2010年1月16日

自分が救われたもの。 打ち込めることの探し方

本気で打ち込めることを見つけるのは難しい。幸いにも僕は道塾という場を見つけることができたけれど、大学の2年から4年頃まで自分が小説家になるものだと思っていたから、その目標を失った時は何をすればいいか途方に暮れたものだった。

梅田望夫『ウェブ時代をゆく』にある「ロールモデル思考法」は自分の打ち込めるものを探しながら生き延びるための一つの方法だと思う。僕もそうだったし、他の多くの人もなんとなくやっているものだろうけれど、この文章に出会ってから僕は意識的に行うようになった。

「好きなこと」「向いたこと」は何かと漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう。頭の中のもやもやは容易に晴れない。ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
『ウェブ時代をゆく』 p119(第四章 ロールモデル思考法))

ただ僕が最近意識しているのはこのような「外界」に見つけるやり方ではなく、自分の内側を探す方法だ。引用部でも書かれている通り「漠然と自分に向けて問い続けても、すぐに煮詰まってしまう」から、「自分が救われたものは何か」を考え、それを手がかりにしている。

具体的には、たとえばウェブ。たとえば読書。あるいは先輩、仲間、家族。映画や音楽にもそうしたものがある。その中から、いつ、どんな風にそれと出会い、どのように自分は救われたのか。それを考えていくと澱のようなものが言葉として残る。その澱こそが打ち込めることであったり、本気で語れることであったりするのだ。

ただし、この方法にはひとつの危険がある。過去ばかり見て未来を見なくなってしまう可能性だ。たとえば大学生の多くが高校生に何かをしたがるような心情。それはそれでいいことだけれど、そこで止まってしまっては成長はない。そんな時にこそ「ロールモデル思考法」は過去と未来を結びつけるものとして役立つのだろう。

僕は「早稲田への道」を立てた時、今のように道塾に結びつけるつもりはなかった。無意識のうちにその危険性を感じていたからこそ最初の書き込みで「受験が終わったのにこんな場所に来るのはアホだ」と書いたのだと思う。

でも今は違う。僕にとって「救われたもの」である受験を通じて、より良い未来を創りだすことに本気で打ち込みたいという明確な思いがある。だからこそ、僕は道塾において過去の自分では知ることのなかったエネルギーが心の内に湧き上がってくるのを感じられるのだ。

「救われたもの」のエネルギーは絶大だ。そのエネルギーを上手く利用することさえできれば、未来を切り拓く原動力になる。僕は自分が過去に耽り、そこで止まってしまう危険性を認識しながら、一歩ずつ前に進んでいきたい。

3 Comment:

大原 学 さんのコメント...

>「救われたもの」のエネルギーは絶大だ。そのエネルギーを上手く利用することさえできれば、未来を切り拓く原動力になる。

Strongly Agree!!

「救われた」いう表現が、本当にしっくりきます。恩返しパワーほど強力でポジティブでかつ長続きするものはないと思う。

その信念でどんどん道を拓いていってね!

babayuhei さんのコメント...

>学さん
振り返れば僕はあの頃のWIFに救われ、それがその後の企画へと繋がりました。そう考えると気付いていないだけで、実はたくさんの救われたものがあるように思います。その一つひとつを大切にしていきたいですね。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
いきなりのコメントごめんなさい。
自分なんかが馬場さんのブログに書き込みするなんて本当無礼なことですね;

馬場さんが毎日お忙しいのは分かってます。 なので例え、このコメントが馬場さの目にとまらなくても全然構いません。

 ただ、自分はどんな環境からでも精一杯に生きられる誰よりも憧れの馬場さんにだからこそ、こんなつたいない文章ですが、ここに残すことで自分から逃げず、自分のなかでのここを最後のスタートラインにするために書き込ませてもらいました。

いきなりこんなこと言われても何言ってるか分かりませんよね;

実は、自分は逃げってばっかのダメ人間なんです。
受験勉強をはじめたのは高2の9月
きっかけは東京の年上の幼なじみが通っている中央大学を案内してくれた時の事でした。
「自分も、こんな素敵な学校生活をしてみたい。そして、夢に向かって大学で勉強したい。」 それがきっかけでした。
 しかし、自分が通ってる高校は県で首位にたてるんじゃないかと思うほどの学力がない水産高校です。
3学年の95%は英語でいうと代名詞を理解してないレベルです。
しかし、そんなことを自慢したいんじゃないんです。
そんなの、自分の努力しだいで変えるべきことだったんですよね。
自分はまず学校に行ってもただ時間だけを取られる生活に嘆き、環境のせいにして逃げていました。

