この現状に対して、僕は論理的ではないので、ごく私的な意志表明をここに記そうと思う。これは、『希望なき国に生まれて(1)』の続き。
拝啓 若者へ
僕が通っていた私立中学を逃げるように辞めたのは12年前。高校を辞めて「退屈だ」と言っていたのは8年前。小説家という夢を諦めて自暴自棄になっていたのは、2年前だ。わずか2年で、僕は何もないクソ学生から、新聞に出たり、テレビに取り上げられたりするようにもなった。
でも、12年前から、メディアに出るようになった今も、変わらないことがある。僕は、誰になんと言われようとも、一瞬一瞬を、自分の信念に従って、全力で生きてきた。誰に非難されようとも、褒められようとも、それに振り回されないように生きてきた。
中学に受かった時、中学を辞めた時、高校に受かった時、高校を辞めた時、大学に受かった時、辞めると宣言した時、留年が決まった時、小説家を目指していた時、諦めた時、道塾を立ち上げた時、新聞に載った時、テレビに映った時、、、。そのたびに周りの見る目は変わった。特に「大人」の目は驚くくらいコロコロと変わった。
でも。
そういうことは些細なことなんだ。大学に受かったとか、辞めたとか、あるいは2chで叩かれるとか、メディアで騒がれるとか、要するに周りの目を気にすることなんて、そんなことは本質的にはどうでもいいんだ。
大切なのは、自分の信念に従って、全力で生きていくこと。
今だって僕は「大人」から見れば「大学7年なんてひどい落ちこぼれで、ろくすっぽ勉強もせずに、吹けば飛ぶようなベンチャーを遊びでやってる学生」としか思われない。そして、それはある種の人々からすれば正しい意見なのだろう。でも、そんな「大人の目」なんて、僕にとってはどうでもいいことだ。
もし君が戸惑いを覚えるのなら、ひとつ聞こう。君たちを取り囲む「大人」が語ることは、ほんとうに君が心の底からなりたいような「大人」の言葉か? 他に、もっとなりたいと憧れる「大人」はいないのか?
人の生き方に文句を言う「大人」は、いつ、どの国でだって存在する。でも、そんな言葉に惑わされないこと。濁り切った他人の目なんて、ほんとうはどうでもいいことなんだ。偏差値なんて、学歴なんて、その最たるもので、決して本質的なものではない。
もし君が10代なのに、そんな「大人」みたいな濁った眼になりかけているのなら、取り返しのきくうちに目をすすごう。そうすれば、まったく違った景色が見えてくるはずだ。見えなかった光が、目に飛び込んで来るはずだ。
受験屋の僕にとって、教え子をいい大学に受からせることは、たしかに大切だ。でも、それ以上に大切なことがあることを忘れたことはない。
僕は腐りきった超エリートをいくらでも知っているし、逆に、素晴らしい中卒の職人も知ってる。当たり前のことなのに、だが、だからこそ皆わすれてしまっている。だからあらためて言おう。
人がそれぞれに求めるべき幸せに、共通のものさしは存在しないんだ。
人が狂う原因の多くは、周りの目に左右されすぎることにある。自分以外が作った軸に、身を委ねてしまうことにある。そんなことに惑わされちゃいけない。大切なのは、いま、この瞬間を全力で生きること。自分の意志で、自分の向かうべき方向へ生きようとすること。大人の言うことを鵜呑みにしないこと。疑問を持ち、自分の頭で考えること。
そのための一歩を踏み出すことは、いつだって、誰だってできる。15で死んだような目をしてしまっているヤツもいるが、80でも青年の目の輝きをしている人もいる。自分が踏み出そうと思えば、いつだって踏み出せるし、全力で生きていくことができるんだ。そして、そこにこそ、生きることの充実、喜びが生まれるのだと思う。
いまこの国に足りないのは、生きることの充実、喜びを、身をもって示せる人間だ。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、そのすべてを引き受けて、全力で生きようとすることの素晴らしさを、若い奴に伝えられる奴がいないことだ。
「今の政治家の生き方を真似ろ、今の政治家のように生きればいいんだと、なぜぼくらに向かって大きな声で言えないんですか?」(『希望の国のエクソダス』 p310)
14歳の彼らに政治家が答えられないなら、僕が答えよう。
生き方に「答え」なんて存在しない。それは、自分で見つけるべきもなんだ。一瞬一瞬、傷つきながらも全力で、倒れたら這ってでも前に進んで、そしてはじめて手に入れられるのが、自分の生き方なんだ。
「生き方」を求める過程で、安易に人に頼っちゃいけない。人が教えられることには限界があるのを知ろう。突き詰めればこの世に「教育」なんて存在しない。結局のところ、僕らは傷つきながら自分で学んでいくしかないんだ。
でも、目の前にあまりに希望がなくて真っ暗闇で、どこにも進めないように感じるのなら、僕を見てくれ。僕を真似てくれ。
