僕にも悩んだ時期はあった。人にほとんど相談しなかったのは無駄なプライドが邪魔したせいだろう。その代わり読書を通じて乗り越えようと一人でもがいていた。そうして一時期のめり込んだのがビルドゥングス・ロマン(教養小説)だった。教養や教育と訳されるドイツ語のbildungだが、この場合は「自己形成」という方がしっくりくる。
他者に誇示するための衒学的な「教養」ではなく、自分が生きるための血肉となる教養。そうした意味で「教養小説」と呼ばれる一群の物語を、ある時期の僕は強く求めた。その過程で出会ったのがサマセット・モーム『人間の絆』であり、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』であり、あるいは五木寛之『青春の門』であった。自分の成長を彼らに仮託して貪り読んだ。
本気で悩めることは幸福だ。日々の仕事をやっていくの中で、あの頃のように自分のことで思い悩むことは少なくなった。いつの頃からか、悩みを自分固有のものとして引き受けつつも、それを客観的に眺めて解決するスキルを身につけた。それは物事を手早く処理するために必要な能力だった。ただ、それが良いことなのかは未だ分からない。
そうした今の自分と比べると、彼が真摯に悩む姿が羨ましく思えた。青年よ、悩みを抱け。そうして抱えた苦悩のサイズだけ、君という人間の器と可能性を拡げていく。悩め。悩め。もっと悩め。悩み抜いたその末にこそ、進むべき道を発見できるから。
「青年よ、悩みを抱け。それは金銭に対してではなく、自己の利益に対してでもなくまた世人が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として当然身につけるべきすべてのものを身につけることに対して、青年よ、悩みを抱け。」
クラーク先生をもじって。