約1年前、ある企業で働いていた友人が声をかけてくれ、その企業の一部門だった小さな家庭教師センターの再建に関わることになった。僕がそこに残っていたリソースを使ってやりたいと言ったことに、その企業の社長や働いていた社員の数人が共感してくれ、資金や事業所を割り当ててもらい、最終的に社内ベンチャーとして新規事業を立ち上げることになった。
提案した事業の内容は、一言で表すなら「不登校の支援」だった。僕は学校に行かなかった期間が長く、その間に世間の冷たい目に晒されたことや、家族や親戚を悩ませた日々のことを振り返って、学校に行かない(行けない)子どもたちが否定されない社会を作りたいという想いで、「家は学校になる」というコンセプトを固めて走り出した。
基本的には「子どもを肯定する」ことと、「学校に行かなくても最低限の学習を担保すること」を目標にした。具体的には、不登校の子どもの支援に興味のある大学生を見つけ、研修を行い、それを必要としている家庭とつなげ、両者を継続的にケア・サポートしていく、というシステムにした。
そうしてはじまったのが「東京家学」だ。
しかし、コンセプトや事業内容は固まったものの、具体的にどこまでを僕らが担えるのかは立ち上げ時点ではまったく分からなかった。実際に動き出すと、好きでやっていた「早稲田への道」を経てはじめた「道塾」とは違い、東京家学の立ち上げには様々な困難が伴った。
既存組織のリソースを利用すると言っても、僕はそこで働いたこともなく、はじめは仕組みが分からず戸惑うことも多かった。そもそも僕はビジネスの世界そのものを知らなかった。無謀な試みであると感じたこともあった。実際に家庭に訪問し、子どもに接すると、その状況のどうしようもなさに途方にくれたりもした。
とはいえ時間はどんどん過ぎていき、経費はひたすら積み重なっていく。「やりたいこと」や「想い」があっても、結果(利益)が出せなければサービスはそこで終わり。ビジネスは甘くない。
焦る日々の中、ベテランのコンサルタントや不登校の専門家の助言をもらいながらサービスを詰め、なんとか事業として形を為して出発できるところまでいった。2008年3月から約4ヶ月の事業プラン策定、システム構築、試験版の運用などを経て、7月末から正式にサービスを開始した。
教育に長年携わってきた人、特に不登校の問題解決に努めてきた人からしてみれば、僕らの事業は危なっかしいものに思えたろう。実際、子どもの一生に関わることを、ロクに大学も卒業してない半端者がやることに対する風当たりは厳しかった。その論調の根底にあるものは、教育には「不可逆性」がある神聖なものだから、そうたやすく踏み込んでくるなという意識があるように感じた。
しかし、中には前向きに関心を示してくれる人もいた。心ある人がメディアに取り上げてくれたり、ウェブで好意的な記事を書いてくれたりした。それはすごく嬉しかった一方、実は不安を感じてもいた。不登校の問題は想像以上に根深く、解決が極めて困難なケースが多くて、メディアやウェブの記事を読んで申し込んでくるの人々の期待に応えられるかという不安だった。
保護者の多くはやはり「すぐ学校に戻ってほしい」という気持ちが強い。だが、そのすべてに(子どもも家学も)即座に応えるのは容易ではないし、それがふさわしいとは思えないケースも存在する。不登校は「学校に戻す」ばかりが解決策ではない。「家にいながら学ぶ」ことが必要なケースもある。
そうしたノウハウを蓄積している組織は少なく、だからこそ僕はこの事業の必要性を語ってきたのだが、手探りでやっていく過程では、全員が完全に満足できるサービスを提供できているとは言えなかった。成功の実例をもっと積み重ね、東京家学の方法論を確立すれば不登校に対する人々の考えも変わるはずだが、そこまではまだ遠い道のりだ。
それでも、それを踏まえた上で言うならば、この事業を立ち上げてよかったと強く思う。あらゆることが上手くいったわけではないものの、実際に親や子どもの力になれたケースはたくさんあって、感謝の言葉をもらうことも多かった。立ち上げてまだ短い期間ではあるが、これまで走ってきた日々を振り返って、僕はこの事業の有効性を確信している。
今回、事業のはじまりから1年を前に、僕は代表を降りることにした。もともとリーダーのいないチームだった。メディアに載る際に「代表」という存在が明確であった方がいいことに気づき、いくつかの理由から僕が代表になった。新規事業の立ち上げを提案した張本人という意識もあったし、立ち上げ期には向いているという自負もあった。
ただ、東京家学の代表となったことで、道塾に関わる時間が決定的に減ってしまった。そのため、やりたいと思っていたことの幾つかはやれずじまいだし、やれたことにしても遅れることが多かった。中途半端になって、東京家学にも、(そうは思っていないだろうが)道塾にも迷惑をかけることがあって、自分の力不足を痛感する日々が続いた。
そんな状況でも精一杯協力してくれた仲間のおかげで、東京家学は順調に動き出した。オペレーションが業務の中心となった 11月頃からは、既に僕ではないスタッフが中心的な役割を果たしてくれていた。僕はというと、年が明けてからはほぼ道塾にかかりきりになって、東京家学で実働することは減っていた。
