2008年4月26日

こぶしを握りしめた男


 昨日の話は抽象的だったから、今日は具体的に語ることにする。女の子にはプライバシーがあるけれど、少なくともこの男にプライバシーは不要だろうから。

 さて。

 僕の後輩のS.S(5年・男)がバイト先でクビを言い渡された。発端は酔った客の発した一言に突っかかったこと。ムキになった客と口論になり、しまいには路上で一触即発というところまで行ったらしい。握りしめたこぶしを、ギリギリのところで振り下ろさなかった彼の姿が想像できる。

 彼はある企業から内定が出て就活を終えたところだった。初任給約30万、世間一般では誰もが羨むエリート企業だ。だが、そんな彼でも第一志望の広告業界には落ちていた。

 口論のきっかけとなったのは、先の酔っ払いが広告業界を馬鹿にしたことだった。路上では広告業界に加えて早稲田を馬鹿にしたらしい。彼は、暴力こそ振るわなかったものの、それにキレたのだった。客商売で、そんな「小さなこと」でキレるなんて話にならない。当然クビだ。

 哀れな酔っ払いの戯言じゃないか、と受け流すこともできた。僕ならそうしたと思う。でも、彼はあえてそれをしなかった。彼はいつもこんな調子で生きている。だから、たくさんのものを手から落としてきた。彼にとって、それでも最後まで握りしめて残った幾つかのもの、そこに「広告」と「早稲田」はあった。

 彼のバイト先の経営者を僕は知っている。彼も、バイト先の経営者も、お互いに理解はしていたと思う。事実その経営者は、二度としないのなら働き続けてもよい、と言い渡したクビを撤回までして、どうしようもない僕の後輩にチャンスを与えた。

 でも、握りしめたものがぶつかったら、哀しいけれど一緒にやっていくことはできない。それが世の掟だ。後輩は自らその店を辞した。

 握りしめるものが大きいとぶつかりやすい。だから他人とぶつからないように、社会とぶつからないように、できるだけ小さく握っていた方がいい。小さく、でもこぶしの内側から熱がもれてくるような、そんな握り方がいちばんいい。

 彼の場合は、このバイトをするにはこぶしが大きすぎた。そして人に迷惑をかけた。それは彼の責任であり、負うべき当然の傷だ。その点を非難するのは論理的には正しい。

 それでも。

 落ちた第一志望にも関わらず、それを握り続けていた彼の気持ち、それを批判された彼の気持ち、それに立ち向かったことをも批判された彼の気持ち、それらのことを考えるとき、僕は結構本気で涙が出そうになる。僕が涙もろいにせよ、こうした経験は誰だって持っているはずだし、それを思い出したら胸が苦しくならないだろうか?

 できるだけ人を悲しませない方がいい。できるだけ人と争わない方がいい。そんなことは当たり前だ。でも、たとえ何があろうと、握りしめたものは誰にも譲らない。僕は、その生き方を尊重したい。だって、それを失ってしまったら、いったい僕らの手に何が残るというんだ?

 後輩のクビになった話を読みながら僕は爆笑していた。でも、誰が本心から彼の生き方を笑えるだろう? 握りしめたものの間に起こる葛藤、それをコミカルに描くにせよ、涙ながらのストーリーにするにせよ、そこに本物の「文学」が生まれると僕は思う。後輩の書いた文章は、僕にとって「たしかな手触りのある」物語だった。それを笑いながら批判できる人には、怒りを通り越して悲しみを感じる。

 隣にいる人が握りしめているものに想いを馳せることができない人間、ある人の言葉を借りれば「想像力のない人間」と一緒にいるのは疲れる。誰もが何かを握りしめて生きているんだ。そのことを理解し受け入れることができなければ、人と人との間には争いが絶えないだろう。

 事実、世界には争いが絶えない。想像力を失ったこぶしが、大切なものを守るという理由で凶器に変わるからだ。

 人が何を握りしめているかに敏感になりたい。それが僕にとってMEGA PEACEの原型たる「想いのメディア」の出発点だった。メガピの時には一歩進んで、他者に想いを馳せることのできる世界にしていきたい、という言葉になった。ジョンがよく言ってたね。今は戸塚ちゃんが受け継いでくれていると思う。

 想像力を持とう。そう言って遠い世界に想いを馳せるのもいいと思う。ただ、それはまず隣にいる人に想いを馳せ、彼が何を握りしめているかをリアルに感じることからはじまるだろう。

 僕はこの酔っ払いを批判することはできない。僕だって想像力を失うことがあるからだ。それも頻繁に。

 だからこそ。

 隣にいる人のこぶしの中に、それも強く握りしめていて見えにくいものにこそ、想いを馳せられる想像力を持ちたい、と強く思う。そのために、これからも人とリアルな対話をし続けたい。


