何かを手に入れるためには、何かを捨てなくてはならない。哀しいけれど、揺るぎない事実だとあらためて感じる。
僕らが持つ唯一の財産、時間。1日24時間。この限られた財産を何に賭けるか。それが自分自身を生きる、ということのはじまりだと思う。大切なのは、そのことに自覚的になるか否か。
二つ前のエントリーで24時間のスタイルを書いたのも、それを前提にしてのことだ。学生時代、僕は必死で駆け抜けてきたけれど、振り返れば無駄な時間が多かった。そうした「無駄」がもたらしてくれたものもたくさんあるれど、もうその時期は過ぎたのだと思う。
最近少しずつ捨てるものを増やしてる。誘われる舞台やイベントには、原則として行かないことに決めた。夜を徹しての麻雀にも、もう行かない。酒を飲んで盛り上がっても25時には帰る。
部屋に散らばるものですら「捨てられない病」の僕にとって、人との縁が生まれる可能性を捨て去るのは容易いことじゃない。でも、そこで逃げてちゃ先には進めない。2007年の4月からの一年間で僕はそれを強く実感した。もう時効だろうから、久しぶりにそのことに触れてみる。
それに先立つ年の暮れ、付き合っていた女性がいた。あと数ヶ月で彼女は社会人になり、僕は5年生になることが決まっていた。僕は今と変わらず夢を追っていた。ただ今と違うのは、その夢が非現実的だった、ということ。現実を生きる彼女に対して、僕の生きる姿勢は地に足がついていなかった。
僕は小説家になるべく文章を書いていた。けれど、誰のために、何のために書くのか分かっていなかった。スクリーンに現れる文章は、宙をさまよい消えていく煙のようだった。何も生みだせないまま、時だけが過ぎていった。
どちらが別れを切り出すかはタイミングの問題だったのだと思う。食うことには困らず、友人もたくさんいて、家族ともうまくいっていて、愛する人もいた。でも、僕には決定的に危機感が足りてなかった。だから僕の文章は上滑りをしていた。それは自分でも分かっていた。僕は、幸せ過ぎて文章が書けない、という勝手な理由をつけて彼女の家を飛び出した。
単純に甘えてるだけだった。逃げてるだけだった。取り返しのつかない状況になってから僕は後悔した。激しく。
それから数ヶ月が経ち、卒業式の頃に彼女と再会した。彼女と交わした言葉は少なかったけれど、卒業文集のために交換したメッセージカードには見慣れた字で「勝負してね」と書いてあった。その紙は僕にとって、それからの一年を過ごす上で、戦地へ赴いた兵士のお守りのようなものになった。
僕は決めた。自分のやったことを、後悔しないように、そして後悔させないように生きていこう、と。そう覚悟してから、僕の生きるスピードは上がっていった。
1年間、全力で加速し続けた。無理しすぎてパンクしかけたこともあった。そのたびに「勝負してね」という言葉を思い返してきた。
今なら胸を張って言える。勝負し続けてきた、と。
たくさんの人の力が集まってMEGA PEACEをやることができた。今は3人の仲間と共に「道塾」を続けていくことができている。失うものもあったけれど、その分だけ得たものがある。失った時に生まれた哀しみの分だけ、手に入れた時に流せる涙がある。
何も得ようとしないのであれば、何も捨てる必要はないのだろう。哀しみの涙を流すこともないのだろう。でも、僕はそうした生を送りたいとは思わない。何かを手に入れることの素晴らしさを知った今、そのために哀しむことを避けるのは「逃げ」だと思うからだ。
喜びの涙のために、哀しみの涙を受け入れる。
自分を賭けられるものを探り当てたら、それに自らを没入させる。そうしてはじめて価値あるものを生み出すことができるのだと思う。
僕は幸いにも自分を賭けるべき道を見つけた。違う道を歩む人と交われないのは哀しいけれど、分かってもらえたら幸いだとだけ思う。暗がりの道、手探りだから転ぶこともあるけれど、僕はいつまでも全力で突っ走っていく。甘えて逃げだすような真似だけは、もう二度としない。
自分を賭けて生きている人は、誰しも何かを捨てているのだと思う。その哀しみに耐えられなくなったなら、そんな時は僕を誘ってください。朝までウィスキーでも飲みましょう。それは決して無駄な時間じゃないからさ。
【フォト1】 親父の命日は満月だった。
2008年5月18日
続・一歩踏み出す
5月5日に「一歩踏み出す」というエントリーを書いた。その最後を「どこに踏み出すかって?今の俺には、もうここしかない。『ウェブ』という新たな世界。この話の続きは近いうちに。」と結んだ。今日はその続き。
ネットをヘビーに使う人たちの一部で有名な「はてな」と呼ばれる会社がある。僕がよく引き合いに出す梅田望夫が取締役をしていて、代表が「へんな会社」のつくり方 なんて本を出してる、ちょっと変わった会社だ。「はてなダイアリー」や「はてなブックマーク」 といったサービスが有名で、結構な人数のユーザーがいる。僕も「ブックマーク」をウェブ巡回メモとして使っていて、最近「ダイアリー」を読書メモとして使いはじめた。
その「はてな」内のとある「ダイアリー」で、これを見てる人たちで集まって飲もう、という企画が生まれた。ウェブの世界に一歩踏み出す、と決めていた僕は主催者にメールを送り、ジョンと一緒に参加させてもらった。主催者の方が当日の様子を伝えてくれているので、会の詳細についてはそちらで。結局、あまりに面白くて二次会までついて行ってしまった。
この会で印象に残ったことをふたつ。ひとつ目は、「文系の凄い人たちはまだウェブに出てきていない」というある参加者の言葉。ふたつ目は、僕と同年代の人が少なかった、という点だ。
「文系の凄い人はまだウェブに出てきていない」という点は僕も強く感じていた。元々「はてな」が理系ユーザーに好まれるから理系の存在感が高いというのもあるけれど、そもそも文系の人は本格的にウェブの世界に入ってきていない。文章は書籍で出版・購入すりゃいいでしょ、という感覚が根強いように感じる。
日本は文理の区別が強いが、その中で「自分は理系です」という日本人は総人口からするとかなり少ない。「文系」がウェブでの存在感を増していかないと、ウェブは理系寄りの限られた言論空間のままになってしまい、本来のパフォーマンスを発揮できない。
文章を書く、というのはそれこそ「文系」が担ってきた仕事のはずで、それを通じて可能性を大きく拡張するウェブの世界に、当の文系が進出していないのはもったいない。梅田望夫と対談した斉藤孝のような「文系の大家」が本気になってウェブを推奨すれば面白いのだけれど、残念なことに「僕はblogはいいよ」という結論に達してしまう。
英語圏のサービスに参入できない日本人は、自らの言語空間を拡張して独自の文化を築いていかないと、世界に取り残されると僕は思う。資源のない日本において、勝負できるのは「独自の文化」しかないだろう。ウェブはそれを加速してくれるのに、「文系の凄い人」はウェブの世界ではまだまだ発掘されていない。
ふたつ目の若い人が少なかったという点だが、僕の世代の参加者は15人中4人だけだった。それもすべて男。参加する方々の年齢が(僕らの世代と比べると)高かったから、というのもあるけれど、こういうウェブを通じての集まりに素敵な女子大生が参加するのが当たり前になるくらいでようやく、未来を担う若者にウェブが浸透したね、って言えるのだと僕は思う(冗談ではなく)。
否定的なことばかり書いてしまったけれど、「だからダメなんだ」と言いたいわけじゃない。日本におけるウェブ利用はまだまだ黎明期で、だから俺達が率先してやろうぜ、これはチャンスなんだよ、ということを伝えたいんだ。
はてなでの読書メモをはじめたのは3日前。その初日、『私塾のすすめ』のメモを書いたら、著者である梅田望夫がすぐさま「スター」を付けてくれた。スターというのは「はてな」における「読んだよ、いいぜ、頑張れよ」ってサインのようなもの。遥かカリフォルニアの地に(多分)いる梅田氏に「応援してるよ」と背中を押されたように感じた。
先の飲み会には、その梅田氏と家族ぐるみの付き合いがあったり、仕事上で一緒になったことがあったり、あるいはインタビューを受けていたり、といった人達がいた。僕は彼らのblogを知っていたけれど、当日その場ではほとんど分からなかった。
本人とblogが結びついたのは飲み会の後、自宅でウェブを確認してからだった。「ああ、この人だったのか!」って。それぞれに面白い経歴があって、リアル社会でも活躍していたり、「はてな」で人気のあったりする人たちだ。ちょっと勇気を出して一歩踏み出せば、面白い人、自分に合う人と出会うことができるのをリアルに感じられた。すると、ますますウェブが面白くなる。
こういう世界が、手を伸ばせば届くところにある。このblogを読んでくれてる人の多くは早稲田生やその卒業生あるいは早稲田を目指している人が多いはず。そういう人たちこそ、今いる場所から一歩踏み出して、新たな世界に進むべきなのだと思う。「文系」かつ「若い」僕ら、せっかくのチャンス、一歩踏み出していこうよ?
