2010年4月8日

「パソコン」の変化

ここ数日、メインのパソコンがやたらとフリーズするようになってしまったのでOSから再インストールした。一昔前はアプリケーションやら各種データや設定やらのバックアップに膨大な手間をかけていたが、今回はローカルのフォルダ一つをUSBに保存しておくだけで済んだ。

まっさらなWindows7に入れ直したソフトウェアはChrome、Firefox、オフィス、ATOK、iTunes、ノートン、Evernoteの7つだけ。アドオンや設定を自分用にチューンナップする時間を含めても、すべての作業が2時間足らずで終わり快適なパソコン環境を取り戻すことができた。「クラウド化」によってデータはネット上の「あちら側」に格納され、アプリケーションは主としてローカルとの同期のために使う。僕は既にそんな環境でパソコンを使っている。

今回インストールし直したのは7つだったが、やがてこれが5つになり、3つになり、そして1つになる時がいずれやってくるのだろう。端末は複雑さを減らし、シンプルになることで多くの人がストレスなく使えるようになっていく。これは素晴らしいことだ。

先日iPadの実物を見る機会があったが、その見やすさ、持ちやすさ、軽快さを感じ、これでようやく僕の母や祖父といった「マウス+キーボード」に不慣れな人でもウェブにアクセスできる時代がやってきたと確信した。iPadに関しては色々と言われているが、いずれにせよ今月末の発売が待ち遠しい。

僕がはじめてパソコンに触れた中学生の頃、この四角い箱はもっと大きく、それでいて複雑怪奇なものだった。その仕組みを理解し、紐解いていくこと自体が楽しみだった。もはやその時代は終わりつつあるのだろう。

最近は「パソコン」という言葉すら古くさく感じる。コンピューターは繋がり合い、共有され、Personalなものとは言い難くなった。それは旧時代の感覚を残す僕にとって少し切ないことでもあるのだけれど、この素晴らしい時代の変化を愛し、追い続けていきたいと思う。