 また旨い酒を飲みたいなぁ。。。


 【フォト】 事務所の前の、アスファルトに咲く花。野にあっても目立たない小さな花が、都会のコンクリートの中にあるとやけに映える。
2008年4月25日

ちいさく握りしめる

 1日に2人続けて大切な後輩の話を聞いた。2人とも就活の真っ最中で、人生の行き先に不安を感じていた。リクナビに登録すらしたことのない僕の就活論が役に立つかは半信半疑だったが、自信なげに感じられる彼女たちをとにかく勇気付けたかった。

 彼女たちがそういう状況にあるのを聞いたのは庄司からだった。大学時代のパートナーだったあいつは今やエリートサラリーマン。とはいえ就活では人一倍苦労してた。その経験から、いわゆる「就活相談」は十分にしてくれたはず。そう信じて、僕は僕なりのノーマルではない「就活論」を語った。

 すこし前に「早大5年生による就活論」と題した一連のエントリーを書いた。内容は今でも同じように思ってるけど、悩んでいる人たちを目の前にして、僕の書いた文章は、本当に苦しんでいる人には届かなかっただろうな、とあらためて思った。でも、やっぱり届けたい。だからそこにひとつ付け足してみようと思う。

 不確定な未来を前にして、僕らはいつも身をすくめる。僕だってそうだ。起業なんてしてみたものの、吹けば飛ぶような零細事業。それでも、その中で精いっぱい生き、楽しくやれている。なんでそんなに楽しそうなの?とかなり頻繁に聞かれる。

 僕だって不安がないわけじゃないよ。むしろ人一倍の危機感を抱いて生きているつもりだ。でも未来のことは誰にも分からないわけだから、不安に思ったり、危機感をもったりするのは当然だろう。その中でも僕らは手探りで生きていく。自分は何をしたいんだろう? どうやって生きていけばいいのだろう? どの会社が自分にとってベストなのだろう? だが、それらは見つけられるようで、「思い込み」以外では決して見つけられないものだと僕は思う。

 「私にはこれしかない」と思い込んで勝利を掴める強さを持つ人はそれでいい。就活でも、夢を追いかける時でも、そういう「思い込み」が力を発揮して上手くいくことはある。でも、ほとんどの人は自分で思い込んだほど上手くいくわけじゃない。すると、いわゆる「挫折」や「紆余曲折」を経験することになる。

 僕の人生を振り返っても紆余曲折の連続だ。大学に入る時は政治家になりたかった。熱い人生を送りたかった。入学後しばらくすると研究者になりたくなった。一生、本に囲まれていたかった。次の夢は小説家だった。人の心をふるわせることに喜びを見出した。それぞれで「俺はこれしかない」と思って生きようとしていた。なのに今、僕は思いもよらぬ「起業家」という道を歩むことになった……。

 今に至るまでの紆余曲折は、挫折というほどの経験ではなかった。でもその時々の「夢」を諦めて次に進もうとする時、いつも少なからぬ痛みを伴った。それでも僕はその時々において決して後悔することのない時間をすごしてきた。

 このことから僕はひとつの結論を導き出した。「やりたいこと」は変わり続ける、ということだ。

 大学に入る前、大学がどんな場所かなんてまったく分からなかった。その場所に踏み込んでみて、はじめて知ることができた。踏み込み続けたら、景色はどんどん変わっていった。環境が変われば見えてくるものも変わる。たぶん、就職も同じだろう。

 踏み込んだ場所で全力を出し切れれば、次の一歩を踏み出す力がわいてくる。年功序列・終身雇用が崩れつつある今、力さえあればどんな環境に置かれても独力で未来を切り拓くことはできるはずだ。

 全力を発揮するためには、そこで「自分自身を生きている実感」が必要だ。どんな場所であれ、「自分自身を生きている実感」さえあれば、なんとか(たいていは楽しく)やっていけるだろう。「自分自身を生きている」というリアルな感覚こそ、努力の原動力になり、未来を信じる支えになると僕は思う。

 じゃあその自分自身ってなんだ? っていうのが肝心なところだ。そして、これが今日いちばん伝えたいことだ。みんな忙しいのに、こんな長いエントリーを読み返すのは面倒だと思う。だから、次の一行だけでいい、立ち止まって読んでほしい。いいかな。

 「自分」は、こぶしで握れるくらいわずかしか掴めない。

 ひとりの人間というのは複雑怪奇な有機体で、それがどんな人間かなんて誰にも分かりっこない。総体としての人間を把握するのは限りなく不可能に近いことだと僕は思う。当の自分ですら、自分を理解することができるのはごくわずかでしかない。だからこそ、そのわずかな部分だけはしっかり握っていたいと僕は思ってる。そのわずかな部分さえしっかり握っていれば、自分自身を生きているという実感を得られると思うからだ。