ウェブを通じて、現実世界の踏み出しも増える。現実世界にもウェブ世界にも、一歩踏み出し続けて行くことで日々は楽しくなる。それが広まれば日本の若者は盛り上がってくる。
それを少しでも実現するために、まず早稲田を横につなげる会、それからウェブで若者を横につなげる会、この二つを近いうちに企画しようと思ってる。「一歩」というさざなみが、連なることで大きなうねりへと変わっていくことを信じて。
「文系の若い奴」といったら俺だろ!という覚悟で、僕はフルスピードで踏み出し続けるよ。
最後に。
横浜小会議、やんちゃな若輩者の僕を、笑顔で快く迎え入れて下さった皆さんに、本当に感謝。
【フォト1】 庄司誕生会。25歳になるおっさんのために、夜の大隈講堂まで何十人と仲間・後輩が来てくれるたぁ、彼は幸せ者です。僕からも感謝。
【フォト2】 第二八愛ビル、ついに退去してしまったね。残念だけれど、これも皆の新たな一歩でしょう!俺もたくさん世話になりました。ありがとう。たぶん彼は(ジョンと並んで)大いに寂しがってるので、みんなで応援してやりましょう。
ネットをヘビーに使う人たちの一部で有名な「はてな」と呼ばれる会社がある。僕がよく引き合いに出す梅田望夫が取締役をしていて、代表が「へんな会社」のつくり方 なんて本を出してる、ちょっと変わった会社だ。「はてなダイアリー」や「はてなブックマーク」 といったサービスが有名で、結構な人数のユーザーがいる。僕も「ブックマーク」をウェブ巡回メモとして使っていて、最近「ダイアリー」を読書メモとして使いはじめた。
その「はてな」内のとある「ダイアリー」で、これを見てる人たちで集まって飲もう、という企画が生まれた。ウェブの世界に一歩踏み出す、と決めていた僕は主催者にメールを送り、ジョンと一緒に参加させてもらった。主催者の方が当日の様子を伝えてくれているので、会の詳細についてはそちらで。結局、あまりに面白くて二次会までついて行ってしまった。
この会で印象に残ったことをふたつ。ひとつ目は、「文系の凄い人たちはまだウェブに出てきていない」というある参加者の言葉。ふたつ目は、僕と同年代の人が少なかった、という点だ。
「文系の凄い人はまだウェブに出てきていない」という点は僕も強く感じていた。元々「はてな」が理系ユーザーに好まれるから理系の存在感が高いというのもあるけれど、そもそも文系の人は本格的にウェブの世界に入ってきていない。文章は書籍で出版・購入すりゃいいでしょ、という感覚が根強いように感じる。
日本は文理の区別が強いが、その中で「自分は理系です」という日本人は総人口からするとかなり少ない。「文系」がウェブでの存在感を増していかないと、ウェブは理系寄りの限られた言論空間のままになってしまい、本来のパフォーマンスを発揮できない。
文章を書く、というのはそれこそ「文系」が担ってきた仕事のはずで、それを通じて可能性を大きく拡張するウェブの世界に、当の文系が進出していないのはもったいない。梅田望夫と対談した斉藤孝のような「文系の大家」が本気になってウェブを推奨すれば面白いのだけれど、残念なことに「僕はblogはいいよ」という結論に達してしまう。
英語圏のサービスに参入できない日本人は、自らの言語空間を拡張して独自の文化を築いていかないと、世界に取り残されると僕は思う。資源のない日本において、勝負できるのは「独自の文化」しかないだろう。ウェブはそれを加速してくれるのに、「文系の凄い人」はウェブの世界ではまだまだ発掘されていない。
ふたつ目の若い人が少なかったという点だが、僕の世代の参加者は15人中4人だけだった。それもすべて男。参加する方々の年齢が(僕らの世代と比べると)高かったから、というのもあるけれど、こういうウェブを通じての集まりに素敵な女子大生が参加するのが当たり前になるくらいでようやく、未来を担う若者にウェブが浸透したね、って言えるのだと僕は思う(冗談ではなく)。
否定的なことばかり書いてしまったけれど、「だからダメなんだ」と言いたいわけじゃない。日本におけるウェブ利用はまだまだ黎明期で、だから俺達が率先してやろうぜ、これはチャンスなんだよ、ということを伝えたいんだ。
はてなでの読書メモをはじめたのは3日前。その初日、『私塾のすすめ』のメモを書いたら、著者である梅田望夫がすぐさま「スター」を付けてくれた。スターというのは「はてな」における「読んだよ、いいぜ、頑張れよ」ってサインのようなもの。遥かカリフォルニアの地に(多分)いる梅田氏に「応援してるよ」と背中を押されたように感じた。
先の飲み会には、その梅田氏と家族ぐるみの付き合いがあったり、仕事上で一緒になったことがあったり、あるいはインタビューを受けていたり、といった人達がいた。僕は彼らのblogを知っていたけれど、当日その場ではほとんど分からなかった。
本人とblogが結びついたのは飲み会の後、自宅でウェブを確認してからだった。「ああ、この人だったのか!」って。それぞれに面白い経歴があって、リアル社会でも活躍していたり、「はてな」で人気のあったりする人たちだ。ちょっと勇気を出して一歩踏み出せば、面白い人、自分に合う人と出会うことができるのをリアルに感じられた。すると、ますますウェブが面白くなる。
こういう世界が、手を伸ばせば届くところにある。このblogを読んでくれてる人の多くは早稲田生やその卒業生あるいは早稲田を目指している人が多いはず。そういう人たちこそ、今いる場所から一歩踏み出して、新たな世界に進むべきなのだと思う。「文系」かつ「若い」僕ら、せっかくのチャンス、一歩踏み出していこうよ?
