10代と20代で大きく変わったことのひとつは死生観。
10代の僕にとって、死ぬ瞬間にいかに満足した人生を送ったと思えるかが何より大切なことだった。だが20代になってからは、最後の1日に満足して死ぬのではなく、今この一瞬一瞬に満足できるかの方がずっとリアルな問題になった。
生まれてからずっと幸せで最後の1日だけ不幸せなのと、生まれてからずっと不幸せで最後の1日だけ幸せなのと、どちらがいいのだろう? という問いの末に、僕は最後の1日は不幸でもいいや、と感じるようになったのだ。
だが、おそらく、今述べたことはどちらも現実には起こりえない。幸せと不幸せは繰り返しやってくるからだ。ある時それに気がついて、「満足した一生だった」と言える人であっても、不幸せよりも幸せの方が3%くらい多いだけなのだ、と思うようになった。
その3%を大きくするためには、幸せも、不幸せも等しく引き受けなければならない。どちらか一方だけを選り好みすることはできないのだから。そうして、幸せ100・不幸せ97の道ではなく、幸せ1億・不幸せ9700万の道を歩みはじめた。
それ以来、僕はあらゆることを引き受けられるようになった。たとえ人生最後の1日が絶望のただ中で終わるとしても、それは単純に「運」の問題に過ぎない。いつ人生が終わるかなんて、誰にも解りはしないのだ。
だから、日々を燃やし尽くせるように、全力をかけて生きていく。
#エイプリルフールのネタが思いつかなかったので、ちょっとマジメに。
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