 みんな「自分」をいろんな言葉で規定しすぎていると思う。私はこういう人間です、とかね。でも言葉なんかで定義しきれるほど、僕らは単純に生きてはいない。だから、自分の定義なんてしない方がいい。その代わりに、自分にとって大切なものを定義しよう。それも、こぶしで握れるくらい小さく。それこそが、自分自身を生きている実感の源泉になる。

 たくさんのものを持ち歩こうとすると動けなくなる。だから、その小さな定義だけを握って歩いていけばいい。どんな荒波に飲まれても、それだけは手放さない大切なもの。それさえ持っていれば、なんとか自分を励ますことができるもの。それだけは絶対に手放しちゃいけないもの。

 「やりたいこと」は変わり続けても、絶対に手放しちゃいけないものが誰にだってある。そこだけは誰にも渡さないためにも、こぶしの中に入るくらい小さくして、ぎゅっと握りしめていよう。何を握るのかを決めるのは、自分だ。その時々に応じて新しいものを握りなおしてもいい。

 何を握るか、その選択の決定権こそが、僕らが自分自身を生きている実感を得るために残された最後の砦だと思う。「自分の大切なもの」の決定権を人に委ねた瞬間、人生は自分の手からこぼれ落ちてゆく。委ねる先が親であれ、友であれ、恋人であれ、会社であれ、世界であれ、それは変わらないだろう。

 自分の人生を何かに委ねて失敗したら、委ねた相手を恨みたくなる。親を恨んだり、友を恨んだり、恋人を恨んだり、、会社を恨んだり、社会を恨んだり……。それは哀しい。そうした人を見るにつけ、僕はそんなふうに造られている世界を恨みそうになるほどだ。

 自分の人生を自分で握っていれば、どんな経験でも恨まず後悔せず、生きていくことができる。それが僕の言う「自分自身を生きている実感」だ。自分自身を生きるために、自分の大切なものだけは手放さないようにしよう。誰に批判されても、何を言われても、それだけは手放さないようにしよう。それさえ握りしめていたら、どんな環境だってなんとかやっていけるはず。

 そういうことを、相談してくれた彼女たちに僕は伝えてみた。聴いた翌日から使えるような即効性のテクニックじゃない。でも遠くから聞こえるBGMのように、かすかにでも僕の声が彼女たちを元気付けたらいいな、と思う。元は素敵なんだ。スマイルさえ取り戻せば、なんとかやっていけるものさ。


 ところで。


 あなたはそのこぶしに何を握りしめていますか? よかったら、こんど酒を飲む時にでも聞かせてください。


 【フォト】 吉そば@高田馬場。僕はよくそばを食べる。一人で昼飯を食べるときは、8割くらいそばだと思う。早稲田にいる時は「はせ川」(大隈講堂の脇の立ちそば)、高田馬場にいる時は「はせ川」の支店として少し前にオープンした「ますや」(ツタヤの向かい)にいく。この写真を撮った時は、昼そば、夜そば、朝飯は前に載せた通りで、そしてまた昼そば、という日々だった。
2008年4月20日

声なき声


 すこし前にもらった「声なき声」を転載します。早稲田という恵まれた地にいると届かない声がある。よかったら聞いてください(本人承諾済。実名だったので名前だけ変えました)。

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はじめまして。早稲田への道の読者でした、Yと申します。
本来であればこの春から大学3年生であるはずの20歳です。

久しぶりに"早稲田への道"で検索してみたところ、
uさんがブログをお書きになっていることを知り、
4月11日の「友人達のmixiやblogを読んでいると~」
という一節を見て、名前で検索してみたら見つけました。

僕は、ニュースステーションの司会者であって早稲田政経学部卒の久米宏に憧れて
この1月まで受験生をやっていました。

ですが、2浪した故に感じるプレッシャーと、
やってきた勉強の成果に自信を持つことができず
親には「成績が伸びなかったので就職します」と言って結局受験しないまま僕の大学受験は終わりました。

「早稲田じゃなくてもいいから」と父や親戚には言われましたが、
元々「自分を試したい」と思い大学受験を始めたものですから、「入れるところへ行く」という選択肢はことさらありませんでした。
そういう意味では、頑張ることができなかった自分が本当に情けなく、また、「入れるところへ行く」という選択肢を選んだ人間が楽しく生きてるのを見て正直羨ましいです。

高卒で就職ともなればこの先安月給で酷使されるのは目に見えていますので、
これからどうするもんかと、もう死んだ方がどう考えてもマシだと考えていた時もありました。と言うか今でもあります。