ウェブを通じて、現実世界の踏み出しも増える。現実世界にもウェブ世界にも、一歩踏み出し続けて行くことで日々は楽しくなる。それが広まれば日本の若者は盛り上がってくる。
それを少しでも実現するために、まず早稲田を横につなげる会、それからウェブで若者を横につなげる会、この二つを近いうちに企画しようと思ってる。「一歩」というさざなみが、連なることで大きなうねりへと変わっていくことを信じて。
「文系の若い奴」といったら俺だろ!という覚悟で、僕はフルスピードで踏み出し続けるよ。
最後に。
横浜小会議、やんちゃな若輩者の僕を、笑顔で快く迎え入れて下さった皆さんに、本当に感謝。
【フォト1】 庄司誕生会。25歳になるおっさんのために、夜の大隈講堂まで何十人と仲間・後輩が来てくれるたぁ、彼は幸せ者です。僕からも感謝。
【フォト2】 第二八愛ビル、ついに退去してしまったね。残念だけれど、これも皆の新たな一歩でしょう!俺もたくさん世話になりました。ありがとう。たぶん彼は(ジョンと並んで)大いに寂しがってるので、みんなで応援してやりましょう。
2008年5月13日
今年のはじめから模索してた人生第二幕のライフスタイル、ほぼ決定したので載せておきます。
■月火水木(平日)
7時起床、12時まで学習時間(読書&ウェブ巡回&blog書き)、12時~15時はランチ→【午後2時のビール】→シエスタ(昼寝)、15時~23時まで仕事(19時~22時に夕飯を入れる場合も)、25時睡眠
■金土日祝(週末)
7時起床、12時まで学習時間(読書&ウェブ巡回&blog書き)、12時~15時はランチ→【午後2時のビール】→シエスタ(昼寝)、15時~23時まで仕事(19時~22時に夕飯を入れる場合も)、25時睡眠
実際には夜遅くまで話し込むことが多くて、起きるのが遅くなって午前中の学習時間が減ってしまいがち(=blogも書けなくなる)。就寝と起床の時間を死守することが5月の目標。
読書は午前もするけれど、ランチ後や移動時間をはじめ、隙間をメインに使ってる。最近はウェブ周りで時間が取られがちになっていて・・・、ここをどう調整していくかが目下の課題。
見比べれば分かる通り、平日も週末もスケジュールは同じです。違う点は、平日の夕飯はできるだけ入れないようにしていて(入れても仕事関係)、週末はそれと関係なく人と会ってく、ってくらい。ランチと週末の夕飯はできるだけ人と会いたいと思ってるので、遠慮なく連絡ください(平日の夜は断る場合もあります、ごめんね)。
**********
僕は、仕事と生活を一致させたいという願望がある。最近刊行された梅田望夫と斉藤孝の対談本『私塾のすすめ』で「生活が作品」という言葉と出会った。岡本太郎も言ってた。「人生、即、芸術」。僕はこういう仕事と生活を分けないスタイルが好きだ。
上に書いた僕の時間割では便宜的に「仕事」という言葉を使っている。でも実際のところ午前の「学習」と午後の「仕事」が全くの別物かというと、そんなことはない。ランチから新たな「学習」や「仕事」が見つかったり、逆に「学習」や「仕事」で足りないところを夕飯が補完してくれることもある。
平日と週末、仕事と余暇、そういう分け隔てはしたくない。人間が複雑な有機体であるように、僕のやることすべてはつながりあっているはずなんだ。それを別々のものにしてしまったら「平日」や「仕事」という言葉が急に「しんどいもの」に思えてくる。
最近まで糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」が出してる「ほぼ日手帳」を使ってた。情報管理をすべてウェブベースに移してからは、薄いメモ帳1冊だけで事足りるようになって「ほぼ日手帳」を持ち歩くことはなくなってしまったけれど、散々試した手帳の中でいちばん僕の手になじんだ手帳だった。
仕事は大変なことが多いから、楽しい余暇に逃げたくなることもある。そこを何とか繋ぎとめて、生活と仕事を「楽しく」1冊にまとめてしまおう、そういうコンセプトに共感してた。1日1ページ、24時間軸の予定表、持ちやすい文庫サイズ。コンセプトは機能面にも出てくるけれど、「いらないよ」と言われそうな遊びゴコロのある「お言葉」が生活に彩りを加えてくれもした。
1年前のページを広げてみたら「自己表現論」の授業記録が載ってて、翌日は小松ちゃんがうちに泊まってった日だった。そういうこともあったね。懐かしい日々だ。
時々、後輩に「こういう企画をやりたいんだけれど」と相談される。あるいは社会人と「こういうことをやっていきたいね」と語り合うことがある。どれも夢物語だから、語る本人にはとてつもなく高い壁に思える。特に会社という厳しい制約状況にある社会人にとってはそうだろう。
けれど、24時間すべてをそれに賭ける覚悟があれば、たいていのことはできると思う。僕だって上のページを書いてた頃はWIFのことで頭がいっぱいで、メガピのことなんて想像すらしてなかった。それが「半年間」と決めて覚悟して走りはじめたら、目指していた場所のあたりまで辿りつくことができた。そのぶん単位は失ったけれども。
24時間すべてを賭ける何かに向かおうとする時、前提になるのは何を握りしめるかを考え抜いたか否かだと思う。優先順位(プライオリティー)の明白なライフスタイルづくり、と言ってもいい。「握りしめたもの」を信じて行動する覚悟さえあれば、繰り返すけど、たいていのことはできると僕は思ってる。
生活、即、人生。
大切なのは日々の些細な「生活」の積み重ね。
【フォト1】 二階級特進ですね。100ハイおつかれさまでした。
【フォト2】 ほぼ日手帳。今年使おうと思って買った革カバーは庄司に、今年の中身と去年の臙脂カバーは道塾スタッフの小竹にあげてしまい、残ったのは去年の中身と、庄司が使っていた紺カバー。
【フォト3】 朝起きたら突然ドアにこんな紙が貼ってあって、おもわず笑ってしまったよ(この「やす」は元同居人の逸見やす)。うまくいくことを祈ってるよ。
生活、即、人生
今年のはじめから模索してた人生第二幕のライフスタイル、ほぼ決定したので載せておきます。
■月火水木(平日)
7時起床、12時まで学習時間(読書&ウェブ巡回&blog書き)、12時~15時はランチ→【午後2時のビール】→シエスタ(昼寝)、15時~23時まで仕事(19時~22時に夕飯を入れる場合も)、25時睡眠
■金土日祝(週末)
7時起床、12時まで学習時間(読書&ウェブ巡回&blog書き)、12時~15時はランチ→【午後2時のビール】→シエスタ(昼寝)、15時~23時まで仕事(19時~22時に夕飯を入れる場合も)、25時睡眠
実際には夜遅くまで話し込むことが多くて、起きるのが遅くなって午前中の学習時間が減ってしまいがち(=blogも書けなくなる)。就寝と起床の時間を死守することが5月の目標。
読書は午前もするけれど、ランチ後や移動時間をはじめ、隙間をメインに使ってる。最近はウェブ周りで時間が取られがちになっていて・・・、ここをどう調整していくかが目下の課題。
見比べれば分かる通り、平日も週末もスケジュールは同じです。違う点は、平日の夕飯はできるだけ入れないようにしていて(入れても仕事関係)、週末はそれと関係なく人と会ってく、ってくらい。ランチと週末の夕飯はできるだけ人と会いたいと思ってるので、遠慮なく連絡ください(平日の夜は断る場合もあります、ごめんね)。
**********
僕は、仕事と生活を一致させたいという願望がある。最近刊行された梅田望夫と斉藤孝の対談本『私塾のすすめ』で「生活が作品」という言葉と出会った。岡本太郎も言ってた。「人生、即、芸術」。僕はこういう仕事と生活を分けないスタイルが好きだ。
