千鳥ヶ淵には大学に入学してから毎年のように行っている。平日に行くことが多かったが、今年は母の誕生日にあわせて土曜に行ったため、天気の良さとも相まって経験したことのない人出。ほんとうに日本人は桜を好きなんだなぁと実感する。
毎年この時期に誕生日を迎える母曰く「すぐ散るから日本人は桜を好きなのよ」。本居宣長が明らかにした「もののあはれ」の精神がそこには脈打っているのだろう。長い冬を経てた春の素晴らしさを感じようと皆が押しかける。そこにもまた「もののあはれ」を感じる。
なんて書いているうちに「もののあはれ」を追求したくなってグーグルで検索すると色々なことが分かる。たとえば「春はただ花のひとへにさくばかり物のあはれは秋ぞまされる」(拾遺集)。なるほど、そういう捉え方もあるのか。
最近よく花について書いている。はじめは「可能態」としての受験生を表現するために使っていたが、次第に人生そのものを肯定する概念として僕の中に根を下ろしつつある。そんなことを思いながら桜の下で出会った一節。
「一般に、生物界におけるシグナルの強度は、そこに濃縮されたエネルギーに比例する。花は、植物が次世代を残すために全勢力を結集して咲かせるものである。そこには、生けるものの精励があり、もう戻ることのできない時間の流れがある。」(茂木健一郎「文明の星時間」p102)
目に見えるものはほんのわずかで、だからこそ儚く、尊い。日々の仕事は地味だからこそこの言葉に胸を打たれる。冬の時代を経て、やがて春が来る。どんな花が咲くかはその間にどれだけ「全勢力を結集」したかにかかっている。その日のために、今日も生きよう。
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