受験辞める宣言をしてからおよそ3ヶ月間、
僕は生きる理由や目的を求めて多くの本を読みました。

まず一番に影響を受けたのは首都大教授の社会学者宮台真司です。

宮台は
終戦までには「戦争に勝つ」という目的があった。
終戦直後には「アメリカから独立する」という目的があった。
独立後には「生活レベルを上げまくる」という目的があった。
そして現在の日本社会は成熟し切って生きる目的などない。
これから先、日本のような先進国は終わりのない日常が一生が続くのだと言っています。
「なら何の為に人は生きるのか?」という問いに、
『意味や目的から脱却し、「今を楽しく生きること」(=濃密さ)に重点を置いて、それを積み重ねよう(=強度)』
と言っています。

そのためにはまず、『社会は多様な人間がいることを認めなくてはならない』と言っています。
ですが、日本では共産主義かの如く『良い学校→良い会社→良い人生』というレールしか考えられない人間が多く、
良くも悪くもレールを外れた人間は叩かれ、時には才能が潰されることすらある社会や教育です。

この点については4月14日にuさんがブログにお書きになっている通りですから、僕が今更文字にする必要はないかと思います。


まとめです。
「午後2時のビール」について、僕は全面的に肯定し応援します。
好きなことをして生きるのは老後だけに与えられる特権で、
年金をもらうまでは滅私奉公で生きるなんて馬鹿げています。

僕は自分の食い扶持さえあれば、他人に迷惑を掛けない限り人の生き方は尊重されるべき、と思います。
ですが「正社員」「高学歴」「有名企業」といった物ばかりが重要視され、
そのレースを外れた人間は"ボンクラ"の一言で片付けられてしまう社会や教育は見直すべき点が多くあると思います。

uさんはその問題点にいち早く気付き、たまたまそれが大学受験で、「予備校→大学」というレールに異を発したんですよね。

uさんがしようとしている教育改革は社会の改革にも必ず直結します。
バカ右翼とバカ左翼の「愛国心を教えるか否か」の論争の先にとても本当の教育改革があるとは思えません。
やはり、出来上がってしまったレールを取っ払うのはそのレースに乗っかっていない人間にしか出来ないことなんだと思います。

石原慎太郎は著書『オンリー・イエスタディ』の中で、
知人が皆就職する中、組織に属さない小説家で生計を立てることに不安を感じ、同級生が今何をやっているのか調べ、職場訪問をしていた時があったと書いています。

一橋在学中に当時最年少で芥川賞を獲ったあの石原慎太郎ですら、所謂アウトサイダーとして生きるには大きな不安があったんだと思います。

uさんも抵抗勢力や不安感情に何とか耐えて頑張ってください。
既存のレール以外にも人生は沢山あるんだよ、ということを早大生や早大を目指す20歳前後の人間に教えてあげてください。
気付かないで生きるのも楽で良いのかもしれませんが、偏差値70あろうかという集団なんですから、多少は悩んで社会のために知恵を出してもらいたいものです。

僕もまずは自分で食べていくことを考え、
次に独立できる資格や技能を習得しようと考えています。

年功序列・終身雇用なんて言葉に踊らされ、
いつ潰れるかわからない民間にわが身を捧げることなどできません。
アウトサイダーは一見リスクが高いように思われがちですが、
むしろ会社に滅私奉公的な人間の方がこれから先リスクは遥かに高いように思ってしまいます。

食い扶持が見つかればやりたいこと、好きなことも存分にやってやろうと思います。
ジョブズが言っているように、お互いいつか点が繋がると良いですね。

長文失礼致しました。失礼します。

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 彼の意見の正しさは誰にも分からない。でも、ここには確かな手触りのある何かがある。

 昨日の「声をあげよう」にも書いたけれど、僕ら早稲田生の中で、リスクを取って生きるスタイルがもう少し流行ってもいいんじゃないかな、と僕は思ってます。

 リスクを取ろうと覚悟する時、ただ金のためにそうするのではなく、声なき声に耳を傾けることで、進もうとしている道の正しさを信じようとする気持ちが芽生えてくる。


 Yがどんな人生を歩んでいくのか、僕には分からない。分かるのは甘くない道のりだろうということだけだ。

 僕のblogを読んでくれている人の中には、境遇は違えど、Yの気持ちを分かる人が少なくないと思う。人それぞれ道は違うし、険しさも違う。でも、どんな道をゆくにせよ、自分の価値を見失わずに、自分だけにしか歩めない道を大切に歩み続けられたらいいね。

 Y、メールありがとう。僕も進み続けます。


 【フォト】 早慶レガッタ。先週の早東戦に続き、実は初めての観戦。春のうららの隅田川。勝利を祝うように太陽が顔を出して、帰りたくないくらい気持ちのいい川辺だった。観戦というと今までラグビーばかりだったけれど、それ以外のスポーツもいいね、と最近になって思ってみたり。
2008年4月19日

