自分には「仲間」がいない。そう自覚したのはいつのことだったろう。高校生の頃に何度となく読み返したスラムダンクのせいかもしれない。あるいは「竜馬がゆく」だったか。いずれにせよ、高校を辞めた頃の僕は、「自分は間違っていない」と思いながら、同年代の友人たちに対するコンプレックスと戦っていた。
大学生活では無意識のうちに「仲間」を強く求めていた。入ったサークルの先輩たちに憧れ、彼らのような関係性を築こうと努めた。それはたやすく手に入るものではなかったが、大学の5年目を終えた頃にはこれ以上の大学生活はなかっただろうと言えるくらい、素晴らしい仲間に恵まれた日々を送ることができた。
そして今。「第二幕」がはじまって2年以上が経ち、僕は道塾ではたらく仲間と共に日々を過ごしている。当たり前すぎて忘れてしまうこともあるが、ふとした時に「仲間」と言える人間と共に仕事をできることの幸せに気がつく。
仲間は友達と違う。本気でビジネスをやっていればぶつかることもある。不完全な人間が集う組織においては当たり前のことだ。でも目指した場所が正しいことを信じ、そのために全力を尽くす過程でぶつかることは、互いのことを知る過程に過ぎない。
人は、相手を信じたい。ぶつかるのは相手を信じるに足る理由を探しているからだ。ぶつかり合いの末に相手を信じると覚悟できた時、僕らは「仲間」という領域に踏み出せるのだと思う。
僕の人生のバイブル、スラムダンク。その最後の巻まで、桜木花道と流川楓は仲間ではなかった。でも、最後の最後で信じてパスをする。「左手は添えるだけ」。魂を込めたボールを、信じて相手に渡せること。そんな関係性を作っていきたい。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 Comment:
コメントを投稿