東京家学のオフィスの下にある、とあるカフェレストランの話。
30半ばくらいの元気な女店長が切り盛りしている店内は、ギリシャ風に白と青で統一されていた。自由に使えるiMacが店のアクセントになっていて、外国人や女の子に人気だった。僕もランチや打ち合わせで時々使っていた。ビールとコーヒーの値段があまり変わらないので、よくビールを飲んだ。
店の名前は「ヒーロスヒーロー」。ケバブや魚やアボガドをピタパンに包んで食べる、「ヒーロス」というギリシャのファーストフードが店のメイン料理だった。
そのお店が、今月の上旬に閉店した。
この近辺のカフェレストランとしてはいい値段をしていたが、それなりに繁盛してもいた。それでも店を閉めざるをえないということは、おそらくは賃料が原因なのだろう。通りから一本入ったところとはいえ、駅から徒歩0分の好立地。この場所でカフェをこじんまりと続けるのはかなり厳しいということだ。
使っていた店がなくなるというのは寂しいものだ。実際に店が閉まると、大切な何かが欠けているようにさえ感じられる。毎日のように店の前を通っていたから、てきぱき働く店員さんの姿が見えないと「あれ、今日は休日だっけな?」と思ってしまう。
閉店。それは開店した時に抱いた夢を諦めるということだ。でも、ひとつがうまくいかなくなったら、さっさと切り上げて次に行くのが、人生をうまくやりぬくコツだと僕は思えるようになった。何もかもはうまくいかない。だから、何もかもが決定的にダメになる前に、悔し涙を拭いながら撤退を選べることは、力であり、勇気であり、知恵であると思う。
進むか、退くか。それは生きてる中で限りなく遭遇する悩みだ。悩みは尽きることがないから、尽くすことのできる人事に僕は集中する。尽くして尽くして尽くして尽くして・・・、それでもダメなら諦めることができる。あの時違った道を選んでいたら・・・、という無意味な後悔を断ち切ることができる。
8月の半ば頃に閉店するという話を聞いてから、女店長とすれ違うたびに悲しい気持ちになった。彼女がこの先どう生きるのか、僕には知る由もない。いつも忙しそうな彼女と立ち入った話をすることはなかった。けれど、「とりあえず実家に戻るつもりよ」という顔には閉店間際でも振り絞れる笑みがあった。
彼女は決して心まで屈することはないだろう。精一杯やりきった店を閉め、それからまた新たな道を歩みはじめるだろう。そう思ってから、ヒーロスヒーローの跡に新しくできる店が待ち遠しくなった。
ただ。
僕らが始めた事業は、撤退なんて考えたこともないくらい、まだまだ始まったばかりだ。サービスも100%の理想までには果てしない道のりがある。ひとつひとつ小さな成功を積み重ね、ひとつひとつの小さな失敗をできるだけ早く改善して、、、その繰り返しの果てに、「おかげで人生が変わりました」と言ってもらえるようなサービスへと成長させたい。
あわよくば、僕らの想いが社会に広く受け入れられますように。そう祈りながら、僕は僕なりの全力を尽くす。
【フォト】 ヒーロスヒーローの女店長さんからいただいたコーヒーメーカーとロッカー。
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