声をあげよう

 周りでblogを書く人が少しずつ増えてきた。とてもいいことだと思うが、ウェブに対する恐怖感は根強いみたいだ。実名を出すことに躊躇しない人の方が珍しいのは変わっていない。前回の記事の最後の方で、ウェブ上で実名を出すことに少しだけ触れたので、今日はそれを掘り下げて書いてみる。

 先日、うるとらカフェのテラス席で道塾の運営会議をしていた。無線LANが入る上に、最近テーブルが新調されたのもあり、最高のビールスポットになった。

 3人がコーヒー、僕だけがビールを飲みながら、話が道塾の塾員(スタッフ)紹介のページに及んだ時のことだ。ジョンが「ウェブで名前を出すのって怖いよね」と言ったところで僕は引っかかって聞いた。

 「何が怖いの?」

 それはウェブの匿名性や危険性の捉え方において、自明のこととしてポンと僕の口から出た言葉だった。だがその瞬間、自分で言ったから口にはしなかったものの、「俺も随分変わったものだなぁ」と実は思っていた。

 ところで。

 僕は「2ちゃんねる」の生まれる前から、ウェブのアンダーグラウンドな文化に身を浸してきた。2ちゃんねるの前身たる「あやしいわーるど」や「あめぞう」といったサービスが流行っていた時代だ。当時僕は中学生だった。

 その世界には"at your own risk"という合言葉があって、僕には見たことのない景色が広がっていた。すこし油断していると、いつの間にかウイルスに感染していて、朝起きたらハードディスクが吹き飛んでた、なんてことが頻繁に起こる危険地帯だった。

 そんな環境で育ったためにウェブに対する耐性がついたのだろう。後に2ちゃんねる独特の雰囲気に呑まれることなく「早稲田への道」を書きはじめることができたのには、こうしたバックグラウンドがあったと思っている。

 あの頃から日本のウェブは(特にアングラ層においては)匿名文化に偏っていたように思う。ウイルスをはじめとする悪意ある暴力が起こったり、しかしその分だけそれに対抗する正義漢が現れたりしていたが、そのほとんどが匿名だったと記憶している。もちろん僕も決して実名を出すことはなかった。

 肩書きや実名を出すことは、権力構造のないフラットなウェブ世界に、リアル世界の権力を持ち込もうとするアンフェアなやり方と考える向きもあった。だがそれよりもずっと身近な感覚がそうさせていたのだと思う。ネットをしていたりホームページを持ったりしていることが学校の女の子に知れたら「危険な人」以外の何者でもなくなる、という恐怖感があった。

 ウェブでの存在が実名と結びついた途端、家に警察が踏み込んでくるのではないか。そんなイメージだった。そもそも当時の一般的な中学生には「ウェブ=エロ」という概念以外は存在しなかった。あらゆる意味で、ウェブについて口に出すのが憚られる環境だった。

 翻って今。

 ウェブを使っていない人は、少なくとも僕の周りにはいない。mixiは言うまでもなく、もっとも危なっかしい「2ちゃんねるで~」なんて会話もキャンパス内で当たり前に耳にする。就活中の少なからぬ学生が2ちゃんねるで会社情報を調べているみたいだし、僕の塾生の多くもいわゆる「2ちゃんねらー」だ。年齢や性格に関係なく、彼らは当たり前のようにウェブを行き来している。

 僕がインターネットをはじめた頃と比べると、ウェブに対する偏見はかなり減ったように思える。だがオープンなウェブ上で実名を出す人は相変わらず少ない。mixiが半ば実名でのサービスとして機能しているのは、クローズドな雰囲気があるというのに加えて、自分の友人が実名でやっているという安心感が強いのだろう。

 守られた世界から一歩でてGoogleに引っかかるようになった瞬間、昔と変わらない恐怖を感じるようだ。実際のところ、mixiとGoogleは危険の度合いにおいてどのくらい違うんだろう? Googleに引っかかったって、それを見るのは自分に興味を持つ人だけだろう。それ以外の人は見向きもしないはずだ。ならmixiと大差ないんじゃないのかなと僕は思う。

 僕は、ウェブに対する恐怖感は、その大部分が誤解から生まれているだけだと思う。人とウェブとのディス・コミュニケーション。コミュニケーションを促す装置であるウェブを、その主体たる僕らが理解できないなんてお笑い種だ。

 もっとみんな理解したらいいのに、と思う。ここは食うか食われるかの戦場ではなく、自由に表現できる舞台だと僕は信じている。

 とはいえ、その表現そのものが問題になることもあるらしい。就活ではエントリー先の企業が内定候補者をウェブで検索することがあると言う。だから実名は出せない、と。この状況は会社に入っても似たような理屈で続いていくみたいだ。日本社会っていうのはつくづく悲しい構造になっているな、と思う。

 実名から逃げてしまったら、自分の人生の舵を、自らの手から(一時的にせよ)放してしまうように感じるのは僕だけなのだろうか? もっと言えば、その会社に自分というかけがえのない表現者を売り渡していることにはならないだろうか? これはちょっと過激過ぎる物言いかな?