上に書いた僕の時間割では便宜的に「仕事」という言葉を使っている。でも実際のところ午前の「学習」と午後の「仕事」が全くの別物かというと、そんなことはない。ランチから新たな「学習」や「仕事」が見つかったり、逆に「学習」や「仕事」で足りないところを夕飯が補完してくれることもある。
平日と週末、仕事と余暇、そういう分け隔てはしたくない。人間が複雑な有機体であるように、僕のやることすべてはつながりあっているはずなんだ。それを別々のものにしてしまったら「平日」や「仕事」という言葉が急に「しんどいもの」に思えてくる。
最近まで糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」が出してる「ほぼ日手帳」を使ってた。情報管理をすべてウェブベースに移してからは、薄いメモ帳1冊だけで事足りるようになって「ほぼ日手帳」を持ち歩くことはなくなってしまったけれど、散々試した手帳の中でいちばん僕の手になじんだ手帳だった。
仕事は大変なことが多いから、楽しい余暇に逃げたくなることもある。そこを何とか繋ぎとめて、生活と仕事を「楽しく」1冊にまとめてしまおう、そういうコンセプトに共感してた。1日1ページ、24時間軸の予定表、持ちやすい文庫サイズ。コンセプトは機能面にも出てくるけれど、「いらないよ」と言われそうな遊びゴコロのある「お言葉」が生活に彩りを加えてくれもした。
1年前のページを広げてみたら「自己表現論」の授業記録が載ってて、翌日は小松ちゃんがうちに泊まってった日だった。そういうこともあったね。懐かしい日々だ。
時々、後輩に「こういう企画をやりたいんだけれど」と相談される。あるいは社会人と「こういうことをやっていきたいね」と語り合うことがある。どれも夢物語だから、語る本人にはとてつもなく高い壁に思える。特に会社という厳しい制約状況にある社会人にとってはそうだろう。
けれど、24時間すべてをそれに賭ける覚悟があれば、たいていのことはできると思う。僕だって上のページを書いてた頃はWIFのことで頭がいっぱいで、メガピのことなんて想像すらしてなかった。それが「半年間」と決めて覚悟して走りはじめたら、目指していた場所のあたりまで辿りつくことができた。そのぶん単位は失ったけれども。
24時間すべてを賭ける何かに向かおうとする時、前提になるのは何を握りしめるかを考え抜いたか否かだと思う。優先順位(プライオリティー)の明白なライフスタイルづくり、と言ってもいい。「握りしめたもの」を信じて行動する覚悟さえあれば、繰り返すけど、たいていのことはできると僕は思ってる。
生活、即、人生。
大切なのは日々の些細な「生活」の積み重ね。
【フォト1】 二階級特進ですね。100ハイおつかれさまでした。
【フォト2】 ほぼ日手帳。今年使おうと思って買った革カバーは庄司に、今年の中身と去年の臙脂カバーは道塾スタッフの小竹にあげてしまい、残ったのは去年の中身と、庄司が使っていた紺カバー。
【フォト3】 朝起きたら突然ドアにこんな紙が貼ってあって、おもわず笑ってしまったよ(この「やす」は元同居人の逸見やす)。うまくいくことを祈ってるよ。
2008年5月9日
中島聡、という男がいる。
1960年生まれで、Windows95、98、IE3.0、4.0といった、Microsoftの名を庶民にまで知らしめたソフト開発の中心にいた人物だが、この人、ITの世界の第一線で活躍してきた人にしては珍しい早稲田出身者。それも学院から院までの純血だ。著名なブロガーでもある(「Life is Beautiful」)。
少し前に彼の著書『おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由』を読んだ。巻末の梅田望夫との対談が興味深かったので引用する。
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梅田 中島さんの「ギーク・スーツ」論、面白いですね。テクノロジーの会社が伸びるのは、ギーク(技術者)族の心をつかむのが上手なスーツ(経営者やビジネスマン)がリーダーシップをとったときと、抜群のビジネスセンスを持ったギークがリーダーシップをとったとき、ギークとスーツが絶妙のコンビを組めたときのいずれかであるという話。
P223 「『ギーク』『スーツ』の成功方程式」
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彼らは「ギーク」と「スーツ」という言葉を頻繁に使う。ギーク=技術者、スーツ=経営者・ビジネスマン。この対談の中で、『ウェブ進化論』で名を馳せた梅田は、自分はスーツ側の人間であり、中島はギークとスーツの間に立っている人間だと語る。
Windows開発の中心にいて、今もなお現役でソフト開発をしている彼は正真正銘のギークである。にも関わらず彼の語るITの世界は、なんとまぁ豊穣で魅力的なことか。そんじょそこらの小説なんかより、ずっと面白いストーリーで僕の心を震わせる。そういう中島聡の持つ「スーツ性」を梅田は指摘したのだと思う。
ユーザーに心ふるえる体験をさせることを中島は「おもてなし」と呼ぶ。そしてタイトルからも分かるように、経営=スーツ側には「おもてなし」が必要だと述べられる。
僕は生粋のスーツだ。僕の周りにいる人の多くもそうだろう。技術を持たないスーツに必要なのは「おもてなし」の心だというのはよく分かる。その上で、「おもてなし」の対象を「ユーザー」だけに限らない言葉として、僕が好きな「想像力」というフレーズが浮かんでくる。
組織とは「人が集まることで、一人じゃできないことを達成する場」だ。ただ、単に集まるだけじゃ何も生み出せない。そこで集まった人々が協力しあうことで、チームの最大限のパフォーマンスを発揮し、組織の秘めた力を最も引き出せる。その結果、価値のあるものを生み出すことができる。
その際に必要なのが他者への想像力だと僕は思う。
想像力がなければ、チームプレイは難しい。チームにいる人と人との間に溝を作るからだ。そして溝のあるチームが、ユーザーとの間にある遙かな断絶を超えられるはずもない。だから想像力を欠いたチームから、ユーザーの心を震わせる企画は生まれにくい。これは営業だって、マーケティングだって、製作だって同じだろう。
想像力の有無。
その違いが具体的に何を生み出すかと言うと、あえて単純化すれば、例えばソニーのPS3と任天堂のWiiが挙げられる。PS3を出した当時のソニーはギークvsスーツの対立が社内であり、その影響もありギーク(技術)側に寄った製品になった。逆にWiiはギークとスーツがうまく調和し、想像力と技術が組み合わさり、新しいスタイルでユーザーの心を掴むことができた。
任天堂の岩田社長は純粋な理系人間だけれど、僕の中では「おもてなし力」でダントツの糸井重里とえらい親しくて(対談記事)、一緒にゲームの開発(MOTHER3)をしたほどの仲だ(ちなみに一度頓挫したこの企画は、岩田が任天堂の社長になって実現する)。ビジネスにおいて成功失敗の理由なんていくらでも後付けできるにせよ、何かを生み出そうとする時、やはり僕はこういう「想像力の有無」が決定的な違いを生むと信じる。
ユーザーだけでなく、チームの仲間に対しても「おもてなし」の心を持つこと。それができるか否かは、どれだけ他者への想像力を持てるか、という一点にかかっていると思う。
想像力を持つ。相手の立場に立つ。
手垢にまみれた言葉だけど、意外と難しいからこそ語られ続けるのだと思う。実際、やってるようで、やってない。ごく些細なことであれ、相手の立場に立つ「つもり」になるだけで、僕は少なくとも数分かかる。この忙しい日々の中で立ち止まって、数分かけて相手の立場に立った「つもり」になることが、いったいどれくらいあるだろう? もっと難しい問題では、どこまで僕は相手に寄り添っていられているのだろう?
