近代化批判でよく出てくるエピソードがある。未開の地の人たちは今までの生活で満足していたのに、西洋の文化が入ってきたことで、コーラを飲み、スナックを食べ、精神的・肉体的にぶくぶくと太り、しまいには酒や麻薬に手をつけるようになった・・・。これは欲望が知識であることの悪い例として、とても分かりやすいものだ。
知らなければ、欲することはない。欲しなければ、エネルギーは生まれない。「知る」ことは素晴らしいエネルギーを与えてくれる。ただ、そのエネルギーの使い道を知らなければ、誤った道へ進んでしまう・・・。知識の方向性を見定め、欲望を手なずけ、エネルギーを集中させることではじめて、自分が進みたい道、満足できる道に進むことができる。
戦後の日本の輝かしい時代は、多かれ少なかれ、進むべき方向が明確だったのだと思う。アメリカを知り、欲望が生まれ、それを手に入れるために、僕らの親以上の世代は走り続けた。それは幸福な時代だったに違いない。
今、僕らは多くを知りすぎてしまったのかもしれない。大抵のものには欲望をかきたてられない。進むべき道が見えてこない。だから目の前の刹那的な欲求に目を向ける。大きな刺激の代償として、一瞬で燃え尽きる欲求は明日もまた同じことを探させる。それは、未開の人が麻薬に手を染めるのとさして変わりはない。
欲望と言うにはあまりに貧弱な、単純な快楽。尽きることのないテレビや雑誌を眺めていると、そうしたものしか僕らの周りにはないようにすら思えてくる・・・。
【フォト】 しばらく前の「GB's Cafe」(ロックカフェだった「JERRY JEFF」が潰れてできた店)。明け方の店長と岡本薫。
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