でも学校で1番苦しかったのは、人間関係でした。 難関大学を目指すと決めたとき。自分は9月に行われた初めての進路調査で進学と記入しまた。 
しかし、自分の水産高校から進学するのも稀であるのに、難関大学なんて誰も味方してくれませんでした。
いろんな先生方、そしてマーチをもちろん知らない周りの生徒からも難関と言うだけで批判されました。
それでも、最初は信念があってなんと言われようがかまわなかったんです。
でも、後に自分の高校でこんな惨めで辛い思いするとは想像してませんでした。
 もとはと言うと自分は進学の勉強してるなんて周りにしられたくなかったし、最後までこっそり勉強したかったんです。
しかし、まあみごとにあっとゆうまにベラベラしゃべる知人により学年中に広まってしまったわけで・・・
それからというものが辛くなっていったんです。
いろんな先生からはほとんど無理だと決め付けられました。それだけならいいんです。 後から友人から聞いた話しなんですが、ある先生は自分のクラスを除く他のクラスの生徒に対し「この学校から中央を目指してるやつがいるみたいだが、そいつ馬鹿じゃないのか?」と延々と語っていたそうです。
自分はその先生と関わったこともないし、嫌われるようなことももちろんした覚えがありませんでした。
ただただ、先生の間で担任から話しが広がり、それを話題にして勝手に話していたそうです。

悔しくって、「勉強してやる」と意気込んでやっていたものの、中学もろくに勉強してこなかった自分にとって何もかもが謎に満ちていました。
勉強方法? 英語? 現代文?
田舎の田んぼだらけの高校に寮生活をしてまで通っていた自分にとっての塾など存在しませんでした。
インターネットも寮なのでなく、「とにかくやってみよう」 それだけでした。
結果いくら時間を費やしても上がらない・・・完全に受験をなめていました。
進研ゼミで受けつずけた模試は、結局最後まで解いててもなにも理解できませんでした。
そうして、日に日に勉強が苦しくなっていったのです。
そしてトドメをさしたのはあるできごとでした。
 それから高3の夏休みも終わり、受験を始めて1年がたたのですが、それでも勉強法がむちゃくちゃな自分の成績は相変わらずでした・・・
毎日、夢が離れていくのをかんじていました。 それでもなんとかしたくて、でも分からなすぎて を繰り返す辛い毎日でした。
 そして、そんな迷っているときにその事件はおきました。
夏休み明けに受けた進研ゼミの筆記の模試、英語200点中7点という点数を取ってしまったのです。
「あいかわらず英語のやつめ・・・」
 他の教科もほとんどできてない状況でそんなことを考えてると。
何日かしてある英語の先生がそれを話題に、学年中に言いふらされてしまったのです。
「あんなんだから進学めざしてるようなあいつは7点なんて点数とるんだよ」っと。
もう意味がわかりませんでした。
担任が模試の結果さえ他の先生達に話題提供してるのかと思うと、悔しさと怒りとそれでも言い返せないありのままの現実が一気に押し寄せてきて、ついに勉強することが恐くなってしまったんです。
頑張っても自分なんかどうせ・・恥をかくだけだ 毎日が悲観的になっていきました。
学校で習う水産などの勉強も内職をしていた自分にとってひどい成績となっていきました。
入学した当初の順位は2~5位であった成績も30人中16くらいになり周りからは「俺より点数低いやつが大学いけるわけないじゃん」っといろいろ言われました。
 「俺はこの学校の勉強なんて意味ないって思ってるから」なんて本音を言ったところで受験とは一切関わりないクラスのやつに言ったところで、理解してもらえるわけもなく、批判する元気すらありませんでした。
1人で模試を受ける自分、相談できる人もいないし頼れる人もいない。
なんでこんな自分って弱いんだろ・・・
こうしてまた勉強から逃げ出してしまいました。 

 しかし、そんなときだったんです、自分が馬場さんの存在を知ったのは。心のどこかで諦めたくないという消えそうな苦しいけど必死な思いを抱えて、すがるように書店を歩いた日々、そして目に止まった馬場さんが書いた本「受験はゲーム」この出合いが自分の中で最後の希望に繋がるものになったと今は思います。
はじめて知った正確な勉強法、今までの通信講座などがどれだけ非効率であったこと。
本当に、うれしかったです。
「もう1回やってみようかな・・」
そうして、久々に揃えた教材、ずっといってなかった田舎の図書館、準備を整えいざ取り組んでみると・・・勉強が自分の中のコンプレックスになっていてなにもかも楽しくなくなってしまってたのです。
そうして、3度目の逃亡。
10月からは道塾に入っていたものの、結局半年間弱い自分に勝てないまんまでした。
道塾の担任の方には一生懸命の指導に対して、自分は期待を裏切るようなことの毎日で大変迷惑をかけてしまいました。 本当に申し訳ありません。

でも、道塾からはたくさんの事を救われました。 卒業前、受験を始めてから周りの人間から距離をつくり1人勉強をしつずけてきた自分にとって高校では友人と呼べる友人は少ししかできず、昼休みも教材を開いて一人食事をとっていた自分に「可愛そうな高校生活だったな」と担任に言われ苦しかった時、道塾さんがいなければもう折れてしまってたかもしれません。

そして今、もう1年だけ時間を親からもらいました。 もう逃げたくない。馬場さんが言うとうり絶対諦めたくないんです。
せめて、来年の試験会場に自分がいるだけでいい。
 だから憧れの馬場さんにここで誓うことで自分の中の最後のスタートラインとして、ちゃんと残しておきたいんです。
本当に道塾をありがとうございました。

そしてここに残したことに自覚をもってこれから走りだしたいと思います。