2008年11月29日

文体とコミュニケーションの精度

 このところ困っているのが、どんな文体で書くかということ。読めばすぐ分かる通り、「早稲田への道」の「u」という書き手はかなり偉そうな文体で書いている。僕の中にはそういう一面もあるから決して「偽者」の人格ではないのだけれど、2chの特性を考えて意図的に作り上げた文体であることは間違いない。「俺は大したことない人間だよ」と偉そうな文体の中で何度も書いているものの、やはり大半の読者は「偉そうな人」「怖い人」という印象を持つようだ。

 文章のみから成るコミュニケーションの比重が増した現代において、「文体」は文学の中でしか語られていなかった時代よりはるかに重要になっていると思う。僕は2chでは原則として強気の文体を貫いてきた。弱気な文章を書くにせよ、それを乗り越える強さが伝わるような書き方をしてきた。そうじゃないと、そこにつけこむ輩がいるからだ。だから、自然とあのような強気の文体になった。

 とはいえ、最近の問い合わせは保護者からのものが少なくない。特に新聞を見ての問い合わせでは「本人」なのか「保護者」なのかよく分からないものも多かった。僕は意外に保守的なところがあって、目上に対する言葉遣いは丁寧でないと違和感があるので、保護者に向かって「俺は~と思うぞ」という文体を使うのには激しく抵抗がある。

 そこで本人か保護者か分からないケースだと、どう書き出すかに迷うことになる。ですます調で行くか、blog調で行くか、u調(早稲田への道調)で行くか・・・。

 一番書きやすいのは「u調」(早稲田への道調)で、これはほぼ完成されたキャラクターと文体があるから、それに従って書けばいい。でも、「道塾」が「u」という個人から、僕以外のスタッフまで含めた組織へと変わりつつある現在、「u」の比重は減らしていかなければならないとも思っている。だから「ですます調」で書くことが多いのだが、それの返信が受験生本人からだったりすると、また「u調」に戻ったりして、なんだか変な感じになる。受験生の側はもっと困惑しているに違いない。

 僕はわりと色々な文体で書ける。15歳くらいから様々な文章を書いてきたし、その時々に応じて試行錯誤もしてきた。公文書的な文体は苦手だが、これは僕の性格上仕方ないと割り切っている。ただ、自分を載せて、自然と僕らしさが伝わるような文体は未だに勝ち得ていない。悔しいからそれを追い求めて日々書いてはいるものの、このblog調にせよ「u調」ほど手に馴染んだものではない。

 そろそろ本格的に文章を書き始めそうだし、言葉をもうちょい洗練しなきゃ将来恥ずかしいだろうなぁとも思う。道塾の返信メールにはじまって、最近はひとりの書き手としてどんな文体にすべきかに悩んでいる。言葉は難しい。とりわけ、素直に書くっていうのが実は一番難しいんだよなぁ・・・。


 【フォト】ちょい前だけど、MEGA PEACE vol.2決起集会にて、すてきな女の子たち。あと1ヶ月を切った!だいひょー、みんな、ふぁいと~☆