最近、自分の想像力の欠如を痛感することが多い。まぁでも、僕の個人的な話は措いておこう。
**********
今後、シリコンバレーのようなギーク達の集う場所が日本にも勃興してくるだろう。筆頭は京都。慶應SFCの周りもそうなんだろう。そうした地域を「ギークエリア」とするならば、それに対する「スーツエリア」があってもいいはずだ。そして、早稲田が今後パフォーマンスを発揮できるとしたら、そこしかない。
スーツの持ち得るいちばんの武器、想像力。それを鍛えるべき環境が、早稲田には揃ってる。芥川賞や直木賞の受賞者数ひとつとっても、早稲田は飛びぬけている。母数や文学史的な側面も大きいだろうが、そうしたことも含めて、想像力を鍛える土壌が早稲田にはある。
僕の恩師である原さんがいつも言う。想像力のない人間は人の上に立つな、と。自分視点でしかなく、他者の視点を持てない人間は、周りの人間を傷つけるんだ。
ギークが日々新たな技術を身に付けていくように、スーツは日々想像力を磨いていかなきゃならないと思う。そのために必要なのがリアルな人との対話なのだと僕は思ってる。リアルな人との対話なしに、人の心を掴む物事は生まれてこない。
リアルな対話は「一歩踏み出す」場所での摩擦の中でこそ起こる。一歩踏み出したその場所で、僕らはたくさんの傷を負う。でも、そういう傷を受けてこそ、他者が求めていることに想いを馳せられるようになるのだろう。
時々、未来のことを考える。歩む先でこれから受ける傷を思うとぞっとする時もあるけれど、その分だけ心ふるわせ流せる涙があることを思うとき、たまらなく楽しみになる。やっぱり踏み出さなきゃなぁ、と思う。
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中島 日本のエンジニアはナイーブというか、「欲」がないぶん、損しているのではないでしょうか。
梅田 「欲」というのは作ったものを全世界の人に使ってもらいたいという欲、それとももうちょっとドロドロした金銭欲みたいなものですか。
中島 金銭欲ではなく、良いものを作ろう、そして自分の作った良いものを世界に広めようという欲でしょうか。「これで世界にインパクトを与えよう」という欲と言い換えてもいいかもしれません。日本のエンジニアには、そのような発想もスキルもツールもない。
同P233
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「ソーシャル・ベンチャー・タウン構想」というのを最近僕は考えている。「これで世界にインパクトを与えよう」という欲が、早稲田ほど渦巻いている場所はほかにないだろう。ソーシャルベンチャーの中心となる人間を育てるにはうってつけだ。ただし現状、早稲田には技術やツールをもった人が少ないから実現できていない。なら、技術やツールを持っている人々と手を組めばいい。
東のWASEDA・西のKYOTOみたいになればいいなぁ、なんて妄想をする。実際、京都と早稲田って、頭の良さはだいぶ違うにせよ(笑)、「在野の精神」は近いところがあると思うんだ。だから手を組みやすいんじゃないか、って。実際、一緒にビール造ったりしてるし。
ギークとスーツが手を組めば、世界を大きく変えるうねりを起こすことができる。想像力を持ち、ギークを惹きつけるビジョンやアイデアを持ったスーツは、この早稲田なら生み出せるはず。それを証明するためにも、僕がまずそうならなくちゃならない。そして、それを早稲田に広めていきたい。これが僕が「WASEDA」という横文字に込めている想いだ。
まだまだ夢物語みたいなものだけれど、でもいつの日にか「WASEDA」を実現するためにも、今日も地道に一歩ずつ踏み出していくよ。
【フォト1】 早稲田に胡錦濤が来てたね。でも夜には誰もいなくなってた。あれだけ騒がしかったのが嘘みたいに。僕はダライ・ラマの記者会見を見て感動したけれど、昼間フリーチベットを叫んでいる人を見ても心は動かされなかった。申し訳ないけれど。
行動するのは立派だ。でも、あれじゃ誰にも届かないし、歩いてる人に迷惑かけてばかりでチベットの印象を悪くしてしまう。大切なのは胡錦濤に文句言うことじゃなくて、暴力を止めることのはず。政治的な駆け引きは色々あるだろうけれど、みんなもうちょっと戦略的にやればいいのにな、と思う。自己満足で終わってちゃしょうがない。大切なのは結果。戦略的にならないと、実りある成果は得られない。野次馬の早大生も、どうしようもない。たぶん庄司がいたらキレてただろう。ケガ人が出なくて本当によかった。
いずれにせよ、いろんな立場の人間が入り乱れたら問題が起こるのは当然。この点は、こうした事態が起こるのを見越して企画した大学側は説明責任:アカウンタビリティーを果たしてほしいと思う。学生も入れなかった今回の講演、今のところ大学のホームページでは何一つ触れられていない。
※追記 08/05/09 20:55 Waseda-net portalで5月8日(当日)の朝に、1行リンクから「入構制限するからよろしく」という旨のメッセージがあったとのこと(僕はwnpは見てません。すみません)。ただNHKで同時中継され、ヘリが飛びまくることも予想できたにも関わらず、学生には当日の朝にこれを発表するだけ、で大学側の責任を果たしたとは言い難い。職員は一体いくら給料を貰い、何のために大学にいるんだろう? 学生の側も野次馬をやるくらいなら、こうした点を指摘して大学を変えていく方向に動けばいいのだけれど(そうした意欲のある人はだいたい自分の活動で忙しいだろうが、就活終えた4年生あたりにぜひ頑張ってほしい)。
【フォト2】 中目黒で昼下がりのビールを飲みながら。外は最高に気持ちがいい。
【フォト3】 うるとらで夕飯前のビールを飲みながら。ソンくんの心遣い(おみやげ)に感謝。この後、帰国したこうすけ(元WIF代表)が突然やって来てテンション上がって飲みすぎた。。。
明日から早稲田本庄100キロハイク。100キロの道も、すべては地道な一歩の積み重ね。今年は雨で大変そうだけど、みんな頑張れ。僕はジョンと大隈講堂で待ってます。
ギークとスーツと想像力
中島聡、という男がいる。
1960年生まれで、Windows95、98、IE3.0、4.0といった、Microsoftの名を庶民にまで知らしめたソフト開発の中心にいた人物だが、この人、ITの世界の第一線で活躍してきた人にしては珍しい早稲田出身者。それも学院から院までの純血だ。著名なブロガーでもある(「Life is Beautiful」)。
少し前に彼の著書『おもてなしの経営学 アップルがソニーを超えた理由』を読んだ。巻末の梅田望夫との対談が興味深かったので引用する。
