2008年11月21日

解決してくれる仲間たち -- 適切な大きさの問題(4)

 昨日は問題が「自然と」解決することについて書いた。自然とは言っても、そこで解決する人がいなければ決して解決しない。今日は、誰が、どのように解決してくれるのかについて、最近僕が感じていること。

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 「弱みを仕事や成果とは関係のない個人的な欠点にしてしまうよう、組織をつくらなければならない。強みだけを意味あるものとするよう、組織を構築しなければならない」
  (ドラッカー 『経営者の条件』P106)

 ドラッカーが語るような立派な「経営」を僕がしているわけではないが、組織であること、すなわちチームプレーで物事を成し遂げていくことの有り難さを日々感じている。

 あるひとつの物事を、それぞれが得意なことや楽しく感じられるものに分割する。そうした分担の結果、一人では決してできなかったことが成し遂げられる。僕が仲間と今までやってきたことは、大方そのようにして成り立ってきた。

 僕には苦手なことがたくさんある。というか、苦手なことだらけだ。数少ない僕の「得意」で「楽しい」ことは、古くは「問題を引き起こす」こと、最近はすこし成長して「問題を切り出す」こと。だから僕はそれに集中する。そうして切り出された問題を解決する役目は、それを得意とする仲間が担ってくれる。

 例えば道塾のジョンは寝坊したと思いきや大きな問題を一晩でさくっと解決してきたりする。三井は切り出してきた問題の中で放置されている物事をてきぱき片付けてくれる。小竹という一年生のスタッフは、僕や三井やジョンが知らないような細かな知識で受験生を指導している。こうした構図はMEGA PEACEでも同じだったし、家学でも変わらない。

 ひとりひとりが異なる「強み」を持っている。それぞれの「強み」を活かせる「適切な大きさの問題」が生まれれば、「問題は自然と解決する」のだ。仲間たちは僕が問題を切り分ける必要もなく、それぞれの取り分を自ら抱え解決してくれる。そのようにして問題はそれを切り出してきた僕が何もしなくとも解決へと向かう。

 僕には解決したいと思うことがたくさんある。これからますます大きな問題を世界から切り出していくだろう。より大きな問題を、より多くの仲間たちと、より早く、より完全に、解決していく。それはもはや自然な流れに思える。どんなに憤りを感じても僕一人ではどうしようもないことを、共に解決してくれる仲間がいることを幸せに思う。

 僕の走り続ける姿を巨視的に眺めれば、大きな流れに身を任せているように見えるのかもしれない。僕はそんな幸福な流れに自分を浸しているだけ――。物事が自然と解決されていく日々の中、そんなことを感じている。


 【フォト】 今年も点灯式へ向けて着々と進むグランド坂のイルミネーション日を追う毎に寒さが厳しくなり、あっという間に日が沈むこの季節、真っ暗な街に灯る色とりどりの光が心を暖めてくれる。土橋ちゃんはじめWIPの皆さんお疲れさま&ありがとう!