学校を辞めろとか、大学を留年しろとか、そんなことを言ってるんじゃない。僕はどうしようもないクソ学生に過ぎないけれど、自分の信念に従って全力で生きていることは、生まれてから死ぬまで変わらないだろう。これまでも、その軌跡をウェブに書き続けてきたし、これからも書き続けていくだろう。その姿は、ごくささやかであれ、ひとつの光になるはずだ。
そして。
目には見えないけれど、この国にはそうしたささやかな燈が、たくさん灯ってることも覚えておいてほしい。僕の周りにだけで、数十の灯火がある。それらが寄り集まり、ひとつの太陽のように世を照らすようになった時、希望へと続く「道」が生まれ、たくさんの若者が全力で駆け抜けるイメージが、僕の目の前にあるよ。
大丈夫、未来は暗くない。
希望のない国のように見えるけれど、僕はそうは思わないし、ましてや逃げるようなことはしない。愛するこの場で、愛する人々と、僕はやっていく。どこかに逃げるのではなく、この場で戦うこと。「希望の国の創世記」を、一筆一筆、愛でるように書き続けること。そうして、僕はこの国にホンモノの「希望」を創りだしていく。
かっこいいことを言っていても、もちろん、僕にだって挫けそうになる時はある。でも、僕はそのたびに心を暖めてくれる先人たちの言葉で、なんとか生き延びてきた。そのひとつは、僕が昔住んでいた家の便所にあった。その壁には色褪せた色紙がかけられていて、そこには祖父が僕にくれた言葉が書いてあった。
たったひとりしかない自分を、
たった一度しかない一生を、
ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないじゃないか山本有三『路傍の石』
生きる意味なんて、究極的には存在しない。でも、生きることを喜び、楽しむことはできる。せっかく生まれてきたのだから、「生まれてきたかい」のある人生にしよう。そのために必要なのは、自ら一歩を踏み出し、行動を起こし続けること。すなわち、全力で生きることだけだ。
幼いころから僕は、あまりにも古くさいこの言葉を、だが無意識のうちに反芻してきたのだと思う。
25年間生きてきて、確かなことなんて未だ少ないが、これだけは間違いなく言える。幸福は、自分で掴もうとしなければ掴めない。いいかい。自分の幸せを手放さないこと。人の価値に自分の人生を狂わされないこと。自分の人生の舵は、自分で握っていくこと。それだけは忘れないで生きよう。そうすれば、自ずと道は拓けるから。
一昨日、ある友人がくれた言葉を、君にも伝えよう。
「未来は、僕らの手の中に。」
希望を手の中にぎゅっと握り締めて、今日も新たな一歩を踏み出していこう。
最後に。
最近出会った、もうひとつの「希望」を紹介しておきたい。彼は落ちこぼれの不良時代から一念発起し、米国留学を経てエリート商社に入るも、その道を蹴って自らの信念に従って全力で生きている、24歳の若者だ。ここにもまた、「希望の国の創世記」が綴られている。
ソーシャルビジネス ベンチャー日誌
彼が人生を賭けた「マザーハウス」という会社自体は、代表が「情熱大陸」に出たり、本を出版したりしているから知っている人もいるかもしれない。彼はそこで中核的な人材として事業を担っている。
彼はまだソーシャルベンチャーに参画した一人の若者に過ぎないが、おそらく、そう遠くない未来に彼自身が表舞台で輝く日がやってくるだろう(彼には20代がまだ6年も残されてる!)。
こうした希望の光が少しずつ寄り集まることで、世の中が照らされ、後に続ける道が生まれ、僕らの住む世界は変わっていくのだろう。こうした出会いがあるから、希望を捨てずに歩んできてよかったと心から思える。彼も書いてくれたけれど、僕も本当に今年一番と思えるくらい美味いビールを飲めた。
ひとり、またひとりと仲間は集まっていく。「大人」たちが何を言おうとも、僕らがいる限り、希望の燈が消えることはない。そう語っても信じないのが「大人」だが、すべてを黙らせるために、僕らは結果を追い求め、それを彼らに叩きつけていくよ。
3 Comment:
僕は若者ではないけれど、馬場さんの言葉には僕も勇気づけられたよ! 今、僕はきびしい状況にいるけどね、こんな状況だからこそ、まわりにの言うことに追従するのではなく、筋を通すところは通したいんだ。
うーん中学生がこめんとしていいのかね
今日先生に
第一志望を諦めろと言われ
落ち込んでいた。
でも私は先生に言った
「今から頑張れば間に合う。」
先生はこう言った
「今から受験までで偏差値5上げるのがやっとだと思うよ。夢を見すぎだ。」
酷くむかついていた。
こんな子供の夢をねじる様な大人にはなりたくないと思った。
そして馬場さんの言葉に今救われた。
私は思うがままに生きてやる。
先生を見返してやる。
そして最後に
あんな大人なんかに
なりたくない。
見返してやる。
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