2009年9月25日

2009年上半期を振り返って


 ちょうど上半期が終わる時期で総括をしたくもあり、このブログでコメントの要請もされたので、僕の道塾に対する考えをこのタイミングで残しておこうと思って書いてみた。塾生、スタッフ、そしてそれ以外でも道塾に関心のある人は目を通してもらえたら嬉しい。

 まだ道塾は発展途上。でも、だからこそ、これからも更なるスピードでもって駆け抜けるよ。

1,ネット空間の言説
2,ある元道塾生の書き込み
3,いくつかの争点
4,道塾のスタンス
5,これからの道塾と、僕の想い


【過去の関連エントリー】
希望なき国に生まれて(1)
希望なき国に生まれて(2)
挑戦状を叩きつける
龍と春樹と司馬遼太郎
道塾、創業3年目

5,これからの道塾と、僕の想い


 話をはじめに戻すが、ウェブ空間の言説はあまりにネガティブな方向に偏りすぎていると思う。それだけでなく、リアル空間においても、若者はあまりにも夢や希望を語りにくい場所にいると思う。そんな場所にい続けたら身も心も硬く凍り付いてしまう。いつしか斜に構えることしかできなくなり、若い頃にはあれだけ嫌いだった「大人」の一員になっていく。

 この国は、一人ひとりの希望を失わせる力に満ちあふれすぎている。それは誰が望んだわけでもないが、僕らが生み出した「システム」によって作られたものだ。たとえば政治、たとえば教育、たとえば学校、たとえば2ちゃんねる。

 だから、僕は日本のすべての若者が道塾で学べるようにしたいと思っている。ポジティブなメッセージを発し、夢を叶えるための具体的な方法論を伝える大学生と人生のどこかで出会うことは、冷え切った体に太陽を浴びるような暖かさでもって生きるエネルギーを得られるはずだ。それは、潜在的には無数の若者が必要としている出会いだと思う。

 道塾は、単純に偏差値を伸ばすだけの受験塾ではない。偏差値というのは「偏り」があるから生まれるもので、極論すれば、ある特定の層だけを狙った受験塾は偏りを拡大再生産しているとさえ言える。すべての若者が道塾で学んでもなお意味があることを僕は目指したい。

 僕が道塾で実現したいのは、未来を切り拓こうとする熱を一人ひとりの胸に抱かせることだ。そのための武器として勉強法があり、その副産物として成績の上昇や受験結果の合格が生まれる。成績を伸ばすこと、良い大学に受かることは、あくまで過程であり、人生のゴールではない。

 とはいえ、どんなに理想を語っても、受験塾として合格結果という数字がついてこなければ意味がない。でも、これまで僕は道塾のやり方で十分に結果が出ることを証明してきたし、これからもしていくだろう。

 そのひとつの証として、僕らは2012年に塾生1万人を目指すと宣言している。どんなに理想を語っても、それが現実を動かさなければ意味がないからだ。道塾を立ち上げて2年半になるが、ビジネスというツールは、理想を現実に変える上で、この時代においてもっともインパクトのある手法のひとつだと僕は確信している。

 「1万人」という数字ばかり語っていると、質ではなく量ばかりを問題にしているように見えるかもしれない。「ああ、馬場もビジネスライクな考えをするようになったか」、と。でも、1万人という数字は、多くの塾生が満足し、道塾に入って良かったと思ってくれない限りあり得ない。だから僕は道塾を量的に広げてもいくけれど、それは質的に高めることが前提にある。

 塾生が1万人になれば、加速度的に道塾は広がっていくだろう。教えるスタッフ、学ぶ塾生、その一人ひとりが未来を切り拓こうという意志を持ち、ポジティブなエネルギーに満ちあふれれば、ウェブ空間も、現実世界も、今より少しずつ良くなっていくに違いない。

 僕はたった一人で「早稲田への道」をはじめた。それは一定の意味があったけれども、この世界の「システム」を変えることはできなかった。でも今は、僕が一人では達成できなかったことを、道塾の仲間たちと共に実現しようとしている。

 人は夢物語だと笑うかもしれない。勝手に笑ってくれて構わない。いつだって「不可能だ」と言われてきたけれど、僕は一つずつ乗り越えてここまでやってきた。不可能だと思っているから不可能なだけで、僕の目にはそれが実現する姿が見える。

 理想論はもうあまり語りたくない。それは、これまで十分すぎるくらい語ってきたからだ。あとは結果で示そうと思う。それこそが、若い一人ひとりの胸に希望の火を灯し、リアルに世界を変えていくからだ。散々これまでも語ってきたが、これが僕なりの「システム」への対抗の仕方だ。