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梅田 中島さんの「ギーク・スーツ」論、面白いですね。テクノロジーの会社が伸びるのは、ギーク(技術者)族の心をつかむのが上手なスーツ(経営者やビジネスマン)がリーダーシップをとったときと、抜群のビジネスセンスを持ったギークがリーダーシップをとったとき、ギークとスーツが絶妙のコンビを組めたときのいずれかであるという話。
P223 「『ギーク』『スーツ』の成功方程式」
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彼らは「ギーク」と「スーツ」という言葉を頻繁に使う。ギーク=技術者、スーツ=経営者・ビジネスマン。この対談の中で、『ウェブ進化論』で名を馳せた梅田は、自分はスーツ側の人間であり、中島はギークとスーツの間に立っている人間だと語る。
Windows開発の中心にいて、今もなお現役でソフト開発をしている彼は正真正銘のギークである。にも関わらず彼の語るITの世界は、なんとまぁ豊穣で魅力的なことか。そんじょそこらの小説なんかより、ずっと面白いストーリーで僕の心を震わせる。そういう中島聡の持つ「スーツ性」を梅田は指摘したのだと思う。
ユーザーに心ふるえる体験をさせることを中島は「おもてなし」と呼ぶ。そしてタイトルからも分かるように、経営=スーツ側には「おもてなし」が必要だと述べられる。
僕は生粋のスーツだ。僕の周りにいる人の多くもそうだろう。技術を持たないスーツに必要なのは「おもてなし」の心だというのはよく分かる。その上で、「おもてなし」の対象を「ユーザー」だけに限らない言葉として、僕が好きな「想像力」というフレーズが浮かんでくる。
組織とは「人が集まることで、一人じゃできないことを達成する場」だ。ただ、単に集まるだけじゃ何も生み出せない。そこで集まった人々が協力しあうことで、チームの最大限のパフォーマンスを発揮し、組織の秘めた力を最も引き出せる。その結果、価値のあるものを生み出すことができる。
その際に必要なのが他者への想像力だと僕は思う。
想像力がなければ、チームプレイは難しい。チームにいる人と人との間に溝を作るからだ。そして溝のあるチームが、ユーザーとの間にある遙かな断絶を超えられるはずもない。だから想像力を欠いたチームから、ユーザーの心を震わせる企画は生まれにくい。これは営業だって、マーケティングだって、製作だって同じだろう。
想像力の有無。
その違いが具体的に何を生み出すかと言うと、あえて単純化すれば、例えばソニーのPS3と任天堂のWiiが挙げられる。PS3を出した当時のソニーはギークvsスーツの対立が社内であり、その影響もありギーク(技術)側に寄った製品になった。逆にWiiはギークとスーツがうまく調和し、想像力と技術が組み合わさり、新しいスタイルでユーザーの心を掴むことができた。
任天堂の岩田社長は純粋な理系人間だけれど、僕の中では「おもてなし力」でダントツの糸井重里とえらい親しくて(対談記事)、一緒にゲームの開発(MOTHER3)をしたほどの仲だ(ちなみに一度頓挫したこの企画は、岩田が任天堂の社長になって実現する)。ビジネスにおいて成功失敗の理由なんていくらでも後付けできるにせよ、何かを生み出そうとする時、やはり僕はこういう「想像力の有無」が決定的な違いを生むと信じる。
ユーザーだけでなく、チームの仲間に対しても「おもてなし」の心を持つこと。それができるか否かは、どれだけ他者への想像力を持てるか、という一点にかかっていると思う。
想像力を持つ。相手の立場に立つ。
手垢にまみれた言葉だけど、意外と難しいからこそ語られ続けるのだと思う。実際、やってるようで、やってない。ごく些細なことであれ、相手の立場に立つ「つもり」になるだけで、僕は少なくとも数分かかる。この忙しい日々の中で立ち止まって、数分かけて相手の立場に立った「つもり」になることが、いったいどれくらいあるだろう? もっと難しい問題では、どこまで僕は相手に寄り添っていられているのだろう?
最近、自分の想像力の欠如を痛感することが多い。まぁでも、僕の個人的な話は措いておこう。
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今後、シリコンバレーのようなギーク達の集う場所が日本にも勃興してくるだろう。筆頭は京都。慶應SFCの周りもそうなんだろう。そうした地域を「ギークエリア」とするならば、それに対する「スーツエリア」があってもいいはずだ。そして、早稲田が今後パフォーマンスを発揮できるとしたら、そこしかない。
スーツの持ち得るいちばんの武器、想像力。それを鍛えるべき環境が、早稲田には揃ってる。芥川賞や直木賞の受賞者数ひとつとっても、早稲田は飛びぬけている。母数や文学史的な側面も大きいだろうが、そうしたことも含めて、想像力を鍛える土壌が早稲田にはある。
僕の恩師である原さんがいつも言う。想像力のない人間は人の上に立つな、と。自分視点でしかなく、他者の視点を持てない人間は、周りの人間を傷つけるんだ。
ギークが日々新たな技術を身に付けていくように、スーツは日々想像力を磨いていかなきゃならないと思う。そのために必要なのがリアルな人との対話なのだと僕は思ってる。リアルな人との対話なしに、人の心を掴む物事は生まれてこない。
リアルな対話は「一歩踏み出す」場所での摩擦の中でこそ起こる。一歩踏み出したその場所で、僕らはたくさんの傷を負う。でも、そういう傷を受けてこそ、他者が求めていることに想いを馳せられるようになるのだろう。
時々、未来のことを考える。歩む先でこれから受ける傷を思うとぞっとする時もあるけれど、その分だけ心ふるわせ流せる涙があることを思うとき、たまらなく楽しみになる。やっぱり踏み出さなきゃなぁ、と思う。
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中島 日本のエンジニアはナイーブというか、「欲」がないぶん、損しているのではないでしょうか。
梅田 「欲」というのは作ったものを全世界の人に使ってもらいたいという欲、それとももうちょっとドロドロした金銭欲みたいなものですか。
中島 金銭欲ではなく、良いものを作ろう、そして自分の作った良いものを世界に広めようという欲でしょうか。「これで世界にインパクトを与えよう」という欲と言い換えてもいいかもしれません。日本のエンジニアには、そのような発想もスキルもツールもない。
同P233
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「ソーシャル・ベンチャー・タウン構想」というのを最近僕は考えている。「これで世界にインパクトを与えよう」という欲が、早稲田ほど渦巻いている場所はほかにないだろう。ソーシャルベンチャーの中心となる人間を育てるにはうってつけだ。ただし現状、早稲田には技術やツールをもった人が少ないから実現できていない。なら、技術やツールを持っている人々と手を組めばいい。