 でもね、僕は思ってるんだ。こんな時代だからこそ、むしろ率先して実名を出して評価されるような実績をウェブに残していきたい、と。そういう信念で、僕は最近「よかったらblog見てください」と言うようにしてる。そういうきっかけから、今これを読んでくれている人も少なくないと思う。

 自分のblogを「読んでくれ」と宣伝するなんて最初は「アホらしいな」とも思ったけれど、これが僕なりの自己表現であり、人生における「攻め方」なのだと思い直した。

 僕だって隠したいと思うことはたくさんある。その恐怖をなんとか振り切ってウェブ上で叫んでみても、まだ壁がある。広すぎる世界で叫んでも「俺の声なんてどこにも届かないや」と空しくなることがある。後で読み返せば削除したくなることも限りない。昔やっていたblogなんて、落ち着いて読み返したら目を覆いたくなるような文章ばかり書いていた。

 でも、一歩踏み出して勝負していかないと新しい創造は決してできない。そう覚悟を決めて踏み出し続けてきた。

 そうすると、いいこともあるもんだ。

 過去に書いた文章を読み返して、なかなかよくやってるじゃんと感心したり、微笑ましく思ったり、あるいは泣けてきたり。時々、そんな文章を読んで嬉しい反応をくれる人もいる。なにより、今こうしてblogを書き続けていられるのは、そういう恥ずかしい過去があったからこそだと思ってる。そういうわけで、昔のblogへのリンクも残してある。

 自分の言葉を批判されるのは怖い。その文章に血を通わせていればいるほど、暴力的な言葉には敏感に反応してしまう。心臓に毛が生えているように思われる僕だって、もう何年もやってきた2ちゃんねるでの何気ない一言に傷つくことがある。

 そんな時は、匿名で批判しなきゃ何もできないようなチキンを真正面から相手にする必要はないと思い直す。だってそうじゃないかな。完璧な人間なんていない。かっこ悪いところは誰しもある。それでも僕らは何とか生きていくんだ。自分を曝け出して生きていく姿勢は決して格好良くはないだろうけれど、物言わぬチキンよりは眺めていて面白いはずだ。

 最近よく世一のblogを笑う奴がいて、僕もいつも苦笑なり爆笑なりさせてもらっているけれど、でも、あそこまで覚悟を持って自己表現する奴が僕らの周りにどれだけいるだろう?

 「自分探し」はどこか他所で見つけるのではなく、「今ある自分」「ありのままの自分」をできるだけ曝け出して表現しようとすることからはじめればいいと僕は思う。その表現を通じて出会える人がいるはずだ。そして、その出会いは「自分創り」の材料になる。もしそこで真正面から真に「批判」してくれる人が現れたなら、それこそ人生におけるかけがえのない出会いになるだろう。

 僕は、自己を曝け出した文章こそが最上だと思っている。文学は、その曝け出し方を味わうところに真髄があるとも思っている。だから、たとえ一時期の世一みたいにノロケまくっているとしても(笑)、自己と結びついた文章はそこらに転がっている「ブンガク」よりもずっと、確かな手触りのある何かを僕らの心に残してくれる。

 僕が「自己を曝け出す文章」を書くとき、ひとつだけ守ろうとしていることがある。ペンは剣になる。剣は革命を起こす武器になるけれども、人の命を絶つ凶器にもなる。だから文章で人を深く傷つけちゃいけない。これは手痛い経験から学んだ、僕の数少ない文章訓だ。

 まぁでもとにかく、そろそろ話をもとに戻そう。

 ジョンの「ウェブで名前を出すのって怖いよね」という気持ちは、たいていの人が持っている感覚なのだろう。たしかに僕も持っていた。でも何年か実名で blogを書き続けてきた今、それはウェブに対する理解の浅さから生まれた「想像上の恐怖」であることが大半なんじゃないかなと思うようになった。

 事実を知り、ウェブの可能性を感じれば、もっと僕らは声を上げることができるはずなんだ。日本をよりよく変える「うねり」を起こすには若者が立ち上がるしかないし、そのためにはウェブで緩やかに繋がっていくことが欠かせない。匿名というベールを脱ぐことではじめて、人々がリアルにつながり、そしてリアルな社会に立ち向かえる。

 ウェブの革命性は、いつか歴史として語られる日がくるだろう。僕らが激動の明治に生きることのできた人々を羨むように、僕らが生きる「ウェブ時代」を羨む人々が現れるに違いない。