 罵倒している暇があれば、自分の頭を使い、手を動かし、足を使って歩き、少しでも世の中を変えていきたい。愚痴を言っている時間があれば、誰を憎むのでもなく、恨むのでもなく、「システム」と対峙してこの世界をより良くしていきたい。それこそが、食うに困らなくなった僕らの使命だと思うから。

 仲間がいることに感謝しよう。誠実に批判してくれる人がいることに感謝しよう。そのひとつひとつを糧にして、僕は未来を切り拓いていく。そして、この国に希望の火が灯されたね、と言わせてみせる。


【2009年上半期を振り返って】

1,ネット空間の言説
2,ある元道塾生の書き込み
3,いくつかの争点
4,道塾のスタンス
5,これからの道塾と、僕の想い


【過去の関連エントリー】
希望なき国に生まれて(1)
希望なき国に生まれて(2)
挑戦状を叩きつける
龍と春樹と司馬遼太郎
道塾、創業3年目

4,道塾のスタンス


 最近気になるのはメディアを通じて蒔かれたイメージと、道塾の実像との間に、すこしズレがあるなということ。だから本来は生まれるはずのない非難が生まれたり、あらぬ期待をさせて失望させてしまったりしているのかもしれない。これはメディアに映る僕らが気をつけなければならないことであり、これからはより正確な道塾像を伝えていく努力をしようと思う。

 先にも書いた通り、道塾は「魔法の勉強法」を教える場所ではない。自分で未来を切り拓こうという意志を持った人間を、できる限りの方法で後押しをする場所だ。たまに保護者が子どもを無理に入塾させようとするのを断ることがあるが、これは道塾を誤ったイメージで捉えている最たる例だ。

 僕の知る限り、世の中のどこにも「魔法の勉強法」は存在しないし、同じように「完璧な勉強法」も存在しない。だから道塾で伝えているのは地味な勉強法であり、僕らが最善と考える提案に過ぎない。

 でも、本気で人生を切り拓こうとしている塾生は、道塾のスタッフとの話し合いを活かし、日々の勉強法・生活スタイルを徹底して改善してくる。だから伸びる。そうした受験生を、道塾では力を尽くして応援し続けたいと思っている。

 最近はだいぶ変わってきたが、道塾は元々僕のような落ちこぼれを中心に支えたいという想いではじまったこともあり、偏差値50を超えるような塾生は少数派だった。でも、そうした子であっても、本人の意志次第でトップレベルの受験生と戦えるまでに成長することを道塾は証明してきた。元々ある程度の努力をしてきた子であれば、さらに可能性は広がるだろう。

 「気づいていなかった自分の可能性」を最大限に引き出し、できるだけ高みへと連れて行くこと。高みへ連れて行くというのは単純に高偏差値の大学に入るためだけの指導をするのではなく、己の弱さに打ち克ち、日々努力をすることで自分を高めていく手助けをするということ。

 それが道塾で僕がやりたいことだし、事実行われていることだと思う。道塾の魔法に頼れば変わるんじゃないか、というのは現実とは違う。入塾時の塾長メッセージで「道塾を上手に利用してほしい」と伝えているのは、道塾に「依存」するのではなく、「自立」するために有効に活用してほしいという想いを込めてのことだ。


5,これからの道塾と、僕の想い

3,いくつかの争点


 次に、先のスレッドで指摘されていることについて触れようと思う。気をつけてほしいのは、このスレッドは既に「早稲田への道」というタイトルは適切ではなくて、「道塾」そのものについて語られている場所だということ。

 僕は道塾を立ち上げてからは、宣伝目的で2ちゃんねるへ書き込みをしたことはない。また、書き込まないようにともスタッフに伝えている。それは、ある意味で道塾の故郷でもある場所に土足で踏み込むようなことはしたくないからだ。

 その上で、いくつかの争点について。

 ひとつめは、道塾の教務統括である大賀への指摘について。この件については、来月の頭に道塾ウェブサイトにおいて正式にリリースを発表しようと思う。それで全て片付くだろうから、その時まで待っていてほしい。

 ふたつめは、月謝や金回りのことについて。僕も予備校の授業をはじめて受けた時、授業代を計算していたものだ。1コマ1000円くらいで、この授業に100人いるから、予備校はこの90分で10万を稼ぐわけか・・・、それに季節講習はもっと高いなぁ・・・、なんて。