東のWASEDA・西のKYOTOみたいになればいいなぁ、なんて妄想をする。実際、京都と早稲田って、頭の良さはだいぶ違うにせよ(笑)、「在野の精神」は近いところがあると思うんだ。だから手を組みやすいんじゃないか、って。実際、一緒にビール造ったりしてるし。
ギークとスーツが手を組めば、世界を大きく変えるうねりを起こすことができる。想像力を持ち、ギークを惹きつけるビジョンやアイデアを持ったスーツは、この早稲田なら生み出せるはず。それを証明するためにも、僕がまずそうならなくちゃならない。そして、それを早稲田に広めていきたい。これが僕が「WASEDA」という横文字に込めている想いだ。
まだまだ夢物語みたいなものだけれど、でもいつの日にか「WASEDA」を実現するためにも、今日も地道に一歩ずつ踏み出していくよ。
【フォト1】 早稲田に胡錦濤が来てたね。でも夜には誰もいなくなってた。あれだけ騒がしかったのが嘘みたいに。僕はダライ・ラマの記者会見を見て感動したけれど、昼間フリーチベットを叫んでいる人を見ても心は動かされなかった。申し訳ないけれど。
行動するのは立派だ。でも、あれじゃ誰にも届かないし、歩いてる人に迷惑かけてばかりでチベットの印象を悪くしてしまう。大切なのは胡錦濤に文句言うことじゃなくて、暴力を止めることのはず。政治的な駆け引きは色々あるだろうけれど、みんなもうちょっと戦略的にやればいいのにな、と思う。自己満足で終わってちゃしょうがない。大切なのは結果。戦略的にならないと、実りある成果は得られない。野次馬の早大生も、どうしようもない。たぶん庄司がいたらキレてただろう。ケガ人が出なくて本当によかった。
いずれにせよ、いろんな立場の人間が入り乱れたら問題が起こるのは当然。この点は、こうした事態が起こるのを見越して企画した大学側は説明責任:アカウンタビリティーを果たしてほしいと思う。学生も入れなかった今回の講演、今のところ大学のホームページでは何一つ触れられていない。
※追記 08/05/09 20:55 Waseda-net portalで5月8日(当日)の朝に、1行リンクから「入構制限するからよろしく」という旨のメッセージがあったとのこと(僕はwnpは見てません。すみません)。ただNHKで同時中継され、ヘリが飛びまくることも予想できたにも関わらず、学生には当日の朝にこれを発表するだけ、で大学側の責任を果たしたとは言い難い。職員は一体いくら給料を貰い、何のために大学にいるんだろう? 学生の側も野次馬をやるくらいなら、こうした点を指摘して大学を変えていく方向に動けばいいのだけれど(そうした意欲のある人はだいたい自分の活動で忙しいだろうが、就活終えた4年生あたりにぜひ頑張ってほしい)。
【フォト2】 中目黒で昼下がりのビールを飲みながら。外は最高に気持ちがいい。
【フォト3】 うるとらで夕飯前のビールを飲みながら。ソンくんの心遣い(おみやげ)に感謝。この後、帰国したこうすけ(元WIF代表)が突然やって来てテンション上がって飲みすぎた。。。
明日から早稲田本庄100キロハイク。100キロの道も、すべては地道な一歩の積み重ね。今年は雨で大変そうだけど、みんな頑張れ。僕はジョンと大隈講堂で待ってます。
2008年5月5日
先日、僕の大学前半期の全てであった政友会の新歓コンパの二次会に、先代の幹事長だった嶋津と一緒に顔を出した。新歓コンパをはじめ、政友会の節目に顔を出す理由は2年前に書いたので、よかったら読んでください。僕の人生において決して忘れることのないシーンです。
ただ、どんな弁解をするにせよ「6年にもなって新歓コンパかよ」という声がごく身近なところから聞こえてきそうなので、これだけは言っておきたい。6年にもなって語学のクラコンを楽しみにしてるJ君や、5年にもなって「1順したので1男です」と言って平然と1女の看病に行ってるS.S君(それも最近「俺はリア充化してきた」と嘯いている!)よりはマシだと思う(五十歩百歩か?笑)。
まぁ、そういう戯れ言は脇に置いておくとして。
コンパでは活きのよさそうな1年生に声をかけ、大学生活で学んできたことを語った。時々、2年生や3年生を1年生と間違える。正直なところ、政友会で現役活動をしている後輩の名前と顔は、マイミクにでもなっていない限りほとんど一致しない。「すまないけどたぶん名前も喋ったことも俺は忘れてしまうんだ」と言い訳をしながら、これが僕が政友会の後輩にできる唯一のことだと信じて1時間半くらい語り続けた。
話の内容は「自分から一歩踏み出せよ」ということに尽きる。サークルに入るつもりなら最低10個入っとけ(それが政友会のためでもあり、新入生のためでもある)、とか、面白そうな奴を見つけたら(男でも女でも)自分から声かけてアドレス聞いて翌日飲みに誘えよ、とか、そういうことだ。
これを話し始めて5年目になる。メガピでも語ってきたし、何十何百回語ってきたか分からないくらいだ。ただ、この時はいつもと違うことが一つだけあった。
新歓コンパで、僕は語り合った全員にこのblog(午後2時のビール)を教えた。俺が伝えたいことはここに書いてあるから、よかったら読んでくれ、と。そのうち何人が本当に読んでくれたのかは分からないが、その中の一人がコンパの翌日に、僕の事務所のドアをいきなりノックしたのだった。
電話やメールをもらうことはあったけれど、出会った翌日に訪ねられるのははじめてだった。ドアを開けて「どうした?」と訪ねると「ホームページで住所と地図を知って、特にこれというわけじゃないのですが、とにかく会って話をしたいと思いまして」と彼は言った。アポもなしに訪ねてくるということに驚きはしたものの、僕はその時点で彼を受け入れていた。
彼は僕がこれまで出会った中でも、稀に見るくらいまっすぐな目を持っていた。後輩の働いているキッチン・ミキに連れていって話をした。沖縄の宮古島出身です、と彼は言った。1浪で入った成蹊大学が自分に合わず、早々に中退して早稲田を目指し、合格。二浪で早稲田に入った。
政治家になりたい、と彼は語ってくれた。それに応じて、僕も自分の夢を語っていた。「また会いたい」と言ってくれる彼を、僕の唯一受けている授業「自己表現論」に誘った。「また来週会おう」と言って別れた。時間は短かったけれど、気持ちのいい出会いだった。
こうして人と人は新たなつながりを築いていく。
彼を見送りながら僕は思っていた。これだよ。この潔さ。積極性。度胸。フットワークの軽さ。今の僕が失っているものだった。いろんなものを肩に背負ってると思ってた。でも本当は、大したものは持ってないはず。もっと勝負しなきゃ。彼の一歩は僕に勇気をくれた。