 そんな魅力的なウェブを活かすために何よりも大切なのが、自分を曝け出す覚悟、オープン・マインドだと思う。他者に開かれた精神は自己表現を促し、それを通じて人々は「感情」で緩やかに繋がっていくことができる。それこそが「熱」を生み、「うねり」を起こし、社会を大きく動かしていく力になる。それを起こしていくのがウェブ時代のエリートなのだと思っている。

 なにも僕のように後で読み返して悲惨な文章を書いた方がいいと言うつもりはない。誰も彼もが実名でblogを書いた方がいいと言うつもりもない。そもそも自己表現は文章だけに限られるものじゃない。

 ただ、もう少しウェブをポジティブに捉え、できることなら自分に結びつけた表現をすれば、悩むこともあるけれど、その分だけ生きることを味わえる。それは間違いなく楽しい。そうして楽しみながら社会を動かしていけるのなら・・・、そんな素晴らしいことはない。そう思うんだ。

 こんな楽しい時代なのに、そこで生きないなんて、もったいなさ過ぎるよ。


 それとも、そう思っているのは僕だけなんだろうか?


 【フォト】 みっちゃん@道塾(オフィス)。今週から僕以外のスタッフが稼動し始めました。いい滑り出し!
2008年4月14日

時代の主役は誰か?


 この4月からベストセラーのビジネス書や新書を多く読むようにした。いわゆる正統派の文学や哲学系の本ばかり読んできた僕には無縁のジャンルだったのだが、読んでみるとずいぶんと面白い。特にビジネス書は、自分がビジネスをはじめたせいか文学作品のように没入することができる。

 不思議なのは、それらの本の多くが「既存のレールから降りた生き方」を推奨していることだ。就職ランキングに載るような大手企業に勤めることを必ずしも是とせず、むしろ真っ向から否定しているようにすら思える。僕が手に取る本に一定の傾向があるのを考慮しても「脱線」がこれほど喧伝されるとは、それほど従来のレールが生きにくくなっているということなのだろうか。

 僕は脱線し続けて生きてきた。その結果、未踏の大地に踏み込んで、日々自分で自分の道を作るようなことをしている。だから新しい価値観を提示する彼らの言葉は僕を勇気付けてくれる。

 そうした新しい価値観を「平成的価値観」とすれば、それと対比される「昭和的価値観」を持った人々が現状は大半を占める。昭和的価値観で生きている人、すなわちレールの上を全力で走っている人には、この平成的価値観の言葉は「今のまま頑張っても報われないよ」と言われるような、身を切られるような痛みがあるのではないだろうか。

 僕がやろうとしているのは「レールから降りた生き方を後押しする」ことだ。パレートの法則風に言えば、レールから降りるべき20%の存在を認 めてパフォーマンスを発揮させるということ。先に述べた「平成的価値観」「昭和的価値観」という言葉を作った「3年で辞める若者」シリーズ城繁幸氏の言葉を借りれば、平成的価値観を担っていくのはこの20%の人々だと僕は考えている。

 「昭和的価値観」から「平成的価値観」へと移行するために、僕は自ら定めた教育再建というテーマに従って「脱線の仕組み」を少しずつ作っている。「レールから降りても大丈夫だよ」と伝えられるよう、僕自身がレールから外れた場所にある荒野を切り拓き続けているつもりだ。

 教育再建へ向けた道筋として、僕なりに二本の柱がある。ひとつが(1)「ウェブ時代のエリート」が育つ環境づくり、もうひとつが(2)「遠回りした若者」が「ウェブ時代のエリート」へと変わるための手助け、だ。

 このうち(2)の「遠回りした若者」が置かれる状況を大別すると、(2)-A「チャレンジングな落ちこぼれ」と(2)-B「情熱を失いかけている落ちこぼれ」の2パターンが見えてくる。Aの「チャレンジングな落ちこぼれ」とは、自分を変化させる意思を持ち、自ら能動的に動ける者のこと。Bの「情熱を失いかけている落ちこぼれ」とは、変化する意思や能動性を失いかけてしまっている者たちだ。

 現在、僕はこの(1)=(「ウェブ時代のエリート」が育つ環境づくり)を早大生を中心に進めていく準備をしている。(2)=(「遠回りした若者」が「ウェブ時代のエ リート」へと変わるための手助け)に関しては既に、Aは教育ベンチャー事業としての道塾で、Bは教育組織改革(コンサルティング業務)における最初の仕事 として不登校児を対象に動きはじめている。1にせよ2にせよ、目指すべきは「ウェブ時代のエリート」だと思う。

 「ウェブ時代のエリート」というのは、以前に書いた「まだ見ぬ早大生へ」を読んで発奮するような若者のことだ。眠りを誘う暖炉の火ではなくて、他者に熱を伝えられるような「太陽の光」になり得る若者のことだ。

