2009年1月14日

それでも明日に胸は震える

 正月前後のドタバタを引きずったまま睡眠のリズムが崩れていた。パソコンに向かうと余計に眠れなくなるから、24時を過ぎたら何があっても電源を落とすことにしている。とはいえこのまま横になっても眠れそうにないし、かといってパソコンなしですることもなく、近くのレストランへ行って暖かい紅茶を頼み、いつものように本を読んだ。

 「閉店です」と言われるまで粘って店を出た。肌が擦り切れそうな夜明け前の風を受けつつ歩いていたら、時折降りてくるあの「感覚」に見舞われた。人気のない早稲田通りの街頭の光がやけに明るかったせいかもしれない。それはこれまでの20年近い間、時折僕を襲ってきては、僕の世界との距離感を狂わせ、見慣れた景色から色を失わせる。

 ふだん僕の感覚は現実にべったりと張り付いている。いま僕の目の前にはパソコンがあり、その下に目を落とすとキーボードを叩く手が見える。でも、それがふとした瞬間に変わる。たとえば目に映る甲に毛の生えている僕の両手が、突如として自分の体と切り離され、不気味に動く物体へと姿を変える。ほら、今まさにそれが起こった。

 しばらく前に、それは見慣れた漢字が急に読めなくなるのと同じ原理で、心理学でゲシュタルト崩壊ということを知った。理屈はどうでもいいが、僕はこの感覚に昔から怯えてきた。これを引き起こすいくつかのトリガーがあって、いちばんはじめの小学生の頃は科学誌『NEWTON』だった。僕はそうした瞬間に怯える一方、完全に拒否することもできなかった。恐ろしさゆえ距離を保ち続けたが、どこかで僕はその感覚に惹かれてきた。

 漢字や身体のレベルだけでなく、世界という抽象的なレベルでも突如として起こるその「感覚」は、一瞬ではあるが僕の意識を現実から離れた上空まで浮かび上がらせ、日々のリアルさを鳥瞰的に見せてくれる。それはゲシュタルト崩壊という言葉とは逆に、ばらばらの現実がひとつの世界に収斂していくような、言葉では言い表せない不思議な感覚だ。

 この感覚に襲われると「俺はなんでこんなことしてるんだろう?」「ってか生きてるってなんだ?」といった素朴な疑問が芽を出す。大学に入って「哲学」というものの存在を知ってから、僕はこういう疑問が生まれる瞬間を大切なものだと思うようになった。そして、自分なりに言葉にするようにもなった。

 だが、近頃それは私的な物語の一部に過ぎず、リアルな社会を生き抜くには不要な感覚なのだと痛感している。すくなくとも20代、30代のうちは封じ込めた方がいい。封じ込めて、どこか押し入れの奥にでもしまっておいて、それでも漏れてくるものだけを時々相手にすればいい。ゲシュタルト崩壊なんて甘い言葉を使ってる暇があれば、マーケティング用語のひとつでも覚えろよ。誰かがそう囁いているような気もする。

 だが、そう思えば思うほど、自分の大切な感覚が磨り減っていくような焦りを感じる。すると無限連鎖のように「俺はなんでこんなことをしてるんだ?」という問いが襲ってくる。このループを断ち切らねばならないと思う自分と、その感覚に浸らなければと思う自分がせめぎ合い、どうしようもなく苦しくなる。

 言葉にするとこんな長くなってしまうけれど、実際のところ、こんな感覚は瞬く間に過ぎ去っていく。僕はその一瞬を思い出して味わっているだけだ。こんな文章は無意味だ。自慰行為は終わりにしろ。再び、そうした囁きが聞こえてくる。

 そう、たしかに無意味だ。でも、ならばいったい何に意味があると言うのだろう?

 いやいや、、、だからそんな馬鹿なこと言ってる間に営業電話を一本かけろって。

 その両方の声が、僕の心の中で飛び交うが、それもほんの数秒だ。レストランを出てから家の扉を空ける間に、信号待ちで立ち止まったわずかな時間。信号が青になったのに気づいた僕は、無意味な問いかけをやめ、暖かい布団を目指し歩き出す。そうして僕はまた現実にべったりと張り付いた世界へと戻っていく・・・。

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 これを書いたのが1週間ほど前。昨夜、1週間前と同じ時刻に、同じ店を出て、同じ道程で家へ向かった。その「僕」という生き物は、Mr.Childrenの『くるみ』を聞きながら、「なんて素晴らしい世界に生きているんだろう」と考え、吹き付ける風の冷たさも感じないまま、内側からこみあげてくる喜びに打ち震えていた。あまりに馬鹿らしくて投稿するのをやめたこの文章を思い出し、人間って不思議な生き物だなと思いながら…。



 希望の数だけ失望は増える
 それでも明日に胸は震える
 「どんな事が起こるんだろう?」
 想像してみよう


 よっしゃ、だいぶ回復したぜ。

1 Comment:

匿名 さんのコメント...

お久しぶりです、でもブログのコメントでははじめましてです。かまたです。

自分の体が自分の物でなくなるような感覚、私も小さい頃からたまに感じていました。本当に前触れもなく突然。

自分がこの世に存在していることが、自分の手足が自分の意思で動いていることがすごく不思議に思えてきて、更には自分が自分じゃなくなるように思えてきて、魂がスッと抜けそうな感覚に陥るんです。でも、馬場さんのおっしゃるようにほんの一瞬で。

こんなこと思ってんの自分だけじゃないのかな、気持ち悪いなとずっと思ってきたんですが、そうじゃないんだと思えて少し安心しました(笑)

すいません、それだけなんですが…。
また近い内に一緒に飲んだりできる日を楽しみにしています。
色々お話聞かせてください^^