2009年2月28日

龍と春樹と司馬遼太郎

 「日本文学でもっとも影響を受けた人は?」と問われれば、迷わず僕は答えられる。あまりにベタ過ぎて自分でも笑ってしまうけれど、W村上、すなわち村上龍と村上春樹の二人だ。龍は暇を持て余していた高校中退時代に一通り読み、春樹は大学2,3年の頃に読み切った。好きな作品は何度読み返したか分からないくらいだ。

 龍の作品は残念ながらブックオフで100円で売られてしまっているが、社会に挑戦する姿勢、マイノリティーへの視線、そして日本の現状への危機感を、彼以上に併せ持っている人間を僕は他に知らない。それらすべてを混ぜ合わせ、天才的な筆致でまとめあげた『半島を出よ』は間違いなく現代日本文学の金字塔だと思う。

 一般的な評価で言えば、春樹の方が数段上だろう。文学的に見れば、挑戦度も、質の高さも、たしかに春樹の方が上だ。世界文学になるのも頷ける。ただ、それでもなお、人生に対する挑戦の度合いで言えば、龍が一歩先を行っていると思っていた。だから、文学という枠を超えた男の生き方として、僕は村上龍に惹かれてきた。

 が、ちょっと前の文学賞での一件で春樹への見方が変わった。オウム被害者への取材記である『アンダーグラウンド』、しばらく後に出た挑戦的な小説『アフターダーク』、ほかにも細々と出てくる春樹の情報から、彼が長い時間をかけて脱皮しようとしているのは知っていた。ただ、ここまで踏み込んでくるとは思わなかった。

 僕が小説を書く理由は、ひとつしかありません。それは個々人の魂の尊厳を立ち表わせ、光りをあてることです。「物語」の目的とは、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣のように絡め取り、その品位を落とすことを防ぐために、警戒の光りをあて、警鐘を打ち鳴らすことです。

 僕は強く信じています。物語を書きつづること、人々に涙や慟哭や微笑みをもたらす物語を書くことによって、個々の魂のかけがえのなさをはっきりさせようとし続けること、それこそが小説家の仕事であると。

春樹のエルサレム賞受賞時のスピーチ
翻訳『しあわせのかたち』より


  今回のスピーチで語られた「システムへの対抗」。春樹がこれを語った晩に、偶然僕もそのことを書いていた(『挑戦状を叩きつける』)。ただ、その時僕の頭に浮かんでいたのは、春樹ではなく龍だった。

 龍は一貫して「システムへの憎悪」を主題のひとつとして小説を描き続けてきた。それだけでなく、批判や失敗を覚悟で、彼なりのやり方でその問題と対峙してきた。僕は、これこそが豊かな時代を率いるエリートが人生を賭して挑むべき問題だと思う。

 春樹が語ったように、ひとつひとつは柔らかい「卵」のはずなのに、それが集まり時間が経つと、いつしか化石のように冷たく、固くなってしまう。そうやって、所属の壁が、世代のズレが、国境というボーダーが、宗教の対立が、生まれてしまう。いじめや、差別や、憎しみ合い、そして戦争が、そこから起こるのだ。

 僕は、エリートたる人々は卵を孵化させる責任を引き受けるべきだと思う。一人で自由に大空を飛びまわれる鳥を育てなければならないと思う。そのために必要なのは、僕らひとりひとりが「熱」を持つこと。いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさ。そうした「暖かさ」があれば、生まれてくる卵は化石にならず、鳥となって飛び立てるはずだ。

 そのことを誰よりも分かっていて、僕の心をあたため続けてくれる作家が、もう一人いる。あえて「日本文学」には数えなかったが、司馬遼太郎だ。

 歴史という大きなシステムに挑み続けた彼の言葉は、自分より年下の子どもたちと接するとき、いつも僕の心に火を灯してくれる。

 「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」。みな似たようなことばである。この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。


 僕はまだ偉大な3人の作家のように大きなシステムと戦うことはできない。理想と現実とを見比べれば、僕の語ることなんて夢物語に過ぎないように思える。すくなくとも、周りからはそう映るに違いない。

 それでも。

 できるところから、ひとつずつ突き崩していこうと思う。

 僕自身が太陽のように熱を帯びれば、すこしずつであれ確実に伝わっていくはずだ。

 偉大な文学者たちの熱を受けつぎながら、いちだんと加速し、熱を帯びていく。

 その光によって暖められた卵たちが、やがて孵り雛となって大空を飛び回る。

 そんな日を思い浮かべながら、僕は今日も世界の片隅で挑み続ける。