマだった。あたりまえの日々に彩りを与え、ありふれた出来事の輝きを取り戻すこと。そのためには、日常という世界から一歩踏み出さなければならない。あえて非日常の世界へと一歩踏み込まなければならない。
旅は、人生の喩えとしても使われる。そこには、本来的には非日常な世界が、いつの間にか日常化してしまう、ということが含まれているに違いない。僕は、そんな生き方をしたくはない。
旅に出て一歩を踏み出し続けることと、ごく普通の生活の中で一歩踏み出し続けること、その間に本質的な違いはない。そのことに思い至れば、なんでもない日々の中から、非日常という世界をつかみ取ることはできる。それは、精神の旅だ。
よーへい君がまだ知らぬ土地を追い続けているように、僕は早稲田という東京の一区画で非日常を追い求めてきた。その判断は間違ってなかったと思う。場所は変わらずとも、これからもそうやって生きていきたい。
【フォト】よーへい君。また来週から旅に出るとのこと。
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