2009年1月15日

「大人になる」とは

 唯一出席している大学の授業、自己表現論(後期は「国際協力と社会貢献」)。毎年恒例な気もするが、今年も成人式明けの授業で原さんから「大人になる」とはどういうことだろう、という問いかけがあった。

 このセリフは至る所で聞く。僕らの世代なら、スラムダンクの中で小暮くん(メガネ君)が言う「大人になれよ… 三井……!!」というセリフは誰もが思い浮かべられるだろう。そう、グレた三井寿が体育館に殴り込みにくるシーンだ。先を読み進む前に、よかったらあなたも自分なりに結論を考えてみてほしい。「大人になる」とはなにか。

 授業を受けている学生からはさまざまな意見が出た。「人を裁かないこと」「自分の行動に責任をもつこと」「他人に責任を持つこと、子どもに夢を与えられること」(byみつい)「経済的な独立」etc... いま後ろでは砂川が「自分の価値観を人に押しつけずに、相手の価値観も受け入れて行動できる人」と言い、みっちゃん(みつい)が「多様性を認めること」と言っている。

 なるほど。色々な考え方がある。原さんは頻繁に「大人になれよ」と言われてきたらしいが、僕もおそらく負けないくらい言われてきたし、これからはもっと手ひどく言われていくような気がしている。

 このblogひとつとってもそうだ。いい歳こいた大人が(信じられないが、僕ももう25歳だ!)、それも、まがりなりにも事業を経営している男が、自分の感情をウェブというオープンな場、昔ながらに言えば「公衆の面前」でさらけ出すというのは、傍から見れば決して「大人」な行為ではないだろう。

 だが、僕はこの行為を敢えて続けたいと思ってる。

 「大人になる」と聞いてすぐに思い浮かんだのは新聞を賑わす品性のないあの人の顔。あるいは、歳を取るにつれて毒にも薬にもならない言葉しか吐けなくなったあの人の顔。彼らみたいな存在が「大人」としてまかり通る社会で、若者がピーターパン症候群にかかるのも無理はないと思う。

 僕の大人の定義はこうだ。矛盾と葛藤を抱えながら、それでもなお人生を賭して自分の信念を形作り、貫こうとしている人。二十代も折り返してからようやく、自分なりに「大人になる」ということを即答できるようになった。まだまだ僕は子どもだと思うが、一歩ずつ本当にかっこいい「大人」に近づいていきたいと思う。


 今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
 自分の声を信じ歩けばいいの
 大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
 苦くて甘い今を生きている
    アンジェラ・アキ 『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』

1 Comment:

大原 学 さんのコメント...

「あなた」が存在するから「わたし」が存在し得るように、「子供」の対立軸として「大人」を捉えてみると大人の意味するものもわかりやすくなるのではなかろうか。
子供は愛を受けて育ててもらうものであり、大人になる、すなわち子供から卒業するということは、愛を与え育てていく側であると思う。その対象が自分の子供であっても、人間社会であってもそれは構わないと思うが。

↑ちょっと堅くなってしまったけれど、今考える「大人」について自分の意見を語ってみました。