 でも、そうした大雑把な計算は様々なコストを含めていないわけで、あまり意味がない。清涼飲料水は容器を含めても原価15円もしないし、そもそもミネラルウォーターの原価なんてゼロだが、それで文句を言う人はいない。

 価格は、それに見合った満足をしてもらえているかで決まるものだ。もし道塾の価格がそれに比べて不当に高いのであれば、格安の競合が現れて道塾は人が集まらなくなって潰れるだろう。僕は長期的に道塾が日本に根付くことを目指しているから、決してそんなことはしない。

 より良い未来のために、15000円という月謝を超える価値を生み出すこと。道塾をより良くすることで、その価値をできるだけ大きくすること。そして、そうして頂いた15000円の積み重ねを元に、道塾をより一層発展させていくこと。それが塾長であり経営者である僕の使命だ。

 みっつめは、道塾での勉強効率について。僕は数百人の受験生と話してきたが、ほとんどの受験生は圧倒的に効率が悪かった。こうしたら良くなるのになぁ、と思うことばかりだった。道塾をどう低く見積もっても、勉強法が分からない子が、大学受験をくぐり抜けてきたスタッフに勉強法の相談をしてマイナスになるはずがない。

 もちろん、偏差値70を超えるような最難関大志望の子は既に十分に高い効率で勉強している。でも、今は大学生であるが過去には同じような状況にいた道塾スタッフに、「1,2年前の受験時代の自分が、今の自分と毎週30分話せていたらどうだろう?」と聞けば、誰もが「それはありがたいですね」と言う。どんなレベルであれ勉強に悩むことはあるし、それを信頼できる経験者に定期的に相談できることは大きな意味がある。

 ただし、効率を語る際にこれだけは注意してほしいのは、道塾は魔法のような即効性を持っているわけではないということ。道塾のウェブサイトにもそう書いたことはないし、「早稲田への道」や『受験はゲーム』でも繰り返し書いたはずだ。

 「当たり前の勉強法」を学び、自分の勉強スタイルを日々改善していく。その上で自分のするべきことを徹底して行えれば、成績は必然的に上昇する。たとえば、毎日1%の改善を続ければ、1年後には37倍になるのだ。それは魔法でも何でもなく、地道な努力の積み重ねだ。道塾はその手伝いをするに過ぎない。

 成績に伸び悩む受験生は、「当たり前の勉強法」を「継続して行う」ことができていない。3000時間やればどこでも受かると書いている人がいるが、それだけの時間を主体的に勉強できる人は少ないのだ。そんなことを平気で言えるのは、それだけの努力をしても落ちる人間がいる受験の厳しさを知らないに過ぎない。

 誰もがそれだけ勉強できるのなら、大学受験の難易度はもっと上がるだろう。でも、多くの受験生はそれだけの勉強を続けることができない。だから、道塾は効率を上げもするけれど、勉強時間を増やすためにモチベーションを高める役割も果たしている。そうしたトータルでの塾生のサポートを僕は道塾でやっているつもりだ。


4,道塾のスタンス

2,ある元塾生の書き込み



283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 01:52:28 ID:RJ5E17X90
最後に、
自力で勉強法を確立し、実行し、信じられない速度で成績をあげ合格し
塾まで立ち上げるのは並の人間にできることではない。
早稲田に受かった事も、道塾を作った事もとてもすばらしい事だと思うし、尊敬もしている
だがそれだけで満足しているようにしか思えてならない。
さんざん偉そうな事を言ってしまって申し訳ないがこれが本音だ
俺のような塾生を増やさないようにしてくれる事を切に願う。

 先日の道塾スタッフ会議の中で、指導スタッフの一人が2ちゃんねるの書き込みについて触れ、「この書き込みは読んでおくべきだ」という発言をした。言われて2ちゃんねるの道塾について語られたスレッドを覗いてみた。ほとんどがごく少数の固定メンバーによる根拠のない恣意的な中傷だった。だが、その中でスタッフが指摘した部分は現実の元塾生の言葉だろうと僕は思った。

 端的に言って、これは明らかな指導スタッフ側の過ちであり、僕らが最もしてはならないことだ。僕は書き手の元塾生に対して非常に申し訳ないという気持ちを抱いた。道塾に希望を持ち、しかし裏切られたという想いは一生消えないだろう。確証はないが、おそらく彼は僕と一度話したことがあり、その悩みを打ち明けてくれもした塾生だと思う。