 このことは僕に、同じ激動の時代として「明治」を思い起こさせる。「平成的価値観」の根底にあるのは、福澤諭吉が唱えた「独立自尊」の精神だと思うからだ。福澤諭吉の「独立の心なきもの、国を思うこと深切ならず」とは今で言うビジョナリーの言葉だろうが、この平成の時代にも色褪せることない輝きを放っている。独立自尊の精神で、自らが楽しみ、他者を楽しませ、それが社会をよくしていく。これほど楽しく、生きがいを持てることは少ない。

 平成の時代に、必要なのは明治の人々が持っていた志。だから教育「再建」という言葉を使ってみた。

 現在のメディアの体たらくによって、経済的にも言論的にもいわゆる「パラダイス鎖国」状態はしばらく続いていくだろう。「黒船」の脅威がまったく感じられない現在の日本において、変化は外からではなく内から起こさなきゃならない。それは、とてつもなく難しいことだと思うけれど、誰かがやらなきゃはじまらないんだ。じゃないと日本は本当に立ち直れなくなる。

 一丸となってシュプレヒコールをあげるのでなくていい。ウェブという便利なものがある現状、ゆるやかに繋がっていけばいいと思う。多様性を認め合い、誰かがゆるやかに束ねていければいい。それは誰がやるのか? 他でもない、僕ら若い世代のはずだ。

 若者が声をあげてかなきゃならないのに、相変わらずウェブ上で実名を出すことにすら躊躇している人が多い。それはもったいないよ。

 オープンなマインドがなければ他者とつながれない。イノベーションを生み出すためにはリスクを取らなきゃならない。科学技術だけじゃない、イノベーションは政治にも学問にも、思考の様式にだって起こりうる。大勢の人々による連携を通じてイノベーションを起こし続けることで、はじめて社会を揺り動かすうねりが生まれてくるんだと思う。そして、その「うねり」を産みだすのはとんでもなく楽しいはずだ。僕らが大正や昭和といった時代ではなく、明治という時代を好んで語るように。

 昭和的価値観の怪物はそのうねりを潰そうとするだろうが、それに抗わなくちゃならないと僕は信じている。それが若者の役目であり、生きがいであるはずだからだ。

 早稲田という地はそれを叫ぶのにどこよりも適した場所であるはずだ。こんな時代に、こんな場所にいて、何もしないなんて、もったいない。僕らは時代の主役になることができる場所にいる。その想いが「まだ見ぬ早大生へ」を僕に書かせた。奇しくも今年の新入生はついに「平成生まれ」世代となった。ここからが「うねり」の本番だろう。

 このブログは大きなうねりの元となる「さざ波」を起こす場所でありたい。

 【フォト】 朝ごはん、毎日こんな感じです。ヨーグルト、バナナ、(ミニ)トマト、それに紅茶。幸せだぁ。
2008年4月11日

「教育再建」

 慌しかった年度の切り替わりに負けじと、人生のスピードも上がり続けている。上がらないのは単位の取得数と、書ける文字数くらい。スピードが上がらないものは必然的に後回しになっていく。6年目のフラ語の授業なんぞに出るわけもなく。

 そういうわけでblogを書くのも久しぶりになってしまった。嬉しいことに、その間もアクセス数は日々上がり続けていた。3月からはじめた「ネットとリアルの融合」が上手くいっているせいか「blog読んでます」と言われることが多くなった。

 ただ、今みたいに更新していないと、夏休みの宿題が残ってるのに遊んでた小学生のように、なんだか悪いことをしているような気持ちになる。書きたいことは山ほどあるので、もう少しして新年度の塾周りが落ち着いたら文字にしていきたいと思っている。

 忙しい中でもちゃんと書き続ける奴らもいて、友人達のmixiやblogを読んでいると、それぞれの新しい環境で走り出したのが目に浮かぶ。新NewSHINEのてっちゃん頻尿days!!の庄司messAGEFROMktr☆の甲斐。みんな社会人になっても変わらず「よりよく」変わり続けてる。負けてられねぇ、と思う。20年後も肩組んで歌えるように、どんな変化の中にあっても、変わり続ける意思だけは変えずにいたいね。

 サイドバーに書いた通り、「教育再建」を20代の自分のテーマに掲げました。あわせて今やっている仕事も書いてみた。「教育ベンチャー事業」と「教育組織改革(コンサルティング業務)」。なるべく近い言葉を捜したつもりだけれど、自分のやってることを「大人の言葉」に置き換えると違和感に笑いたくなる。やってることは地道な日々の積み重ねだから。

 それでも。

 若者の人生の一部を、社会の変革の一端を、担っている重みを信じて今日も走り続けます。

 【フォト】 ある日の佐多くん@さかえ通りにあるBAR「saikai」。これが人生ではじめて作ったカクテルだったそうで、ありがたくいただきました。マティーニ、意外と美味かったよ!