それについては了解の上でやってきたのだが、今回、2,3月と道塾・東京家学が共に動きがありそうなので、ちょうどいいタイミングだということで、話し合いの結果、僕は当初の役職である「アドバイザー」に戻り、今後の東京家学はオペレーションの中心を担ってきた平栗くんが率いていくことになった。
彼は今年早稲田を卒業して、そのまま東京家学ではたらくことになる。卒業→代表なんて、なかなか普通の企業ではない面白い生き方だと思う。こういう風潮がもっと社会全体に生まれるといいのだが、この不況で衰退していくのが残念でならない。
余談だが、東京家学を立ち上げさせてくれた企業が早稲田で就活生向けの説明会を行った際、「若手を積極的に主役にする会社です」という実例として僕とジョンのことを話したらしい。その場で聞いていた後輩が担当者に声をかけたら、「あの二人は面白いよね-」と笑っていたらしいが、そういう社風の中、飛び入りで事業の立ち上げを任せてもらい、貴重な経験ができたことを、関わったすべての人に感謝したいと思う。
振り返ってしみじみと書いたから誤解されそうだけれど、辞めるわけではないので、あしからず。今後も(かける時間はだいぶ変わってくるが)僕は家学を側面から支えていきます。この長い文章は代表としてやってきた事業の総括のつもり。ここで、家学の立ち上げにあたってスタッフメッセージとして書いた文章を転載しておこう。
10年前の自分のために。
(私立)中学中退、高校中退の後に、大検(現高認)を経て大学に入学しました。高校を辞める時、周囲から「あいつの人生は終わりだね」という声が聞こえてきました。約10年が経った今、私は幸いにも自分の進む道を見つけ、誇りを持って活動しています。
必ずしも全員が学校に行く必要はない。誰もが学校にフィットするわけではない。それは食べ物の好き嫌いがあるように、また、人間関係に相性があるように、当然のことです。
私は、「学校に行かねば社会の落ちこぼれだ」という世間のプレッシャーに、押し潰されそうになっている子どもにたくさん出会ってきました。そうした子を守るご両親の悲痛な叫びもまた、その子どもの数だけ聞いてきました。
「学校に行かない」という選択肢があること。それは歴史を振り返れば、あるいは世界を見渡せば、当たり前のことです。
現在の日本に根強い「学校に行かない子はおかしい」という偏見をなくしたい。「当たり前のこと」を伝えたい。
「家は学校になる」というキャッチフレーズは、東京家学発、日本社会宛の挑戦状です。
思うままに書いて、推敲をいれても30分足らずでさくっと書き上げたものだが、その分、僕の素直な想いが乗っていると思う。半年以上が経った今は、ちょっと時代の先を行きすぎていたなと思うものの、基本的な考えはなにひとつ変わっていない。むしろ多くの家庭を見て、子どもと話したことによって、社会への怒りは増したし、叩き付けたい挑戦状の数も増えた。このblogもまた、ひとつひとつのエントリーが日本社会宛の挑戦状のつもりだ。
いい機会だから、最後に、僕のやり方を批判してきた人々(大人)に対する、僕なりの考えを記しておこう。
彼らが僕を批判する理由は分かる。僕が未熟なのを指摘するのはその通りだと思う。ただ、そうした人の意見に納得できることは少なかった。これは、僕がこれまでよくされてきて、おそらく今後もされるであろう指摘であり、だからこそ根源的だと思うから、批判を承知の上で書いておきたい。
僕が出会ってきた教育に携わる人(あるいは「大人」)の少なくない割合は、そのシステムの中で疲弊しきっていた。同時に、そのような人々に囲まれながらずっと放置され、希望を失いかけている子どもにも出会ってきた。かつては僕もそういう時期があった。そして不可逆な流れの中で、残念だが二度と希望を持てなくなってしまったような人とも出会ってきた。
僕の人生のある時点で、道は二つに分かれていた。その分岐点で、僕は今に続く道を選ぶことができた。自らの意思で選び取ったわけではない。単純に、幸運だっただけだ。そういう僕にできることがあるのなら、それはやるべきことだ。そう信じて、やれるだけやってみようと走り続けてきた。
だが、その意図を理解せず、助言も協力もしないまま、頭ごなしに否定する人がいた。それは、実に悲しいことだと思う。
僕はそうした人々を非難するつもりはないし、記憶にある限り、非難したことはないと思う。実際、彼らの多くは精一杯やっている。疲弊した人でさえも、志があった頃があったはずだ。それが、いつの間にか折れてしまった。
誰のせいだ?
原因は人に求めちゃいけない。問題はいつもシステムにある。疲弊し、保守的になり、否定的になる人々が生まれざるをえないシステム。その環境が若者を取り囲んでいるが故に、再びそうした若者が再生産されるという悪循環。
それこそが、「道塾」でも「東京家学」でも、変わらず僕が睨み続けている相手だ。若者を、日本を、ディスカレッジしている根源的な原因。それを変えていかなきゃならない。僕がこのタイミングで重心を東京家学から道塾へとシフトしたのは、そのための最善の手段を選んだに過ぎない。
文句があるなら、口にする前に行動で示せばいい。
何が正しいかなんて、結果以外じゃ判断できない。大切なのは、ベストだと信じる行動を取り続けること。それだけが結果を生み出し、社会をリアルに変えていく。
僕は、これからも変わらず挑戦状を叩きつけていくよ。