 僕がいちばん残念に思うのは、指導スタッフが参考書のタイトルを間違ったといったような「ミス」ではない。もちろんそれは反省し、徹底して改善すべきだけれど、どんなに気をつけても「ミス」は生まれてしまう。でも、そうした「ミス」を謝らず、自分を守るためにとぼけるようなことは許されない。それは受験生への誠実さを最も欠いた行為だからだ。

 「俺のような塾生を増やさないようにしてくれる事を切に願う」という叫びを生まざるを得ない状況に追いやった責任は、すべて僕にある。それは一人の若者が抱きかけた希望の芽を摘み取ったのと等しく、反省してもしきれるものではない。

 ただ、当たり前のことだけれど、僕は未熟な人間であり、道塾もまた発展途上の塾だ。350人を超える塾生がいる中で、今後も似たようなことが絶対に起こらないなんて事は言えない。

 でも、だからこそ、その中でできる限りのことをやっていく。一人でも多くの塾生に「道塾に入ってよかった」と言ってもらえるよう、最大限の努力をしていく。それだけは彼に誓うことができる。

 幸いにも道塾には「この書き込みは読んでおくべきだ」と言う勇気のあるスタッフがいた。指導スタッフとしての意識が甘くなっているかもしれないという危機感のもと、それを改善するためにネットで叫ばれた塾生の声に耳を傾けるべきだという発言だった。

 道塾で指導するスタッフは、全員が彼のように塾生に心から寄り添おうとする心を持ち続けてほしいと僕は願っている。スタッフ一人ひとりが少しずつその想いを強めていけば、道塾全体が成長し、今より遙かに理想の状態へ近づくことができるから。

 日々の慌ただしい指導の中で、時には脇に追いやってしまうこともあるかもしれない。でも、僕らは彼らの人生を背負っているのだ。指導する塾生に対して、世界中の誰よりも寄り添っているという自負を持てる指導をし続けたいと思う。

 それができれば、すべての受験が終わった後に、きっと「あなたに学べて良かった」と言ってもらえると思う。僕の経験上だけれど、その言葉より嬉しいことは人生においてそう多くはない。

 多くの人間の未来を背負うというのは、想像以上のプレッシャーを感じるものだ。でも、それが大きければ大きいほど、それを乗り越えた時の喜びも大きい。そのために、今日も指導を精一杯やっていきたいし、すべてのスタッフがそれをできるように僕は力を尽くす。

PS.もしあの書き込みをした元塾生が読んでいるのなら、個人的にでも返事をくれると嬉しい。もし道塾で学び直そうと思うのなら今からでも指導をやり直す。きっと意味はあると思う。もしそれが不要なのであれば、自分のやり方で合格できることを陰ながら祈っている。


3,いくつかの争点

1,ネット空間の言説


 ネット空間はバランスを取るシーソーのような性質を持っている。たとえば、道塾が過度にメディアで紹介されれば、その反動としてそれを打ち消そうとする力が作用する。

 だが昨今ブログ界で話題になっていたように、「日本のwebは『残念』」な状況にあると思う。特に「2ちゃんねる」は極めてネガティブな発言ばかりが蔓延する悲しい方向に走っている。ネット空間のシーソーの支点が、マイナスを増幅させる方向にズレてしまっているのだ。

 そのような状況において、道塾が「2ちゃんねる発」というのを一つの宣伝材料にしている以上、いつかその反動が来るだろうとは思っていた。そして、その性質上、おそろしく感情的な非難になるだろうとも。今もいくらかの非難が起こっているけれど、それはこれからやってくる大きな嵐の前触れにすぎないと僕は思っている。

 だから、その前に僕の考えを伝えておきたい。この時期の受験生にとって大切なのは2ちゃんねるなんて見ないことだが、道塾にいる以上、つい見てしまうという人もいるだろう。説明責任を果たすという意味でも、すこし長くなるが僕の考えをここで示しておこう。

 まず、これまで繰り返し書いてきた通り、僕はネガティブな言説をせざるをえない人々を非難するつもりは一切ない。彼らはそうせざるをえない状況に追い込まれたのであり、その原因は彼ら自身にあるというよりも、この世界の負の側面を背負わされたに過ぎないと思うからだ。

 そもそも僕が「早稲田への道」を建てた理由のひとつは、そのおかげで自分が歩むべき道を見つけることのできたネットという空間に、自分なりに貢献したいと思ったからだ。ネガティブな面ばかりが強調されていたネット空間において、実は人生を切り拓くためのチャンスはあるということを伝えたかった。