大学四年の頃の僕は、彼以上に踏み出し続けていた。「隣に誰かが座ったら」「電車で3回目があったら」「キャンパスで友達とすれ違ったら」etc...→ 「必ず話しかける(知り合いなら後で電話する)」と決めて実行していた。
多くの人に「引かれる」ことは承知の上だった。それでも、僕の想いに共鳴して「惹かれて」くれるたくさんの人と出会うことができた。そんな無茶な一年間があったからこそ、その次の年にMEGA PEACEとして実らせることことができたと思ってる。
「一歩踏み出す」という行為は人に迷惑をかけるかなと思っていたけれど、実際には「引かれる」人は一瞬で分かるし、そうなったらすぐに身を引けばいいだけだった。害を与えるわけではないし、再び会うことも少ないから気まずいこともない。
一歩踏み出してみると、意外にも「惹かれる」人の方が多かった。すこし考えれば分かるけれど、声をかけられて気を悪くする人なんてそんなに多くはない。そう思えれば後は楽だった。一歩踏み出し続けると出会いが増えすぎて、僕のキャパシティーを超えて処理しきれなくなるくらいだった。嬉しい悲鳴だった。
言葉では覚えてても、体がちょっと忘れてたよ。「忙しい」って言い訳で流してたのかもしれないな、と思う。一歩前に踏み出せば「引かれる」よりも「惹かれあう」ことの方が多い。そう信じて今日も踏みだそう。
どこに踏み出すかって? 今の俺には、もうここしかない。
「ウェブ」という新たな世界。
この話の続きは近いうちに。
【フォト】 うちの家族と庄司夫妻とで飯を食べた時の、妹と嶋津。この2人は気が合う。嶋津が珍しく許可くれたので掲載(映り悪くてごめん笑)。彼女は最近どういうわけか優しいと評判。
一歩踏み出す
先日、僕の大学前半期の全てであった政友会の新歓コンパの二次会に、先代の幹事長だった嶋津と一緒に顔を出した。新歓コンパをはじめ、政友会の節目に顔を出す理由は2年前に書いたので、よかったら読んでください。僕の人生において決して忘れることのないシーンです。
ただ、どんな弁解をするにせよ「6年にもなって新歓コンパかよ」という声がごく身近なところから聞こえてきそうなので、これだけは言っておきたい。6年にもなって語学のクラコンを楽しみにしてるJ君や、5年にもなって「1順したので1男です」と言って平然と1女の看病に行ってるS.S君(それも最近「俺はリア充化してきた」と嘯いている!)よりはマシだと思う(五十歩百歩か?笑)。
まぁ、そういう戯れ言は脇に置いておくとして。
コンパでは活きのよさそうな1年生に声をかけ、大学生活で学んできたことを語った。時々、2年生や3年生を1年生と間違える。正直なところ、政友会で現役活動をしている後輩の名前と顔は、マイミクにでもなっていない限りほとんど一致しない。「すまないけどたぶん名前も喋ったことも俺は忘れてしまうんだ」と言い訳をしながら、これが僕が政友会の後輩にできる唯一のことだと信じて1時間半くらい語り続けた。
話の内容は「自分から一歩踏み出せよ」ということに尽きる。サークルに入るつもりなら最低10個入っとけ(それが政友会のためでもあり、新入生のためでもある)、とか、面白そうな奴を見つけたら(男でも女でも)自分から声かけてアドレス聞いて翌日飲みに誘えよ、とか、そういうことだ。
これを話し始めて5年目になる。メガピでも語ってきたし、何十何百回語ってきたか分からないくらいだ。ただ、この時はいつもと違うことが一つだけあった。
新歓コンパで、僕は語り合った全員にこのblog(午後2時のビール)を教えた。俺が伝えたいことはここに書いてあるから、よかったら読んでくれ、と。そのうち何人が本当に読んでくれたのかは分からないが、その中の一人がコンパの翌日に、僕の事務所のドアをいきなりノックしたのだった。
電話やメールをもらうことはあったけれど、出会った翌日に訪ねられるのははじめてだった。ドアを開けて「どうした?」と訪ねると「ホームページで住所と地図を知って、特にこれというわけじゃないのですが、とにかく会って話をしたいと思いまして」と彼は言った。アポもなしに訪ねてくるということに驚きはしたものの、僕はその時点で彼を受け入れていた。
彼は僕がこれまで出会った中でも、稀に見るくらいまっすぐな目を持っていた。後輩の働いているキッチン・ミキに連れていって話をした。沖縄の宮古島出身です、と彼は言った。1浪で入った成蹊大学が自分に合わず、早々に中退して早稲田を目指し、合格。二浪で早稲田に入った。
政治家になりたい、と彼は語ってくれた。それに応じて、僕も自分の夢を語っていた。「また会いたい」と言ってくれる彼を、僕の唯一受けている授業「自己表現論」に誘った。「また来週会おう」と言って別れた。時間は短かったけれど、気持ちのいい出会いだった。
こうして人と人は新たなつながりを築いていく。
彼を見送りながら僕は思っていた。これだよ。この潔さ。積極性。度胸。フットワークの軽さ。今の僕が失っているものだった。いろんなものを肩に背負ってると思ってた。でも本当は、大したものは持ってないはず。もっと勝負しなきゃ。彼の一歩は僕に勇気をくれた。
大学四年の頃の僕は、彼以上に踏み出し続けていた。「隣に誰かが座ったら」「電車で3回目があったら」「キャンパスで友達とすれ違ったら」etc...→ 「必ず話しかける(知り合いなら後で電話する)」と決めて実行していた。
多くの人に「引かれる」ことは承知の上だった。それでも、僕の想いに共鳴して「惹かれて」くれるたくさんの人と出会うことができた。そんな無茶な一年間があったからこそ、その次の年にMEGA PEACEとして実らせることことができたと思ってる。
「一歩踏み出す」という行為は人に迷惑をかけるかなと思っていたけれど、実際には「引かれる」人は一瞬で分かるし、そうなったらすぐに身を引けばいいだけだった。害を与えるわけではないし、再び会うことも少ないから気まずいこともない。
一歩踏み出してみると、意外にも「惹かれる」人の方が多かった。すこし考えれば分かるけれど、声をかけられて気を悪くする人なんてそんなに多くはない。そう思えれば後は楽だった。一歩踏み出し続けると出会いが増えすぎて、僕のキャパシティーを超えて処理しきれなくなるくらいだった。嬉しい悲鳴だった。
言葉では覚えてても、体がちょっと忘れてたよ。「忙しい」って言い訳で流してたのかもしれないな、と思う。一歩前に踏み出せば「引かれる」よりも「惹かれあう」ことの方が多い。そう信じて今日も踏みだそう。
どこに踏み出すかって? 今の俺には、もうここしかない。
「ウェブ」という新たな世界。
この話の続きは近いうちに。
【フォト】 うちの家族と庄司夫妻とで飯を食べた時の、妹と嶋津。この2人は気が合う。嶋津が珍しく許可くれたので掲載(映り悪くてごめん笑)。彼女は最近どういうわけか優しいと評判。
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