2008年11月28日

僕と発達障害

 東京家学の関わりで、ある女子大学のセンターにお世話になっている。先日そのセンターに訪れて学習障害を専門とする先生と話をした。それなりに優秀な早稲田大学の学生にはあまり多くないし、だから知られていないとも思うのだけれど、「落ちこぼれ」と言われる子の中には「学習障害」と分類される子どもが少なくない。学習障害という言葉の響きが悪いため、最近は「LD(Learning Disabilities)」と呼ばれることが多い。

 一口にLDと言っても症状は様々なのだが、大きくは読字障害(ディスレクシア)、書字障害(ディスグラフィア)、算数障害(ディスカリキュリア)の3つに分類される。以前の僕は「そんな簡単に人を病名で区別してレッテルを貼るな」と思っていた。でも、道塾や東京家学で「落ちこぼれ」と呼ばれる子どもたちと接しているうちに考えが変わってきた。そうした障害を持っている子どもに対しては、症状に応じて分類して対応していくことが大切なのだと理解できるようになった。

 言葉の第一印象と違う点は、LDは一般的な頭のよさとは関係ないということ。IQが非常に高くてもLDを持つというケースは多く存在する。LD児童は「普通の人ができるやり方での学習」ができないだけであって、「学習そのもの」ができないわけではないのだ。その子どもにあった対応をすれば、LDを乗り越えて、正常な子どもと同等の学習をすることができる。より正確な対応をするために、子どもを症状で分類することは欠かせないのだ。

 そんな話をしていて、その先生が僕の文字にふと目を留めた。僕は言った。「昔から字が汚くて・・・、LDかもしれないですよね」。すこし冗談気味に言ったのだが、その先生は、「ディスグラフィア(書字障害)かもしれないわね」と真顔で返してきた。そして専門家特有のエネルギーを発揮しだして、いくつもの質問をぶつけてきた。その質問の症状に、僕は見事に当てはまっていた。例えば「大きな数字の計算をする時、紙に書く数字の縦列がズレていく」「ノートを取っても読み返せないから、ほとんど使ったことがない」みたいな。

 LDを持つ子どもの中で、自力でそれを乗り越えていくケースは多いらしい。その主な方法は、苦手なものを遠ざける、あるいは道具を使って補うといったもの。なるほど。それを聞くと合点がいった。僕が早くからパソコンに飲めりこみ、周りが不思議がるほどキータイピングが早くなった理由。それは、紙と鉛筆で「書く」ことに対する障害を無意識的に克服しようとした試みの結果だったのかもしれない。

 僕はADHD(注意欠陥多動性障害)という診断をされたこともある。小3くらいの頃、ちゃんとした精神病院で「そういう傾向がある」と言い渡された。これでADHDに加えて LDと、発達障害の代表みたいなことになったわけだ。でも、だからこそ僕は今の僕の姿になったのだと思う。まぁ、悪くない。あらゆることを抱えながら、乗り越えて、不器用でも走り続けるよ。


 【フォト】大隈講堂シリーズ。見事な冬晴れ!