 結論から言えば、それは局所的には成功したと思う。だからこそ「早稲田への道」があれだけ読まれ、多くの受験生が感謝してくれもした。マイナスに振れていたシーソーの支点は、ある一瞬、ほんのわずかだがプラスの方向に動いた。だが、広大なネットという空間からすれば、それは無にも等しい動きだった。

 たまに「2ちゃんねる」を見たり、「早稲田への道」を覗いたりすると、言いようのない無念さを心の隅で感じる。愛していた故郷が、しばらくぶりに戻ると荒れ果てた地になっていたような感覚。そのせいか、僕は自分の原点とさえ言える「2ちゃんねる」に目を背けたくなる意識があった。無根拠の、感情的な負の言葉で埋め尽くされているからだ。

 でも、そんな中にも僕らが真摯に受け止めるべき意見は常に存在する。だから、僕ら道塾スタッフはそうした批判を見つめる強さ、耳を傾ける誠実さを持たなければならない。


2,ある元塾生の書き込み
2009年9月1日

ハンデをアドバンテージに


 楽しいことは1日中やり続けることができると思っていた。だから休むこと自体が罪悪なように感じていた。そんな状況が1年以上続いていたように思う。

 だが、最近はどれだけ楽しいことでも24時間365日やってれば飽きるよな、という当たり前の結論に達した。勉強と同じだ。それ以来、休息も良い仕事をする上で欠かせないものだと思えるようになった。

 という背景もあって、久しぶりに仕事を2日間お休み(+土日を利用)して3泊4日の沖縄・宮古島へ旅行に行ってきた。深い青空の下には、コバルトブルーの海。珊瑚でできた島のビーチに潜れば、真っ白な海底に水族館みたいな光景が広がっていた。




 とは言え。

 旅先でも道塾との関わりが絶たれるわけではない。宮古島は道塾スタッフである砂川の出身地。僕の旅行と砂川の帰省の時期が重なったこともあり、砂川が講演会を企画して手配してくれた。

 その企画に市役所・宮古毎日新聞・宮古新報・教職員・PTAの方々など、様々な方が積極的に協力して下さり、5名~10名くらいかなと見積もっていた企画は、最終的に70名くらいの島民の方に参加していただいた。



 講演会のテーマは「離島のハンデをいかに克服するか」。砂川と二人で互いの来歴を交互に語り、都市部と離島の教育格差とその解決方法を語った後、質疑応答を行うという流れで話を進めた。

 一般的に地域間での学力差を生むと考えられているものに、①設備、②情報、③人々の意識がある。だが、道塾をやっている中で気づくのは、①「設備」はほとんど関係なく、②「情報」も今や地域差は埋められる時代になっているということ。

 やたら豪華な設備の予備校・塾を好む保護者がいたり、むやみに高価な電子辞書を買う受験生は少なくないが、そのほとんどは自己満足に過ぎない。情報にしてもインターネットさえあれば東京にいるのとさして変わらない。

 差をつけるのは「ハンデがある」という意識と「だから無理なんだ」と結論づけるネガティブ思考。だから、と僕は講演会で語った。③「人々の意識」が変化すれば状況を一変させることができる、と。

 ハンデがあることはアドバンテージになり得る。そして、そう思い切ることさえできれば、力が湧いてくる。

 たとえば発展途上国のリーダーたち。昔の日本もそうだったろうが「遅れている」という危機意識こそが、先を行く国々に追いつこうとするエネルギーになっているはずだ。世界陸上に出ていた選手達にせよ、彼ら全員が幼少から十分な設備・情報に恵まれていたわけではないだろう。

 教育という側面から見れば、「ハンデがある」という認識を「乗り越えられるもの」へと変えることができれば、ハンデがない都市圏に住む人々よりも、教師は志を持って指導することができるし、子どももハングリーになれるはずだ。

 そうした点において、砂川はハンデがある環境を経て受験を乗り越えた者として、そして現在は指導側に回っている者として、素晴らしいロールモデルに成り得ている。だからこそ、下のような記事も生まれたのだと思う。

「やる気は意識次第」/後輩に熱いメッセージ 砂川博範さん(早大2年):宮古毎日新聞

 故郷へ錦を飾ると同時に、その姿を見た若者たちが夢を抱く。数年後、彼ら自身がモデルとなって次の世代の若者の新たな希望となる。そんな循環を、道塾を通じて数多く生みだしていきたい。

love is all.

 PS.来週からしばらく京都に滞在します。

 リンク:進む砂時計(砂川blog)