2008年9月20日

欲望は知識だ(1)

求めよ、されば与えられん

 『聖書』マタイ伝7章7節


 僕は一般的に言われているキリスト教的な神を信じているわけではないが、ヒルティに言わせれば、西洋の人々でも「神」を心から信じている人は少ないらしい。そんな人たちへ向けれれたこの言葉。最近これが意味することの重みを実感している。神を求める情熱のことを思うとき、何かを本気で求めている人がどれだけ少ないかに気づかされる。

 高校時代の僕は、「退屈だ、何か面白いことはないか」というのが口癖だった。ゲームセンターに行っても、家でネットをやっていても、自分の飢えを乾かすことはできなかった。でも、僕は「面白い」と心底思えることを見つけることはできなかった。興味がないと力を発揮できない僕は、当然勉強することもなく、高校を辞めてぶらぶらしていた。

 そんな状態から大学に行こうと切り替わった理由のひとつは、そこにいけば未来が切り拓けると直感したからだ。それは端的に言って「世界を知る」ということだった。世界を知れば、面白いことが見つかるはず。当時はうまく言葉にできなかったけれど、そう考えていたのは間違いない。

 そして今、それは二つの意味で間違いじゃなかったと思う。ひとつは、僕自身が大学に来て世界を知ることができたということ。もうひとつは、世界を知ってはじめて面白いと思えるものに出会えるという事実。何かを知ることで欲しいものが生まれ、それを追い求める過程に面白さや生きがいが生まれる。それは言い換えれば、欲望は知識だということだ。


【フォト】 竜二&よかちゃん@平山ビル4階